年別アーカイブ: 2014年

8月のこと

先月、院長の父が亡くなりました。

本来、このページに記すことではない、みなさまに関係のないことです。また、文章に著すということは、思いをさらけ出さなくてはならないし、形として残ってしまうので、少し勇気のいることです。でも、産婦人科医であった父のことを、肉体は変貌してしまい形すらなくなりましたが、魂・思いは最後まで産婦人科医であり、変わっていなかったと思います。

 

なので、私の勝手で、ここに記させてください。

 

父(私からは義父です)は、産婦人科医でした。

現役の時はもちろんのこと、亡くなる直前まで気持ちの持ち方は医者としての存在。

かつ、頑固でわがままで超・超・まじめで・・・。きっと、入院中、病棟の看護師さん方々はやりにくかった面もあるのかも・・と想像します。

体は数年前から身動きができなくなり、ほぼベッド上の生活。そして、今年5月に、ガンが診断されました。

ガンが診断されたときの父は、すごく冷静でした。

81年生きてきたら、何かの理由で亡くなるでしょう。ガンのステージが進んでいるなら、何もしたくない。楽に逝かせてほしい。」とはっきり、主治医にも私たちにも伝えてくれました。

ただ、苦痛なく余生を過ごしながら逝くには、疾患の性質上、気管切開を選択しなければなりませんでした。そうしなければ、窒息の状態を我慢し続けろ!という状態を招いていまいます。

最初は気管切開術を渋っていましたが、苦しむことを避けるなら・・という理由をわかってくれて、気管切開術を受けてくれました。それが、7月中旬。

それからは、発声は無理です。意思の疎通は、文字盤を使ったり、口パクで会話したり。そういう状況も、1度もイライラもせず、受け止めていました。

 

ガンの告知を受けてからこの3か月、たく
さんのことを学びました。

今の日本の医療では、ガンの治療(手術、抗がん剤や放射線治療)を選択しないケースは、急性期病棟(手術や積極的治療をする病棟)に入院することができません。最初に診断してくださり、気管切開の手術をしていただいた先生の元は、10日ほどで退院です。余儀なく、次の行き場所を考えなくてはなりませんでした。

ここ数年、緩和病棟やホスピス、介護が必要な高齢者施設あちこちに新設されており、情報は豊富でしたが、家族が通える範囲にある施設、本人や家族の納得いく介護・看護の期待を得られる施設、かつ、気管切開をしている者が入所できる施設は限られています。

我が家の場合、父の長男(院長)も次男も産婦人科医。お産進行中の方がいらっしゃったら、親の死に目には会えないと覚悟をしていた院長ですが、それでも、少しでも近い距離がいい。母は他界しています、そうなると、私が動いてあげないといけないのはわかっているので、私も仕事の合間に動けるところで。それらをクリアしないと、父は、孤独になっていまします。

全てそうでしたが、ひとつひとつ家族が決めたこと、やってあげたいことを、その都度父に伝えることはしました。一生懸命81年生きてきた父の最後。やってあげられることは、できる範囲でやってあげたい。心残りのないように。亡くなってから、後悔したくない・・・。すべて、主語は私たちが・・、時には、私が・・、だったような気もします。でも、父の満足する顔を見たい、思い残すことなく逝ってもらいたい、という思いです。

看病する方はどんなに大変でも、息を引き取ったら、父は2度とこの世に来られないのですから・・・。

 

いろんな方法で、次の施設(つまり、死を迎える場所ってことです)を探し悩んでいる真っ只中、私もいっしょに働かせてもらった先生と、偶然ご縁があって、緩和病棟に空床があることを教えていただき、入院することができました。

そこでの生活は、たった3週間ほどでしたが、主治医の先生、スタッフの方に本当に、とても、良くしていただきました。

私も、仕事に穴を空けるわけにはいきません。その中で、やってあげられること。

それは、できるだけ、顔を見に行ってあげて、話して、洗濯し、着替えやおむつ交換を手伝い、お茶や食べたいという物を口に入れてあげたり、時には、固形物は無理だったので、とろみをつけたり、ジュースにしたり。また、主治医の先生に話を聞いたり、書類にサインしたり。最後はそばで泊まることも。

父は、少し動く手で、握手を求めてきたり、「ありがとう」や「また来てね」と声のない口パクで語ってくれたこと、私の自己満足でしかありませんが、その言葉を思い出すと、父の望んでいたことに少しでも近づけたのかなと思っています。

