3月も、もう終わろうとしている。
今日は昨日までの暖かさとは反対に、冷たい雨が降ったりやんだりしていた。
こうした「また冬?」と思わせる日があるからこそ、暖かい日はありがたく感じるのであろう。
でも、人間は人によって、体感温度が全然違う。
クリニックの中で働くスタッフも、同じ空間にいるの?と思うくらい感じ方がそれぞれ違う。
たとえば・・・
院長は、誰より暑がり。外来に勤務する看護師も中には、院長と体感が同じで、真っ赤な顔して水を飲み飲み、働くスタッフもいる。そういう時は、院長も「仲間だ!」とばかり、「今日は暑いよね、特にここだけ暑いよね?」と同意を求めて、エアコンの温度を下げようとする。
反対に、私は強烈な寒がり。いつも手足は冷たく、病棟から外来の方に顔を出すと、「外来寒くない?」というものだから、院長は怪訝な顔をする。
実際に外来診察場の院長の席は、超音波のモーターの後ろであり、内診室と診察場を何度となく行ったりきたり。さらに、しゃべるという行為も体の発熱パワーを助長するのであろう。でも、本当に私は、「さむ~~」と感じるのだから仕方ない。
手術のときも、密室になる手術室で、看護師は、看護の仕事プラス院長の吹き出る汗を拭くという仕事も加わる。そこでも、「ここは暑いよ」という看護師がいれば、「やったあ」っとばかりに、「やっぱり暑いよね!!!」と、自分が標準で間違ってないんだ、かのようにいう。
スタッフの中だけでも、さらに、私たち夫婦2人だけでも、体感温度が違うのだから、1日何十人来られる患者さまや妊婦さまみなさん、クリニックに入られれば、感じ方は違うと思う。
そのあたりは、「暑がりの院長と、寒がりの私」以外の看護師やクラークの意見で温度設定をするよう心がけよう。
なぜなら、院長が決めれば、早くからクーラーがかかり、私が決めれば、いつまでも冬の設定のままでいそうだ。
一昔前なら、窓を開けたり少しだけ風を入れたり、カーテンを開けたり日よけにしたり、大変だったのであろう。エアコンがあるだけ救われる。
忙しさの中にも、こんな、たわいない会話が起こるクリニック。平和な証であろうか・・・。
eri.hosoda
月別アーカイブ: 2006年3月
フラワー
やっと春らしい気候になってきつつあり、服装もダウンジャケットから、スプリングコートの方が着やすくなってきた。
初めて、クリニックの窓から見える天神川の桜並木をすごく楽しみにしている。
桜は、あっという間に満開になり、雨が1晩降れば、地面がピンク色になって、散っている。それだけに、一番いい時期を逃さないように、いつが咲き時かを見逃さないように、と思う。
何歳の頃からか、花が好きだ。土植えをしたり、育てたりするのも好きだが、フラワーアレンジメントも大好きで、去年インストラクターの資格も取った。
でも、クリニックの中に花を飾るのはすごく大変で、冬は暖房を入れていているので、乾燥してしまい、1日で花をダメにしてしまっていた。
今の季節は、長持ちする温度なので、花の色もきれいに生えている。
夏は、冷房を入れるから、また、花の寿命を変えてしまうかもしれない。それはそれで、手入れが大変だけど楽しみだ。
あるクリニックにお邪魔したときに、
「やっぱりクリニックの中はエアコンが24時間入っているので、花は無理。グリーンの葉っぱ類か、観葉植物が精一杯」
と教えてもらった。冬の真っ最中は私もそう思っていた。でも、今は、長持ちしている。汚いイメージにならないように気を配ることも大変だが慣れれば楽しい。
花は、手入れによって、寿命を変えてしまう。
何ヶ月か前に、子供が学校の授業の中で、生け花を学ぶ、という名目で、花を4~5本空き缶に挿したそうだ。
学校から帰ってきて
「今日学校で生け花したで~。」というので、
「へ~。で、その花はどうしたん?」
と聞くと、
「もう、終わったし捨てる。」
と言いながら、かばんの中の本と本の間からくちゃくちゃになって、押し花寸前の花を出してきた。学校では、花を生けることを教えても、生き物である大切さまでは教えないのであろうか。私は、すごく怒ってしまった。
「花も生きてるんよ!!そんなことが何で平気でできるの!弱いものいじめとか、殺人とか、うちの子に限って・・・言うけど、これもいっしょ!」と・・・・。
すぐに、小さいビンに挿してやり、キッチンの隅においてやった。何気ない、カスミソウとスイートピーだったが、折れた茎もワイヤーで補強してやったら、それから一ヶ月きれいに咲いていた。
こんな些細なこと、たかが花数本と思っていても生きている証である。
私のおこづかいで買える花くらい欠かさず、クリニックの中に咲かせていたい。
eri,hosoda
おめでとう!
