年別アーカイブ: 2011年

偶然

「偶然」とは、たまたま・・とか、予期せぬことが起こることですが、クリニックの中で、まさに「偶然」という言葉がピッタリの出来事がありました。
分娩予定日が数日違いで、同性同名の方が、いらっしゃったのです。
全く、漢字も同じ。
〇△ B子さん と 〇△ B子さん。
そのお二人が同じ日に出産となったのです。
同じ名前の方が、いらっしゃることは、たまに見かけますが、
同じクリニックで、漢字も同じ、出産も同じ、となると、びっくりです。
確率でいうと、数字では言えないほどの確率。
なぜなら、同じ名前の方が、数ある産婦人科の中で、細田クリニックを選ばれることが、すごい確率です。
そして、予定日が近く、しかも、同じ日に出産・・。
1週間ほど出産日が違えば、偶然という出来事は、なくなるわけです。
更に、驚く偶然。
もう一人、〇△さんという、同姓の方がいらっしゃいました。
その方も、同じ日の夕方に出産されました。
しかも、そのお子さんのお名前が、B美ちゃん。「B」のところが、他の同姓ママの漢字と同じ漢字です。
すべてに関して、お名前だけでなく、「初産婦さんの〇△さん」や「経産婦さんの〇△さん」、
「B美ちゃんのママ」など、間違いのないように、お呼びしていました。
ベビーネームにも、カルテ番号を追記したり・・。
ママさん同志では、どういう会話がなされていたのでしょうね。
すごく、気になるところです(笑)

もうひとつ、偶然を・・・。
ある外来の合間に、スタッフ3人で
「△☐ AA恵さん、元気にされてるかな・・。他府県に引っ越しされたから、細田クリニックには、絶対来られないだろうけどね・・。」
と、会話していた、翌日。
「妊娠しました。また、京都に帰ってきたんです~。」
と、細田クリニックに来られたのです。
本当に偶然。
今まで出産された、たくさんのママさんの中から、何のきっかけもなく、△☐さんの名前と顔が浮かび、言葉に出したわけで、まさか、翌日に、お顔を見ることがあることは、会話したスタッフ3人とも想像していませんでした。
うれしい偶然。

笑顔に話せる偶然。
もっともっとたくさんあって欲しいな・・と思う、平和なクリニックです。
eri.hosoda

10月

・・9月なのに暑いね・・
先週まで、こういう会話でした。
今週は、
・・朝晩、寒いね・・
に、突然変わってしまいました。
あんなに、猛暑を嫌っていたはずなのに、少し気温が下るだけで
・・急にこんなに寒くならなくても・・
と、思ってしまう勝手な私たち。
気温の変化を感じながら、10月を迎えました。

なんだか、バタバタしてしまった9月。
書きかけのブログも3つありましたが、削除。

祝日があった為か、外来患者さんが、100人近い日が連日・・。
待ち時間が発生してしまい、申し訳なく思います。
中・高生の癌ワクチンや、京都市の子宮癌検診が、かなり広がってきていることも、外来が多い理由の一つでしょう。

プライベートでも、バタバタと・・。
親のこと、子供のこと、家のこと、体調のこと・・。

何を差し置いても、仕事は最優先で、後回しにできないので、
どうしても、親のこと、子供のこと、家のこと、体調のこと、は、2の次3の次になりがち。

昨日、あるスタッフが、
「冬は忙しくなる気配あるから、落ち着いている日は、ゆっくりしておこう!」
と、言ってくれました。
ホッとする一言です。
病棟が落ち着いているときは、みんなで、今しかできない仕事を黙々とやってくれて、
お産お産・・とラッシュのときは、「忙しい・・」と言いながらも、患者さまのところでは、絶対笑顔。
それだけで、救われる気分です。

