「三角から、ライオンになってるよ」
ある患者さんの小さな女の子の言葉。
心臓がドキンとするくらい、感動した言葉だった。
何のことかわからない人が大多数でしょう。
クリニックの壁にかかる1枚の絵。
オープン以来、そこにはずっと書画がかかっていた。筆で幾何学の絵のように三角が描いてあった絵。
私も含め、スタッフは、空気のような空間になっていて、そこにどんな絵がかかっているか、一生懸命思い出して、書画!とわかっても、三角だったのか、丸であったのか、なんとなく筆で書かれた絵、くらいしか思い出せない。
書画は、クリニックのダークトーンには、しっくり馴染んでいたのであるが、今回、全く書画と趣の違う、また、クリニックの雰囲気にそこだけひそかに浮きそうな、そんな絵に変えてみた。
が、こちらが言うまで、誰も気付かない。
気付いても、それまでにそこに、どんな絵が飾ってあったか、思い出せない。
大人の記憶はそんなものだ。
(余談だが、街の中で、更地になった土地を見て、そこに以前どんな建物があったのか全く思い出せないこと、よくあるのでは・・?)
そんな感覚だ。
しかも、外来の中での毎日は、何の変化もない。
院長が、20歳若返ったら、目立つ?
スタッフみんなディズニー系の衣装をして診察したら目立つ?
ありえない例えだけど、それくらい変化がないと、だれも気付かないと思う。
たった1枚の絵の変化に、小さな女の子は、あれ?って、純粋に感じたのではないかな。
診察室でお母さんに、
・・・・・・・・・「三角から、ライオンになってるよ」とつぶやいた。
子どもの視線、気付き、感性、三角からライオンという表現・・。こんな小さなことに感性豊かに、素直に気付き、お母さんに報告。きっと、上手に育てられているのだな、と思った。
その豊かな視野をすごく感激・感動し、大切にしてほしい、と思った。
大人になれば、気付きが減ってしまう。感動も半分になる。
その女の子にとって、三角の渋い書画から、キラキラするライオンになったことは、心に何か感じたのであろう。
絵を変えたしばらくは、
「やはり、あの場に不釣合いだったかな?」
と思っていた(院長が気に入って買った絵ですが)が、一人の女の子の発言で、救われた。
外来診察に来られた方、まだ、気付かれていない方、子どもの観点にもどって、クリニックの中を見渡して下さい。
そして、以前飾ってあった、三角の書画を、スタッフのよく通ることろに移動させたわけだが、まだ、気付いていないスタッフもいることも事実。
子どもの感性のまま、大人になることは難しそうだ。
eri.hosoda
月別アーカイブ: 2009年5月
新型インフルエンザ
4月後半より、ニュースでは見たり、聞いたりしていたが、実感がなく今日に至っていた。
ここ2~3日のニュースでは、どの局も、道行く人々のマスク姿や修学旅行の中止の話題が報道されている。
新幹線のホームまで行って、その場で校長先生から「今回の修学旅行は中止になりました」と言われた学校の生徒さんたち。泣いていた。しかも、受け入れ先の旅館や観光地から「関西方面の方が来られることは困ります」と言う理由で。悲しいだろうな。理由はわかっていても、一生でその修学旅行はたった1回なのに。
また、会社や学校が休みになっているところもある。
ある、サラリーマンが「今日出社したら、会社に発熱者が出たということで、休みになりました。自宅に帰ろうと思っていたんですが、妻が妊娠中で、しかも、上の子どももいるから、菌を持ってくるから帰ってこないで。と言われて、今、途方にくれています」と話していた。それで、本当に拡大が防げるのだろうか。
大阪、兵庫の話とはいえ、となりの京都でも、受ける影響は大きい。
全国からは、関西方面で広がっている、として捉えているため、関西以外の親戚や友人から
「大丈夫?」と連絡が来る。
まだ、京都では、そんなに大きな変化はないように思う。
今日、銀行に行ったが、行員は誰もマスクをしていない。ATMに並ぶ10人ほども誰もマスクの人はいなかった。
逆に郵便局は、職員全員マスク着用。お客さんは20人ほどの中で1人だけマスク着用。