本当の親子のようにしていたからこそ、ケンカもしました(笑)

もう、父のがんこさにはやってられない、無理だ・・と私がギブアップしそうな時もありました。そんな時は、いつも誰かクリニックのスタッフが話を聞いてくれました。たくさん聞いてくれました。本当に救われました。

タイミングよく、おじさんやおばさんがメールをくれました。電話くれました。父の様子も報告することで安心できました。

昔からの私の友達が、様子を伺ってくれました。応援してくれました。

だから、いろんな人のお蔭で、拙い私でも、役目も果たせて、私たち家族も穏やかに父を送ることができたのだと思います。

 

父の亡くなる数日前は、病院から何度か、呼ばれました。もう、脈が触れない、血圧が測れない、呼吸が危ない・・と。少しずつ、消え逝きそうな父を目にしていました。

しかし、不思議なことは、本当にあるものです。奇跡でした。

それは、亡くなる前日、突然、父の意識がクリアになり、脈もしっかり触れ、歯が見えるくらいニコニコしていたのです。もしかして、このまま何か月も頑張れるかも・・と思うくらい。

そんな日に偶然、私と院長と弟が病室でいっしょになり、父の前で、帝王切開の話、お産の話をしました。昔話もしました。父は嬉しそうに聞いていました。大好きな甘い物、アイスクリーム、ピノを院長と私と弟と父と分け合って食べました。私たちは、1粒を一口でペロリですが、父は、あの小さなピノ1粒を5回くらいに分けて食べます。

父の口に食べ物を入れてあげられるのは、この数か月、私の役目でしたから、1粒のピノをティースプーン4分の1ほどの食べやすい大きさに砕いて、溶けないうちに必死で父の口に入れてあげました。

それはそれは、嬉しそうで「もう、なくなったよ。全部食べたから、おしまい。」と伝えると、わかったと言わんばかりに、最後にお茶を求めてきました。相変わらず、まじめな父でした。

誰が、こんな団欒を作ってくれたのか、神様って本当にいる、と思う不思議な時間です。この何年も、一緒に和む時間はなかったですから。偶然が重なって、父の病室にたまたま、息子二人と私がいて、父の意識も鮮明で、大好きなアイスクリームを大人4人で分け合って、医師として仕事一筋の父と、仕事の話をし、最後は、握手をして退室したこと。この30分ほどの光景、忘れられません。

私たちにも、きっと父にも、心の中に残り続けることでしょう。

その時が、父と最後の意思疎通の時間とは、思ってもいませんでしたが。

貴重ないい時間を父に作っ

母子手帳

先日、母親教室のあとの、母子健康手帳返却時、1つ気づきました。

親子手帳、親子健康手帳、と表紙に書いてある、他市がありました。

そうですよね。
私は、以前から思っています。
母子健康手帳という言い方は、もう、やめてほしいなあ・・と。
もちろん、記載されている中身は、ママの体のこと、ママの思い、赤ちゃんのこと、生まれてからの子供の成長、それらを書く欄ばかりです。
でも、それは、ママと赤ちゃんのためだけではありません。
新しく家族となる命を守る記なので、パパも大きく関与してくるはずです。
もちろん、その手帳にパパの血圧、おしっこの検査を書くことは、必要ないことです。
(もちろんシングルで出産される方も時にはいらっしゃいます。)

でも、パパもママの体のこと理解してほしい。妊婦健診に来られないなら、記されている内容からだけでも、ママの体を知ってほしいと思います。
パパさん。
ママの今の血圧、知ってますか?ママの今の体重、知ってますか?
そして、その血圧がママの体と赤ちゃんに、どう影響しているのか、どういう意味か、知ってますか?
なぜ、体重が増えたらダメか知っていますか?
ママががんばっていること、知っていますか?

パパの血圧は書かなくても、パパの体重は書けなくても、書かれているママのことを知る権利、義務はあります。
どうか、ママだけの持ち物とは思わないで下さい。
パパも愛着持って開いて見て下さい。

お産で入院の時、スタッフに母子手帳を出していただきますが、ママではなく、パパに「母子手帳下さい~」と言うこともあります。その時、「え?母子手帳?どれですか?」とママのカバンの口を開けて、ゴソゴソ。
陣痛でしんどいママに「どれ?」と聞いてるパパ。時には、私たちにカバンの口をひろげて中身見せて下さる方もいらっしゃいます。
カバンの口開けたら、母子手帳が1番に目立っているのですけどね・・・。

