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夏本番

7月半ばから、なんとも言えないギラギラした太陽、肌が焦げていきそうな暑さ、エアコンなしでは寝られない夜、が続いている。
今年は、ガソリン値上げで、車での移動が減っている、飛行機での海外旅行も思いのほか伸びない、というニュースも聞く。
そうすれば、少しは、地球温暖化に貢献できるような気もする。
百貨店でも、地球温暖化のため、冷房の温度を若干上げているところもある。
(それでも充分涼しいから、今までいかに無駄なことをしていたのかがわかる)
本の些細なことかもしれないが、やらないよりまし。一人一人が些細なことでもやれば何らかのパワーになると思う。
数日前、ニュースだったか、トーク番組だったか忘れたが、おかしな光景をテレビで見た。
地球温暖化や、リサイクル、ガソリン値上がりなどを問題にして、政治評論家たちやタレントが、もっともらしい討論をしている。
「このままだったら、何十年先には想像もできない環境破壊、ひどい日本になっている」とか、
「ひとりひとりが今、地球温暖化について考えないといけない」と・・・。
しかし、その場面にいる人たちは、長そでのカッターシャツにネクタイ、背広を着ている。そんな姿で、身振り手ふりで激しく訴えているにも関わらず、涼しげな顔で、汗ひとつ見られないということは、そのテレビスタジオはガンガンに冷房をかけているのであろう。
自分のやっていることと、口で言ってることが違うことに気づいていないのかな?と思う。
きっと、このテレビ収録が終われば、また、エアコンガンガン状態の車で移動するのであろうなあ、と思った。
生活が便利になっていき、我慢がなくても楽に生活できる今。
どんなに暑くても、生きていける工夫や快適に過ごせる手段はたくさんある。
それが考える脳を持つ人間のいいところでもあり、動物と違うところであろう。
でも、感情もあり、優しさもあり、知恵もある人間だから、もっと先々のことも考えて、このままではいけないこともわかっていかなくてはいけないだろう。
今つけているエアコンの温度を2度上げるだけ、過剰包装をやめてゴミを少なくする、緑を増やす、ちょっと出かけるときでも電源をきる、みんなやれば、絶対効果はあるはず。
私たちが生まれたころ、小さかったころは、エアコンなしの家は普通にあった。この何十年でこんなに変わった。住みやすくなった。しかし、今、生まれたこどもたちが大人になったとき、本当に住みやすいのかな。
環境において、以前の不安のない生活が取り戻せるように、今の大人たちがなんとか辛抱していってあげなくてはいけないのだろう。
すごく簡単なことだが、すごく難しいことなのかもしれない。
       eri.hosoda

ホームページ・リニューアル

数ヶ月前から、ホームページのリニューアルに向けて取り組んで、やっと。
まだ、作成途中で、完成ではないが、ほぼ形ついた。
(もうすぐ院長の写真をチラリと組み込む予定)
イメージは変わったが、内容はほとんど変えてない。
ホームページのあり方は、個々によって違うと思うが、1年やそこらでリニューアルするものではない。(と思う)
言葉があらわすように、ホーム=家。
家はそんなにコロコロ変えるものではないし、見ていただく方へのイメージの浸透が目的であるから、新しく、1年や2年くらいで変えることは、ホームページの役割をなさないと思う。
今回、丸々3年で、リニューアルしようと思ったのは、これから先、長く愛着を持ってほしいから。(&実は、金銭的な理由が大きかったのだが・・・・)

この、ブログが、単なる私のほんの一瞬の思いをタラタラと書き記すだけであるが、アクセス数が去年の倍以上になっていることは、すごくうれしい。
よく、「書くの大変でしょ?」と言われるが、時間もほとんどかからず、数分で、下書きもなくそのままなので、苦痛ではない。
むしろ、その時の自分の気持ちを言葉にすることによって、気持ちが清書されるように思う。
言い換えたら、言葉にすることで、少々自分の思いを美化しているのかも知れない。
でも、それも、いいんじゃないかな?と思う。その思いは嘘ではない。人に伝えるには、言葉を選んでしまうのは別にいいのではないかな、と思う。
言葉で伝えたら、それから、私を知らない方が読んだら、
「すごくいい人が書いてるのかな?」と思われるかもしれないが、全然そんなことはない。
普通の○○才の一人の主婦。普通のお産をお手伝いする助産師。
家や仲間の中では、とぼけたことを言うし、結構頼りなく、スタッフからは「ちょっと~、もう~!」と言われること多々。
こんな私でも、文章で表すことは、自由なこと。
これからも、書き続けたい。