昨日、スタッフの一人が結婚式を挙げた。
細田クリニックスタッフの中で第一号の「寿さん」である。
彼女は、クリニックをオープンするにあたり、初めてスタッフの顔合わせを行った11月1日に結婚がきまり、次の日に報告してくれた。
初めてクリニックが動き出そうとする第一歩の日に、おめでたいことは何よりうれしかったことを覚えている。
クリニックには、院長を除いて女の園。
独身女性もたくさんいるし、妊娠希望の女性もたくさんいる。
年齢はさまざまであるし、人生いろいろ・・・♪という歌があるように、いろんな人の集まりだ。性格もみんなバラバラ。だから、その集まりはいろんなことがあるから、楽しい。それぞれのいろんな人の話を聞いて、しゃべっているとおもしろい。
20人のスタッフが20個の楽しい話しをしたら、20回笑える。
20個のつらかった話しをしたら20回考えさせてくれる。
だから、これから先、何人の結婚・出産を迎えるであろうか、と考えると、それだけでもうれしい。それだけでなく、まだまだ、いろんな夢や希望を持っている人もいる。自分だけでなく、子供さんの将来を夢見てる人もいる。
どんどん、うれしいこと、おめでたいこと、増えたらいい。
希望が叶えればいいなあ、と思う。
幸せに感じている人を見るほど、うれしいことはない。
おめでたいことは、心から祝福してあげたい。
ずっと以前、「自分が幸せだと人の祝福が心からできる」という、新聞記事か、何かで読んだことがある。
当たり前のことである。その当たり前が、意識して感じることは今まであっただろうか。
なぜなら、今、こんなに忙しくても、どんなに悩ませることがあって、考えることがあっても、(もう1つ言うなら、果てしない借金があっても・・・) 他の人の幸せな姿をみて、本当に、心から、よかったね!と思えることは、自分が、本当に恵まれて、幸せなのであろう。
eri.hosoda
今と昔
最近、キッズコーナーで子供たちと遊ぶことが多い。病棟の仕事分担がなく、あえて夜でもできる事務仕事をやるなら、外来に来ている子供たちの顔を見に行く方がうんと楽しい。
(こうして事務仕事が残っていくのだが・・・)(:_;)
2・3才くらいから小学生になってそうな子供たちも結構多いが、さすがに、昼間は2,3才くらいの子供たちがほとんどだ。
どこの子供たちも、アンパンマンの登場人物を知っている。
歌も、リズム良く体を動かしながら歌える。
テレビ画面にだんだん引き込まれて近づいていく様子がわかる。
そして、何冊かある絵本も一緒に読む。
ある日4人の3才の子たちと 1冊の絵本を読んでいた。
2本のDVDを見て、アンパンマンを思う存分歌い踊った次に絵本、だったから、飽きたりしないかな?と
絵本の内容を元に、私の言葉で読んでいた。
「ぐんぐん おおきくなりました。」というところを
「さあ、ぐんぐん、ぐんぐん大きくなりました~どこまで大きくなるのかな?まだまだ大きくなるかな?」
と色付けして読んだフリをしたら、
「ちょっと~、そんなこと書いてない~。ぐ・ん・ぐ・ん お・お・き・く・な・り・ま・し・た・だけしか、書いてないよ。」と、読んでくれるのです。
「うああー、大人やのに字、間違えた~」
「ま~ちがえた~まちがえた~」
4人で声をそろえて、しかも面白がって手を叩きながら笑って言われた。
私のころは、1年生になるまでに、自分の名前をひらがなで書けるのが精一杯だったような気がする。
すごい!字が読める!3才!!もうすぐ4才になるにしてもすごすぎる!!