ママは、肌身離さず、持ち歩いておられることでしょうが、せめて妊婦健診のあった日は、パパ、中身を見せてもらって下さい。
ママも忘れず、パパに見せて下さい。

母子健康手帳と名の付く、親子手帳なんですから・・・・。

だから、白紙ではなく、書けるところは、しっかりと書いてあげて下さいね。
今の思い、連絡先・・・。
書かなきゃ、みんな共通の活字が書いてある、ただの冊子。
書いて初めて、中身がそのママの色になってこそ、パパが見る意味があって、価値があるのです。
eri.hosoda

猛暑

8月です。祇園祭のころから、猛暑!
自転車で数分走っただけで、汗が溢れ出します。
道端で、しゃがんでおられる方を見ると、熱中症で倒れちゃうのでは?と思ってしまいます。
この前、ヒヤっとした光景。気分悪いの?と想像し、自転車のスピードを緩めてよく見ると、スーパーの袋からアイスを取り出し、食べておられたおばあさん。ゆっくり歩いて帰ったら、溶けてしまう!と思っての行動?(笑)

赤ちゃんも暑いだろうな・・・
抱っこひもに抱かれて、爆睡している赤ちゃん。
ママは日傘さしているけど、赤ちゃんのお尻のあたり、ガンガン太陽が当たっているよ・・という光景。
自分の日焼け防止だけでなく、熱中症防止の日除けとしても、気を付けてあげてくださいね。 

女子高生、殺人事件。
殺人と言っても、本人は人を殺したとは思っておらず・・・単なる興味。
そこが大きな問題です。この箱に何が入っているのだろうか?このドラマ、どう展開するのだろうか?
それも興味。
どこで、どう間違ってしまったのでしょうか?やり直すために過去には戻れません。
容疑者のお母さん(ガンで亡くなっておられます)は子育て支援などの指導やサークルを立ち上げておられた方。
そんな方でも、子育てに成功できない何があったのか・・
形やパターンに当てはめて、自己満足する子育てでなく、自ら育っていってくれる子になるように、
そして、自分も親として人として育っていけるように。
そんな、自然な形の親子関係が失われているような気もします。

大人も子どもも同じ思いのこともあります。
でも、明らかに、大人と子どもは違うこともあります。
そこをきちんとわかって上で教え、育ててあげなきゃ、大人になれない大人が増えると思います。
私たちだって、職場は大好き。でも、おうちで、一人でボーとしてる方が楽チン。
集団生活、嫌じゃないし、みんなでワイワイ大好きだけど、わがままな自由時間もたまには欲しい。
でも、普通の大人はその調節、常識の判断ができるのです。何がダメで何がいいか、わかっている。
だから、つらくても楽しくなる生活をやりくりし、生きていけるのです。
そのことが、わからない大人が増えているし、子どもを壊れ物のように扱い、接する親が増えているがために、それらの調節、常識を学べなくなっている子どもが増えている気がします。

先日、幼馴染の友人の実家が火事で全焼しました。
ご家族は、無事だったのことで、ホッとしたのですが、友人は、どんな思いで実家に戻ったのでしょうか?
写真より命、家より命、昔の思い出は心の中に。
私たちは、命が助かったからよかった!と声かけることでしょうが、そんな言葉で癒さるはずもないし、納得できるはずがありません。
落ち着いた頃、連絡ちょうだいね・・その、一言のメールだけ送っておきました。

先月、10件の帝王切開がありました。
クリニック始まって以来の忙しさ。
その合間に経膣分娩。しかも、9割が夜中の分娩!
でも、スタッフ誰もがニコニコしていてくれ、愚痴一つ聞こえてきません。
すごいです。
ニコニコだけでなく、夜中に少しお手伝いした私に、手術の時、少し手を貸しただけの私に、「ありがとう~」と言ってくれます。当たり前のことなのに・・・。
みんなのその、パワー、やさしさ、見習わなければ・・・・。

eri.hosoda

梅雨

毎日、うっとうしい雨模様。
小さい頃から、梅雨はあるものの、日常生活では、やはりありがたさを感じないものです。

さらに、大型台風が接近中。
梅雨前線と台風の影響で、被害が想像できる大雨、風が予測されます。
こんな時は、なぜか、お産が多いのも不思議・・。

洗濯物もなんだかすっきり乾かないし・・
買い物も足元ビショビショ・・
大きな傘を持ち歩かなければならない、めんどくささ・・
夕方かな?と思うこの暗さ・・
湿気で膨れる髪、全くまとまらないこの髪型・・
この嫌な時期が過ぎれば、熱帯地方のような猛暑が来るし・・
まだまだ、出てきます、嫌な面。

