月別アーカイブ: 2008年5月

ある外来

それは細田クリニックの話ではない。
近くの開業医さん。
私の体のことで、数年前からお世話になっている。
定期的に受診はしていたものの、油断してたのか、ドカンととばっちりを自分の体に受けてしまった。
スタッフに迷惑をかけたことや、その先生から主人に話しがある、というほど・・になっていたことに反省。
それで、主人と私はその医院で診察順番を待つことになった。
たくさん待っている患者さん。
コクコク居眠りをされている方、雑誌や本を読みふけってる方、などなど。
その間にも次から次に入ってこられ、15席ほどの椅子は、常に埋まっている。
もちろん、私はその日、予約外で受診のため、後から来た予約の方が優先、というのはわかってはいるが、2時間は待った。
私の順番が来るまでの2時間、待っていらっしゃる患者さんは、誰一人、まだ?と受付に行かれることはない。夜の7時外来受付終了時間になっているが、このままだと明らかに10時近くになるだろう。
もちろん、小さいお子さんやしんどい方がおられないのは、待てる理由であろうが・・。1時間半待ちで、「今日は早いな・・」と独り言を言いながら、入っていかれた方もある。
そして、私も、中に呼ばれた。
「ご無沙汰やね。今日は、マシか?」
ゆっくりと先生が話し出され、ゆったりと、流れている診察室。
先生は、話を聞きながら、時々、背もたれに深くもたれ、こちらを向き、笑顔で話をされる。本当は、厳しい先生なのだが。
看護師さんも、せかせかしていない。
外に10人以上の患者さんが待っている、という慌しさはない。
10分くらいの診察時間。
でも、診察の後は、「待たされた」という感覚は全くなかった。
しっかり診察を受けた、という満足感があった。

その感覚。

きっと、そこに通われている方、みんなあるのだろう。
だから、いつ順番が来るかわからなくとも、待てるのだろうし、先生が信頼でき、診て欲しいから、待つのだろう。
待たされるのではなく、自ら待っているのだ。
主人も私も、すごく、教えられた。
細田クリニックでも、来られる人数が増えれば、必然的に待っていただくことになる。途中でお産があれば、さらに、待っていただかなくてはならない。
来られる患者さまに、「今日の午前は、もう、50人診たので、それ以後の方は診ません」や、「今日は多いから、急いで診ます」なんてことはありえない。来られる患者さまはみなさん、自分を診てもらうために来られている。だから、何人来られても、丁寧に、穏やかに、満足いくように、その目の前に座られた方中心の診察をすることを意識してやらなくてはいけないのであろう。当たり前のことだし、日ごろ意識は充分している。しかし、自分が待つ立場になって、再度、痛感したことだ。
産婦人科はみんな選んでこられる。
選ばれなくなったら、産婦人科をやめなくてはならない。それは、産婦人科として魅力がない、ということ。やっている意味・価値を評価してもらってないということ。
散髪屋さんに、だれも散髪しにこない、喫茶店に誰もお客が来ないのと同じ。来て頂ける方が少なくなり減っていけば、実際問題経営だって成り立たない。
今、たくさん来ていただくということは、いろんな面で、細田クリニックに行こう、と選んで来てもらっているのだから、待ち時間(短くする努力は常に最大限しています)があっても「やっぱり診てもらってよかった」という思いで帰っていただかなくては、と痛感した。


                                  eri.hosoda







老い

連休も終わり、五月(さつき)というより、初夏を思わせる日々である。
半袖でも、長袖でも、どちらでもOK、夜も暑くもなく、寒くもなく心地よく眠れる。
しかし、目が覚めたとき、「今日○○さん陣痛来るかな・・」「今日は△△さん退院だよね。」これが、主人と私の最近の寝起き第一声の会話。
いい天気だから、今日は、布団乾そう、とか、出かけよう、という会話は疎遠になっている。それでも、5月は気持ちよい。
そんな毎日の中、私たち家族にも大きな変化はあった。
日々食事も掃除も儘ならない私だが、プラス、父の介護が加わった。
プライベートなことだし、このページで書き記す内容でもないが、大変な反面、プラスで思えることも増えた。
毎日、「おめでとう、よかったね。」と元気に、家族の一人として生まれてくる赤ちゃんを見て、そして、父(正確には義父・・)に会いに行くと、人としての最初と老いの両方を有ありと感じる。
さっきまで、赤ちゃんがどうしたらおっぱいがうまく吸えるか?どうしたら、お産が無理なく進むか?と考えていた頭を、父に会いに行くときは、どうしたら、父のプライドを損ねず、着替えたり、会話したり、おしもの処置をしようか・・と考える頭に入れ替える。
(しっかり切り替わっている自分に少々自信があるが(’v’)V(笑))
ふっと行き帰りの道中、思う。
今、元気に生まれてきた赤ちゃんもいつしか老いを迎える。赤ちゃんの老いを考えるには早すぎるが、お産を終えたお母さん、その傍らのお父さん、そして、待合で待っておられるおじいちゃん、おばあちゃん。
クリニックで出会う光景は、おばあちゃん、おじいちゃんといっても、お若くて、老いどころか、まだまだ、お孫さんの面倒もばっちり任しておいて!と言う方ばかりだ。
それでも、何十年後は、この家族という枠組みの中でみんな老いを迎える。
その土台である家族のスタートは今クリニックの中で始まっている。
すごく大切な場面であり、私たちの一言や笑顔や行動が、新しく出来上がっていく家族の始まりに一瞬でも影響しているのかもしれない。
私も、数年前まで、介護なんて、考えもしてなかったし、父も「絶対に世話にはならんよ」と言い張っていた。
しかし、老いは待ってくれない。最終的には家族の中で、子供の成長も見守りつつ、老いにも携わっていかなくてはいけない・・・。絶対にみんな・・・。

そんなことを考えながら、今日も父の笑顔を見に行った。そして、プライベートな思いでごめんなさい。
                              eri.hosoda