忙しい中、携帯が壊れてしまいました。
修理にしようか、ついにiPhoneにしようか、若いスタッフに聞きまくり、
今から携帯ショップに向かいます。
24時間、体から半径2m内にある携帯。
今の時代、必須不可欠です・・。
私が就職した頃(ン十年前です)、真夜中(夜中の0時交代です)、夜勤看護師が出勤してこなかったら(殆ど寝坊です)、
「まず、家の電話鳴らしなさい。出なかったら電報を打ちなさい!」
と婦長さんに言われた記憶があります。
時代感じます・・。
eri.hosoda

木・音色・一生懸命

クリニックのキッズコーナーには、木のおもちゃがいくつか置いてあります。
ママといっしょにやってくる子供たちには、レゴのブロックも人気がありますが、
やはり、木のおもちゃは、飽きがこないようです。
そして、ちびっ子たちだけでなく、実は、パパにも木のおもちゃは大人気。
診察室まで、木のおもちゃのカラカラコロコロという軽やかな音が聞こえます。
誰か、お子さん連れのママが診察待ちかな?と思いきや、実は、一緒に来られているパパが、木のおもちゃを触っておられるのです。
待合のソファーからも手に届くところにあるというのも一つの理由ですが、
何となく触ってみたくなるおもちゃであり、何となく癒される音。
クリニックの待合にいたら、例えお子さん連れじゃなくても、1回や2回はこの音を耳にされたことあると思います。

どんなに何度も遊んでも、うるさくないんですよね・・。
飽きないんですよね・・。

木のおもちゃは、出産祝いなどにも人気があるのがよくわかります。

そこで、いつも私に新鮮な考えを与えてくださる方に、ある映像を紹介していただきました。
おもちゃではありませんが、感動しました。
3月10日にウェブにその映像はアップされたらしいですが、翌日、東日本大震災が起こり、ある意味「お蔵入り」の秘蔵映像だそうです。
ドコモのコマーシャル用に作成された物・・。

1度ゆっくり見てください。




そして、それをメイキングする光景も見てください。
何かに一生懸命没頭する光景・・。
別の感動を感じました。
自分もその中に入っているように思い、一生懸命になることをしてみたくなりました。
それがこれです。



eri.hosoda

ハードな日

あっという間に 8月が終わろうとしています。
気付いたらもう、あと4日で9月になります。
本当に、早い・・。
現在、外来で分娩の予約をお受けしている方の予定日は、4月。
4月は、私の誕生日。また、年を取ってしまう・・と同年代のスタッフと嘆いている最近です。


昨日、朝からお昼すぎの間に、4人の赤ちゃんが生まれました。
病棟のスタッフが、段取り良くお産に携わり、外来スタッフも病棟に助っ人で駆けつけてくれて・・、セクレタリーも先々動きやすくしてくれて・・、受付さんも、病棟で点滴台を持って走ってくれていました。阿吽の呼吸で流れて行きました。
私も久しぶりに、病棟でフルに動きました。
赤ちゃんの沐浴をして、ママさんとお話して、おっぱいを見て、生まれて間もない赤ちゃんの検温などして・・。
忙しくて、スタッフもお昼ごはんを駆け込むだけの休憩でした。
本当に、かっこいいスタッフでした。ノンストップなのに、ずっと笑顔。
勤務終了の時間には、すべて完了。
惚れ惚れします。
お産されたママはみんな超スピード。
元気です。
院長は、朝から、外来と分娩室の往復。
スタッフが「先生、ヘロヘロじゃない?大丈夫?」とねぎらってくれていましたが、院長自ら「倒れるまでするしかないでしょ。」と笑ってました。
そうですよね。自分で選んだ道ですし・・。
よく、院長と話すことがあります。
この真夏の炎天下、外で仕事をされている方を見かけます。
暑いのが大、大、の苦手の院長は、いつも言います。
「どんなに忙しくても、建物の中の仕事でよかった。絶対に外の仕事、無理!本当に外の仕事の人、尊敬するわ。僕、半日持たない。」
「サラリーマンの人、尊敬する。こんなに暑いのにネクタイしてスーツ着て・・。僕、無理。ネクタイは冠婚葬祭のときだけしか無理。ネクタイしたら気絶する。」と。
だから、今、スタッフが頑張ってくれている姿を見て、元気に生まれて喜んでいるママやパパの顔を見られる、産婦人科医をやって行けるのでしょう。
今日、久しぶりに土曜日の午後、ゆっくりできそうでした。
院長に「何がしたい?」の質問に、即答「散髪!」
・・で、短くカットしました。
eri.hosoda

