月別アーカイブ: 2011年2月

気分を変えて・・

滅多に音楽を聞く・・ということはしませんが、今日は、1曲紹介です。
ある方から、教えていただきました。
2年前のNHK朝の連続ドラマ「だんだん」 の劇中歌です。
私の好むボーカリストでもなく、心打たれるかどうか・・半信半疑で聞いた曲。
NHKもほとんど、縁がないので、もちろん、「だんだん」も見たことがありません。
その歌とは・・・・・


いのちの歌
作詞:Miyabi
作曲:村松崇継
編曲:前・康明


生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも たいせつな宝物


泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり


本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある


いつかは誰でも この星にさよならを
する時が来るけれど 命は継がれてゆく
生まれてきたこと 育ててもらえたこと
出会ったこと笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう


格好つけるわけではありませんが、すごく気持ちに染みこんでいきます。
ちなみに、作詞者は、Miyabi となっていますが、これは、竹内まりやさんのペンネームです。
文字で、読むとキザな分章に思いますが、茉奈佳奈さんが歌っている声を聞いてみる方が、ジワーと来るような気がします。
是非、You tubeで歌声を聞いてみてください。
この曲を聞いたときは、本当に人と人の出会いに感謝しながら生きよう・・と純粋な人間になります。
その曲を聴いた、その時だけかもしれませんが、ひと時でも、そういう気持ちになる事も必要な気がします。
そんな思いで、紹介しました。
eri.hosoda

バレンタイン

チョコ昨日は、バレンタイン。
若い頃は、毎年、チョコケーキを焼いていた私ですが、最近は、買ったチョコメインになってしまいました。
今年も、スーパーに売っているウイスキーボンボンを自ら選んでもらいました。

左の写真は、スタッフ一同から院長へ頂いた、チョコ。
話題の小山ロールのお店、eS KOYAMA。
すごくおしゃれなパッケージで、院長いわく、
チョコじゃないかも・・と思ったそうです。
箱イコール四角、ではなく、中は四角でも、外見は切り株のよう。本当に、素敵なチョコ。感謝です。
チョコに添えられていたプレゼントは、2つのタオル地のバンダナです。
写真は取れていませんが、女性の顔を洗うときに前やサイドの髪を上げる、そのバンダナです。
え???と、思われる方、あるでしょう。なぜゆえに、院長に・・。
スタッフは、よくわかってくれています。
帝王切開の手術は、生まれてくる赤ちゃんのために、部屋の温度を高くします。
そうすれば、汗が流れ出てくる院長。
その汗を吸収させるためのバンダナなのです。
いつも、手術のあと、どこかにまぎれて無くしてしまうのを見かねて、2つの新しいバンダナをプレゼントしてくれました。
帝王切開を受けられる方・・、術衣の帽子の下からちらりとバンダナが見えるはず。
さて、バレンタイン・・。
いつの頃からか、当たり前のような行事になっています。
私の小さい頃は、義理チョコや友チョコなんかなくて、本命一筋。しかも、いろんな種類はなく、ハート型のシンプルなものしかありませんでした。せいぜい、ホワイトチョコで文字を書くのが最大のおしゃれだったような気がします。
社会人になった頃には、義理チョコもドンドン大きくなり広がりました。
日頃お世話になっている方への簡単なお礼を兼ねたお印として盛んになったのでしょうか。
院長は、今年は、スタッフと私からの分、含めて6個。
家に帰って、子どもにうれしそうに自慢する父でした。
「研修医のときは、30個以上もらってた」と毎年バレンタイン恒例の名セリフもしっかり聞きました。
という、息子は・・。ゲットゼロ。
小学生の頃は、いくつか頂いて、お返しをしたのを最後に、今では、私からの親チョコのみになってしまっていました。
昨日、学校から帰ってくるなり「もらったか~?」と聞く私。
両手でバツをする息子をみて
「大丈夫か?」とマジに、心配した母でした。
すかさず「一生のうちに1回はもらえるって。僕も大人になるまでもらったことなかったし」とフォローする父。
そりゃ、一生のうち、1回くらいもらうでしょうが・・、大人になるまででも、本命にあげ続けた私にとっては、歯がゆい思いでいっぱいなのです。
その横で、ガサガサと父のもらったチョコを品定めする(自分が食べる分のチェック?)娘。
そのうち、男二人は知らん顔で、私と娘で、このチョコのお店知ってる・・とか、ここのケーキもおいしい・・と、スイーツ談義になったのでした。
eri.hosoda

悲しいこと

1月の末、偉大なM先生が亡くなられました。
京都第一日赤の新生児科の部長をされており、
京都府下の頂上、近畿管内関西地区の主要施設、そんなセンターの部長先生でした。現役でした。
院長と同級生で、友人です。
お見舞いに伺ったときも
「本当はな~、お金かかるし、大部屋でいいねんけど、病院がな~『先生、部長なんだからもちろん個室に入ってくださいね』と言われて、しゃーないし個室に入ってんねん」と笑いながら話しておられました。
そんな気さくな、やわらかい先生でした。
しかし、医師であっても病魔に勝てず・・・。
大切な存在を失い、産科・新生児科にとっては、痛手は大きいはずです。
細田クリニックにも、数年前、ヘルプに来ていただきました。
その後も、何人かの赤ちゃんを搬送して救っていただきました。
日本の周産期医療の質は世界一だそうです。それでも、救えない命はゼロではありません。それをいかにゼロにするか・・・。それは、産婦人科に従事する医師、助産師、看護師の課題でしょう。
しかし、どんな経過の中でも、時には何の予測もなく、未熟児や仮死の赤ちゃん、また、合併症を持って生まれてくる赤ちゃんはゼロにはなりません。
そうすれば、新生児科の先生にバトンを渡し、小児科として、医療を成していただく。そんな、繋がりで、命を救えたことも何度かあります。
M先生は、本当に新生児が、・・というより、医師の仕事が好きでした。
嫌がられる、年末年始の当直も自らやられていたそうです。
仕事を続けるには、体が資本・・と、自転車で何キロもの道のりを通勤しておられました。
天国に旅立たれる装束は、NICUの白衣と術衣。
天国でも、小児科医をされるのでしょうね?
きっと、この世で遣り残したこともあられるでしょうから、そちらの世界でも、バリバリと活躍されることでしょう。
そして、この世で生まれる赤ちゃんが、みんなみんな元気に生まれてきてくれるように見守ってくださっていると思います。もちろん、細田クリニックで生まれる赤ちゃんも・・。
天職、その言葉がぴったりだったM先生。
私たちは、まだまだその域には達していませんが、少しでも近づけるように、「今」をがんばって行きたいと思います。
合掌。
eri.hosoda