クリニックの近くの大学に通う学生さん何十人、いや、100人は越えてそうな集団とすれ違ったが、マスク着用者は、10分の1ほど。
やはり、大阪や兵庫のように、マスクをしていない人を探す方が難しい状況よりは、京都はまだまだ、ゆるい。
しかし、知らん顔もできない。
クリニックでも、玄関に手指消毒液を置き、外からの来院者の方に徹底して手指消毒を行ってもらっている。
もちろん発熱者には、受付に1番に声をかけてもらう呼びかけてもいる。
マスクをする理由は、飛沫感染を恐れるからであるが、くしゃみや咳をしても、1~2mしか、ウイルスは飛ばない。人と人がどうして感染するかは、ウイルスを持っている人の触ったものや唾液が飛んだものに他の人の手を介してうつることが多い。
だから、うがいだけでなく、しっかり、手洗いをすること、外出後、人と接したあと、うがい手洗いを習慣付けたいものだ。
それは、今回のインフルエンザだけでなく、日常でも・・。
そして、草なぎ君逮捕のときも同じであったが、報道だけで振り回されないでほしい。こういう事態に慣れていないのもあるが、行き過ぎな報道も感じる。
関西人をバイキン扱いのように扱っている、ある九州の市長さんのインタビューも目にした。関西に修学旅行でいった高校生は、何の症状もなくても出席停止と言い渡したそうだ。「それは当たり前でしょ。市民を守るためです。本当は帰ってこないで、そちら(関西)で待機していてほしかった」と堂々とマイクに向かって言い切っておられた。市民を守る正義の人と思って発言されているのであろうが、そのマイクを向けている記者たちは全国を飛び回っている人であり、関西の人もいるであろうに・・。
こんなパンデミックを想定したような、発言や報道はどうなもんだ・・と疑問に思うところも多いが、最低限できる防御はし、一人ひとり自分の身を守る意識を持ちながら生活すれば、どこかで歯止めがかかり、火の勢いが衰えてくることだろう。それを願っている。
eri.hosoda
こどもの日
5月5日、こどもの日。
男の子の節句。
少し前に生まれた男の子のおじいちゃんが、
今度の5月5日は初節句になるのかな~と話しておられた。
さて、生まれて数日でも初節句なのか、来年なのか、わからないけど、
おめでたい子どもの日として、お祝いされていることだろう。
何年か前に、我が家で子どもに聞かれた。
「何歳までこどもの日なん?」と。
その頃のこどもが聞きたかった意味は重々わかっている。
こどもの日には、「みんなでどこかに出かけようか」とか、「今日は食べたいもの何でもいいよ」と子ども中心に回る日。いつまででも続けばいいなあ、と思っていたのであろう。
しかし、親の忙しさもあるけれども、子どもの親離れからか、いつの年からか「今年の子どもの日はどうするの?」とは、言わなくなった。いくつになっても、子どもは子どもではあるが、親とどこかに行く、という行動を嫌がる(←までいかなくとも、親との行動を喜ばなくなってきたのだろう)そんな年齢になってきたのだ。
ある意味うれしいこと、親としては子どもの成長として受け取れることだ。
いつまでも親と一緒、も、心配にものなるし、親の姿より大人になった子どもの口から「今年の子どもの日はどうするの?」と言われる光景を想像すると、若干引いてしまいそうにもなる。
昨日買い物中、スーパーで菖蒲の葉が売られているのを見て
主人が「今年はこれ買わないの?」と眺めていた。
子どもが小さいときは、子どもの日だけでなく、いろんな日本の昔からの言い伝えを教えるために、できる範囲で日本行事を行っていた。
菖蒲湯に入って、強い男の子になってくれ、ということだよ、説明しながら、1番風呂の菖蒲湯に入らせたり。
しかし、さすがに、もう、いらないだろう。
主人よりたくさん食べるし、骨格も主人を超えたし・・・。
でも、子どもが大人になって、子どもができたとき、スーパーに売られている菖蒲の葉を見て、自分の子供のころの親心を感じてくれたらな、と思う。
(注*まだまだ、おじいちゃんおばあちゃんにはなりませんけれど・・・)
eri.hosoda