そして、何年か先に読み起してみて、クリニックの初心になればな~と思う。
                           eri.hosoda

ホームページ

2年半このホームページで馴染んでいただいていましたが、近日中に、リニューアルすることになりました。
新ホームページは、それぞれの文章は、基本的にはあまり大きくは変わっていません。
それは、オープンした当初から、志・思いは変わっていないからです。
初心忘れず・・というところでしょうか。
もちろん、それぞれ文章を再構成しようと考えもしましたが、結局たどり着くのは、今のオープン当初からのホームページの文章内容と変わらなかったわけです。
よって、大きく変えず、インパクトだけをチェンジすることにしました。
あまり期待せず、でも、楽しみに待っていてください。 


ブログはそのまま継続できることになっています。
毎日のアクセス数が日に日に増えています。すごくありがたいことと思います。
もっと、幅広い内容で投稿できるように、がんばります。
とりあえず、ご報告を(・u・)/
                             eri.hosoda



育てる

秋葉原の事件、記憶に残りそうな事件だ。
この事件によって、数名の方が亡くなられた。
命が知らない間になくなってしまう。何の予告もなく、一瞬にして消え去る命。
無くなった方々は、何が起こったのか、さっぱりわからず、この世を去られたのかもしれない。そんな酷い事件。たった一人が起こした戦争以上に怖い事件だ。
あの、犯人が静岡から東京ではなく、京都に来ていたら、そして、四条河原町の交差点の赤信号を待つ人の雑踏に車を突っ込んでいたら・・・。
考えたらぞっとする。そこに家族がいたかもしれない。私がいたかもしれない。
知っている人がいたかもしれない。
こんな事件が起こらないように、こんな犯人がまた出現しないようにして欲しいものだ。と、いつも事件があるごとに思うのだが。
・・・・・・はて、どうしたらよいのだろうか。
繁華街に行かない?そんなこと出来ない。
すれ違う人みんなを警戒しながら歩く?そんなの疲れる。

とりあえず出来ること。みんな、一瞬でも考えなくては。
・・・・・・・・友達や人と人のつながりを大切にする。
誰にでも、出来そうだ。友達はすごくいい。いつも励ましてくれる。応援してくれる。一人じゃないと思える。
仕事上の友人。私よりうんと年上のおかあさんのような存在の人、友達感覚で話せる人、年下なのにいろんなこと教えてくれる人。何でも話せるから、気分が和む。助けられてるな、と思える。
こられる妊婦さま、患者さま、いろんな方がおられる。自分のことを振り返り、置き換えたり、自分の反省になったりして、自分の生き方に大きな影響を与えているなと思う。
家族、どんなことも耐えてくれる。本能のままでいられるな、と思える。
そんな、人々のつながりがあれば大切に思っていたら、一人で悩むことなく、たとえ、悩んでいても誰か気づいてくれるのかもしれないと思う。逆に、私の周りにいる人にも同じ思いで接しなくては、と思う。
・・・・・・・・そして、何より家族の役割をもっと見直さなくてはいけないのでは、と思う。
夫婦、何でも言えなくては・・。
子ども、責任持って大人にしよう・・。
この事件では、すごく子どもを育てることの大変さを痛感した。
秋葉原の犯人に関しても、幼い頃の親の育て方が、メディアで報じられている。
親は、子どもに期待して当たり前だと思う。どうでもいいや、なんて思いはどの親もないはず。
なのに、犯人のような人間ができてしまったのだろう。
私は、いつも、子どもに言うこと。
それは、勉強しなさい、と言うときも(滅多に言う時間がないのだが、目に余るときはその場で言う)決して、私や主人のためでなく、自分のためにやる、ということを言う。
よく、子どもに聞かれる。数学の因数分解が出来たことが、大人になって役に立つの?と。私の答えは、因数分解が大切なのではなく、その問題をわかるように、自分で考える、判るように努力すること、と言う。英語の単語も覚える工夫をし、努力すること、それが大切だ、と言う。
勉強とは、その過程が勉強であることを判らせるため。
(だって、微分積分なんて、化学記号なんて全く今の仕事に必要ない・・)
あとは、社会にでて、人と接して生きていくことの大切さ、それが、こどものしつけだと思う。それが、一番大切な親の役目ではないかな、と思う。
清潔さ、まじめさ、嘘をつかない、礼儀、やさしさ、常識、そのほか、親としてしつけることは、親のためでなく、本人のために言っているのだ。
私のよく使う言葉、「そんなことしてたら、将来彼女できたらすぐに嫌がられるよ~」とか、「社会人になったらそれは許されないんよ。」
子どもは、「わかってるってば・・」とめんどくさそうに言うが、絶対大人になったとき、親になったときわかってくれると思う。
この前、よく話すスタッフと笑いながら話していた。
私らって、親と似てきたよね、親と同じこと子どもに言ってるよね、と。
そうやって、親のありがたさがこの年になってわかり、子どもを社会に送り出す責任があることも痛感するのだ。
親の一言、思いは子どもの将来を覗かせているのだ。
秋葉原の事件はいろんな考えを夫婦で、そして、子どもと話す、いい機会だろう。
小さい子には無理だろうけど・・・。
                   eri.hosoda