梅雨のメリット?
雨が降ると休みでも出不精になり、家の中にこもることが多く、出費が減る・・(^_-)-☆
緑に水やりをする必要がなく、朝、数分ゆっくりできる・・(院長の仕事ですけど…)・・
野菜たちには恵みの雨で、この夏、野菜、安くなるかな・・
梅雨の合間の晴れた日をすごくうれしく思える・・
黄砂で汚れた車がきれいになる・・

探せばあるものです。でも、これ以上、浮かびません。
出てきたいくつかも無理やり・・ですし。

梅雨のメリットを見つけるのに、時間かかってしまいました。

言葉って難しいですね。
今、SNSなど、口で話すこと以外に、コミュニケーションをとる手段が増えています。
それを正しく利用すれば、言葉も生きてくると思いますが・・。
でも、言葉を口で言うことと、文字に表すことでは、相手に対してのとらえ方が違ってくる・・。
口にする言葉は、表情や声のトーン、前後の会話で本当の伝えたいことが伝えやすいし、文字だけの言葉だと、伝わり方が「そうじゃなくて・・」と思うこともあります。

昨日は、この年齢になって、言葉の大切さ、その言葉の意味、伝わり方、伝え方、を再認識した梅雨の休日。
というのは、SNSで、30年近く前の学生時代の友人につながったこと、逆に、20年以上つながっている友人とのSNSでのやり取りで言葉の意味を私がうまくとらえられなかったこと。
喜びと複雑さの両方感じた1日でした。
何十年前は、メールもラインもフェースブックも、ありませんでした。
携帯もありませんでした。
携帯が出回りだした頃も、メールは1行メール。しかも、翌日に送られてきたり・・・。
本当に、便利になったけれど、なんだか忘れているもの、忘れてはいけないものもあるのかもしれませんね。

??
「梅雨」の言葉から、だんだんと関係ない内容になりました。
もうすぐ、うるさいセミの声と暑さがやってきて梅雨のわずらわしさを忘れてしまうのでしょうね・・・。
それがいいたかったのです(笑)
eri.hosoda

気分を変えて

最近のニュース、殺人、セクハラ、嫌な話ばかりです。
身近でも、浮き立つ話はなく、あ~そうなんだ・・・と考え込んでしまうことばかり。
年齢的にそうなのでしょうが、友人と話す時も、親の介護のことや身近な人が病気になった話・・。
仕事中は、笑えることも多いし、家族に不幸があったわけでもなく、平穏な毎日なんですが、こう毎回毎回、ニュースやワイドショーが暗いと、不安になってきます。

歩道を歩いていても、車が突進してきて死んでしまう。
公園を歩いていても、ピックで襲い掛かられる。
現実なんです。

細田クリニックでお産されたママさんとスーパーで出会い、少し立ち話。
まさか、自分の周りには起こらない事件と思っていても、いつ、自分の目の前に起こるかわからないよね・・と、走り回る子供を眺めながら、お話ししました。

母親教室でいつも、命の重さ、大切さ、というお話をします。
生まれてきて、大きくなってきたら、みんなで守ってあげなくてはいけない、大切な大切な命。
なのに、命を物のように扱う人が増えている、今の日本。
スーパーにも、コンビニにも売ってないし、1億円払っても、命は買えない。
命の重さ、とよく言うけれど、命の重さは、秤では測れません。重量でない重さ。
それを教えなくてはいけない、親の役目は責任重大です。
生まれたとき、(いつか、道で殺されるかも・・)とか、(歩道で無謀な車にはねられるだろう・・)、なんて、誰も考えていません。
まさか、人の命を殺傷する卑劣な人間になるだろう、自らの命を絶つ人になるだろう、とも、思ってないはず。
何が幸せかわからないけれど、みんな、与えられた家族で与えられた生き方を想像して、過ごしているのです。
なんだか、嫌ですね。

笑って過ごしたい。

そう思いながら、インターネットを触っていると、ある動画を見つけました。
内容は、暗いかも。明るく喜びとは全くかけ離れていますが、歌の流れと、命の生かされている奇跡を感じ、ウルっときました。
ほんの6分ほどですが、お時間あるときに・・・。

eri.hosoda