お盆も過ぎ、8月の後半に突入した。
この平成の時代、お盆が過ぎても、35度!常夏のハワイやグアムの方が体感温度は涼しいであろう。
今生まれた子供たちが成長し、大人になったとき、今とはまた違う夏を体験するのであろう。
気温・・もっと上がるのか??
9月どころか、10月でも30度以上あるのか??
夏の平均気温40度も当たり前になるのか??
熱中症防止に、外にはでない生活になるのであろうか??
暑さで野菜が育たず、生産がドンと減ってしまい、食生活が変わるのか??
高校野球も暑さで中止になる??
外出禁止令がでるのでは??
そんな、バカな・・と思ってしまうが、私たちの子供のころ、熱中症で人が死ぬなんてありえなかった。真夏でも思いっきり外で遊んでいた。朝は涼しいから、朝のうちに宿題をしなさい、といわれていたくらい、朝のうちは、扇風機だけで充分しのげた。クーラーのない家もたくさんあった。お盆が過ぎたら、浜辺はひっそりとし、泳ぐ人はいなかった。
それが、20年30年たった今は、想像もしていなかった世の中になっている。
人間が作り出す物は、変化することは当たり前であるが、自然まで変化することが怖くも思う。
2030年、2040年、その頃、私たちの世代は、元気であれば、人生の後半を生きている。
どんな夏をすごしているのだろう。
私、耐えられるであろうか?
そして、今生まれた子供たちが、大人になって、その夏をどう生活しているのか、大げさに言えば、想像もできない日本の夏を、どう生きていってくれるのか・・・。
考えると、一瞬、怖くなる。しかし、避けてはいけない問題として真剣に考えなくてはいけないのだろう。
eri.hosoda
年別アーカイブ: 2007年
唐竹蘭
知らない間に8月になっていた。
まだ、7月になったところ、という感覚でいたので、あわてて、カレンダーを8月にめくり変える始末。
数日前から一段とジリジリする日中。
夏は生花の寿命がかわいそうなくらいに短い。それで、ついつい花から遠ざかってしまう。待合のフラワーアレンジもついつい夏はさぼりぎみの私・・。
でも、久しぶりに花屋さんに足を入れた。
昼間はエアコンが入り、夜はムシムシしているクリニックの受付では、延命剤入りの水を使っても、きれいに保つことができるのは数日。花によっては一晩の間にしなだれてしまうものもある。
そこで役に立つのはグリーン。
昨日は、「唐竹蘭」というグリーンを花屋のご主人に、おまけにいただいた。
「ラン」という名のつく、実は、ユリ科。
花は小さく、咲き終わった後のグリーンがメインに観賞用とされるようだ。
ほとんど数はないそうだ。
ランと名がつき、ランじゃない。
ユリ科であって花を楽しむわけでない。
すごく不思議。
インターネットで唐竹蘭を調べてみたけど、ほとんど詳しいことは書かれてなく、
中国原産、くらいであった。
ご主人が
「僕が、いいな~、と思って仕入れてきたのに、あんまり人気ないんですよ。もったいないからもって帰ってください。」
といって分けてくださった。
一見、七夕の笹?にしか見えないこの唐竹蘭だが、ひそかに私は気に入ってしまった。見た目は普通だが、名前にインパクトありって感じで・・・。
葉揃えをしながら、変なことを考えてみた。
たとえば、産婦人科であって実は眼科。
眼科でありながら、目はみない。
こんなことありえないな~って。(笑)
eri.hosoda
もうすぐ・・・
クリニックの建物の中を知っておられる方は思い起こしながら読んでいただきたい。
クリニックには2階の東に、ちょっとしたテラスがある。
テーブルとイスが置いてあって、季節のいいときは気分よく過ごせる。
春には天神川の桜がいいショットで眺められる。
秋には暑くも無く寒くも無く、ボーと出来そうなところ。
しかし、夏は全く影が出来ず、海水浴場の真ん中のようにカンカン照り。