ある外来

それは細田クリニックの話ではない。
近くの開業医さん。
私の体のことで、数年前からお世話になっている。
定期的に受診はしていたものの、油断してたのか、ドカンととばっちりを自分の体に受けてしまった。
スタッフに迷惑をかけたことや、その先生から主人に話しがある、というほど・・になっていたことに反省。
それで、主人と私はその医院で診察順番を待つことになった。
たくさん待っている患者さん。
コクコク居眠りをされている方、雑誌や本を読みふけってる方、などなど。
その間にも次から次に入ってこられ、15席ほどの椅子は、常に埋まっている。
もちろん、私はその日、予約外で受診のため、後から来た予約の方が優先、というのはわかってはいるが、2時間は待った。
私の順番が来るまでの2時間、待っていらっしゃる患者さんは、誰一人、まだ?と受付に行かれることはない。夜の7時外来受付終了時間になっているが、このままだと明らかに10時近くになるだろう。
もちろん、小さいお子さんやしんどい方がおられないのは、待てる理由であろうが・・。1時間半待ちで、「今日は早いな・・」と独り言を言いながら、入っていかれた方もある。
そして、私も、中に呼ばれた。
「ご無沙汰やね。今日は、マシか?」
ゆっくりと先生が話し出され、ゆったりと、流れている診察室。
先生は、話を聞きながら、時々、背もたれに深くもたれ、こちらを向き、笑顔で話をされる。本当は、厳しい先生なのだが。
看護師さんも、せかせかしていない。
外に10人以上の患者さんが待っている、という慌しさはない。
10分くらいの診察時間。
でも、診察の後は、「待たされた」という感覚は全くなかった。
しっかり診察を受けた、という満足感があった。

その感覚。

きっと、そこに通われている方、みんなあるのだろう。
だから、いつ順番が来るかわからなくとも、待てるのだろうし、先生が信頼でき、診て欲しいから、待つのだろう。
待たされるのではなく、自ら待っているのだ。
主人も私も、すごく、教えられた。
細田クリニックでも、来られる人数が増えれば、必然的に待っていただくことになる。途中でお産があれば、さらに、待っていただかなくてはならない。
来られる患者さまに、「今日の午前は、もう、50人診たので、それ以後の方は診ません」や、「今日は多いから、急いで診ます」なんてことはありえない。来られる患者さまはみなさん、自分を診てもらうために来られている。だから、何人来られても、丁寧に、穏やかに、満足いくように、その目の前に座られた方中心の診察をすることを意識してやらなくてはいけないのであろう。当たり前のことだし、日ごろ意識は充分している。しかし、自分が待つ立場になって、再度、痛感したことだ。
産婦人科はみんな選んでこられる。
選ばれなくなったら、産婦人科をやめなくてはならない。それは、産婦人科として魅力がない、ということ。やっている意味・価値を評価してもらってないということ。
散髪屋さんに、だれも散髪しにこない、喫茶店に誰もお客が来ないのと同じ。来て頂ける方が少なくなり減っていけば、実際問題経営だって成り立たない。
今、たくさん来ていただくということは、いろんな面で、細田クリニックに行こう、と選んで来てもらっているのだから、待ち時間(短くする努力は常に最大限しています)があっても「やっぱり診てもらってよかった」という思いで帰っていただかなくては、と痛感した。


                                  eri.hosoda