今年の夏

台風以後、朝晩はしのぎやすく感じる最近です。
しかし、昼間は暑い!
節電を公にした政府。いや、私たちは、震災がある前から、思ってました。
過去のブログで、何度か私は触れていました。節電しなくては罰金!位言わないと、企業はしないだろう・・と。
国が何とかしないと、大変なことになるって。
そして、3月11日の震災で、原子力発電が破壊されてから、動き始めた永田町。
一般人の私たちの方が、先を読んでいた気がします。

さて、震災から、4ヶ月を過ぎました。
直接、被害を受けなかった私たちは、知らず知らずのうちに、過去になってしまいます。
東北の方は、まだまだ進行形。原子力発電所の後始末に関しては、1歩も進んでないような、反対に
被害拡大中のような気もします。どうしようもない政府にしか頼ることができないのか、と憤りも感じながら、
この関西で生活できることに感謝している日々です。
クリニックでできることは、節電、後は、震災地に里帰りされる方のご相談、くらいですが、
個人的には、人生観が変わった気がします。

ある、先輩ドクターの弟先生が4月に亡くなられました。
福島県のある病院の院長をされていて、震災では建物や物資などの物理的な被害はあったものの、命は助かったので、すごく復興にパワーを注がれていたそうです。
今から考えたら、100%以上の150%、それ以上の力が発揮されていたのでしょう。
4月の半ば、震災から1ヵ月後。
いつもどおりに仕事を終え、昼休みにトイレで倒れていたのを発見されたそうです。
心筋梗塞とのこと。50才だったようです。
一瞬だったでしょう。
倒れられた瞬間、何を思い何を考えられたのでしょうか。

本当に、衝撃的な報告でした。つい、最近知りました。
そう・・・・・・。
先に述べた、人生観が変わった、根拠。
震災そのもので感じたことは、全てそうですが、
人は、いつ存在が無くなるかわかりません。
今、こうして座っているその1分後はわかりません。
だから、今、できることは今しよう、
今、伝えたいことは今伝えよう、
今、感動しよう、
今、感激しよう、
今。
すべて、今、しようと思うようになりました。
最近、スタッフに冗談交えて話します。
「もし、私倒れたら、クリニックと患者さんよろしくね」と言うことがあります。
(「そんなこと言わないで下さいよ!」「そう言いつつ、100歳迎えてたりして・・」と、返されますけれど。)
今、命が終わったら、私には後悔いっぱいです。
主人にも子供にも、まだまだ、言い足りないことだらけです。
クリニックの若いスタッフと、もっともっと話し、楽しみたいです。
同世代のスタッフと、もっともっとお茶してしゃべりたいです。
旅行もしたい、遊びたい、食べたい、したいこといっぱい。
でも、病気や天災で、また、先日の中国の新幹線事故のように、一瞬先はわかりません。
だから、「今」を大切にしよう、と、強く深く感じるのです。
一昨日の母親教室でも話しました。
いろんなことのスタート、原点は、オギャーと生まれたその瞬間。
お産は、その赤ちゃんの生きていくスタートですよ、大切に大切にしましょう・・と。
お話する中での、みなさんの涙は、決心だったと思います。
もちろん、いいお産をしようとする母親としての決心、そして、命の大切さを感じてもらえたこと・・そんな決心だったかなと思います。

たらたらと書いてしまいました。
今でも、テレビから震災の映像を見ていると、怖さが伝わってきます。
そして、知らない間に、感激や感動を無くしてしまっているような錯覚になりました。
年のせいで、怒りっぽくなっただけではないと思います。
この震災は大なり小なり、人生観が変わるほどの出来事です。私だけではないはず。
そのこととかぶり、福島の先生の死を知り、考えさせられことを書き記しておきたかったのです。
eri.hosoda