さらに、追い討ち!
私 「ここに男の子は何人でしょうか?」
子供たち 『ひとり~』
私 「正解!では、女の子は何人ですか?」
子供たち 「3人!!」
私 「え~?4人でしょ、ほら、1,2,3,4・・」と私を含めて数えた。実は疑いもなく答えた私。子供たちが間違っていると思った。
子供たち 「看護婦さんは、女の子じゃないでしょ。おとなの女でしょ。」
私:(そりゃあ、私は子どもじゃないが・・・・・)
すごすぎる。「女の子」は大人には関係ない、と言い訳できる頭のよさ、回転の早さ。3才でなんでこんなことわかるのだろうか。
あの子たちが、大人になれば、どんなに、教養豊かな人になっていってくれることであろうか。
細田クリニックのキッズコーナーで、字が読めて、私を女の子じゃないよ!と言った事、何年か経って覚えてることはないだろうが、私は絶対忘れない。あの子たちの無邪気な本能が大好きだ。
これから先も、このキッズコーナーで、驚きに近い発見や出会いがありそうな予感がする。
eri,hososda
ドラマ
最近ゆっくり座ってドラマを見る時間がない。
先日、「夫はまったく目が見えず、耳も聞こえない。私の顔も声も知らない」というドキュメントドラマがあった。
絶対見ようと決めていたが、クリニックに急患の患者様がこられたため、ビデオにとって夜中に見た。
久しぶりに泣いてしまった。
見られた方はわかるでしょうが、目も見えない、耳も聞こえない、というご主人と寄り添う妻の夫婦愛のドラマ。
私が一番感動したのは、奥さんは、そんな障害を持つご主人に惚れて結婚したにもかかわらず、疲れてきて、ご主人に言いたいことを全部ぶつけて、家を飛び出した。そして、実家にいる兄に弱音をはいた。
そのとき、兄は「全部いいたいことを言えてこそ初めて本当の夫婦になれたんだよ」と答えた。
障害を持つ夫といる妹に、お兄さんは普通の夫婦に語るのと同じように返答をされたのだ。「そうか、やっぱり、目も耳も不自由な人と生活するのは大変なんだ。結婚する前に言ったじゃないか」とは、言われなかった。
まだ、クリニックでは、障害の方の妊娠・出産はない。婦人科疾患の方でも来られていない。でも、もし、明日来られても、普通でいいんだ、と思った。
私は数年前、ある薬の副作用で、まったく両手と上半身が動かない何日間を経験したことがある。その間、主人は私に食事も食べさせてくれたし、歯磨きもしてくれたし、寝返りもさせてくれた。生きていく上で手を必要とすることを全部やってくれた。そのときの私は、気も弱っていたのか、治るという診断がつかないときは、「このままだったら離婚しよう・・」と思っていた。でも、この話を主人にすると、「離婚なんてする理由がない」と言ってくれた。逆の立場だったら私も同じことを言うのもわかっているが、このままでは夫婦ではないって錯覚していた。
今はほとんど後遺症は残らず、日常生活は全く普通で、こうしてパソコンも打てる。だから、つい健常である事が、空気のようになっていた。
もし、私が、あのままであったらどんな夫婦であったであろうか。生活は変わっていただろうが、気持ちは変わらないであろう。
あのドラマを見て、さらに自分を振り替えってみて考えた。クリニックに来られる方々の中で、どんな障害を持っておられる方であっても、それは、個性であって、何も困らず対応できる気がする。たとえば、よくしゃべられる方にはたくさん話を聞いてあげたいと思うし、ドアが重くて開けられないお年寄りにはあけてあげようと思うし、声が聞き取りにくい方には、近寄って話を聞こうと思う。だから、同じように、目が見えない方には見えるように案内しよう、歩行が困難な方にはスムーズに動ける手助けをしようと思う。それで、いいのであろう。
これは、当たり前のことなのであろうが。
eri,hosoda