冬は吹き付ける雪が直接あたり、傘なしではびしょびしょ。
クリニックで唯一喫煙できる場所。そこが、そんな状況だ。
院長はそこにグリーンなんかを置いて、影でホッとできる空間を作ることが理想のようだ。
その手始めにカフェ風のテント、つまり、日よけテントをつけることにした。
手動を付ける予定で、風がきつい日はカラカラと巻きいれて、日が照ったり、雨が降れば出さなければならないが、駆け出しクリニックとしてはコストが何倍にもなる電動には到底、手が出ない。
数日中には見積もりを持ってきてもらい、交渉する予定。
取り付けは、半日ほどで終わるそうだ。
テントが付けば、次の院長の計画は、テラスの脇に水道の蛇口をつけること。
春先の黄砂のころは、畑の横の道?というくらい、砂埃で真っ白なテラスになる。
そのころ、ルームセクレタリーのスタッフといっしょに、バケツリレーで水を運び、デッキブラシでごしごしやったものだ。
バケツリレーは両手で満タンのバケツを20mくらいを運ぶ。何往復したことか・・・。こんな状況じゃ、緑を植えるわけにはいかない。
今年の夏にテントを取り付け、いつか水道の蛇口をつけ、さらに、もっと先に緑を生やす・・・。
そして、喫煙場だけでなく、憩いの場になれば・・と理想を描く。
いつになることか・・、楽しみは実現したら楽しみでなくなるとも思うが、小さな小さな夢はこつこつ実現するように努力しよう。
eri.hosoda
出生率
よくクリニックと関わってくださる営業の方や、同業者の方に
「細田クリニックお産毎月どれだけあるのですか?」や、「どんどん増えるといいですね。」と言われる。
もちろん、クリニックの経営も考えなくてはならない立場としては、「今月お産ないんですよ。」とは、言いたくないし、考えたくはないが、多くあればあるほどいい、とは全く思ってない。
ある程度のお産が増えれば、それだけの、キャパシティーも必要になるし、人手もいる。それに、患者様と接する時間や内容が薄くなってしまう。それだけは避けたい。
だから、とりあえずドンドンお産の数を増やしたいという思いは頭の中にはほとんどない。院長も私も。
その反対に、日本の出生率はドンドン上がってほしいものだ。
一ヶ月ほど前に出された2006年の出生率が、ほんのわずかだが6年ぶりに上昇した。確か、「1.32」だったように思う。
それだけ聞いても、ピンとこないが、戦後直後の昭和20年代は「4.54」、私の国家試験勉強をしたころの昭和50年代は「1.90」だったと思う。そのとき、「2.0を切った」と新聞やニュースで大騒ぎだった。
それからさらに減り2006年は「1.32」。こうして数字を並べるとよくわかる。
でも、私の周りに「絶対子供はいりません。」という夫婦は誰もいないし、むしろ、不妊治療が活発になって、以前よりオープンになってあらゆる方法で妊娠できるケースも増えてきている。
なのに減っていく一方。
景気が悪いから?(でも、どん底の不景気は脱しているのでは?なぜなら、土日のダイヤモンドCITYや高島屋に向かう車の数は半端じゃない)
世の中が育てにくい雰囲気だから?(親がしっかり楽しいこと、うれしいこと、幸せになることを教えてあげたら絶対育て甲斐があると思う)
独身女性が増えたから?(でも、シングルマザーも増えている)
私が出生率低下の原因を探ったところで何の解決にもならないが、来年の今頃2007年の出生率が2年連続上昇していることを望む。
eri.hosoda
家族
いつものようにお産の始まる光景。
二人目さんであり、陣痛が来たら早いかな?という予測通り、本格的な陣痛到来後、30分ほどで分娩室へ入室。
一人目さんが1日以上かかったため今回のスピードはご主人はもちろん、お母さん本人も私たちもびっくり。
あっという間に、お嬢ちゃん誕生。生まれてきて、まだ臍の緒を切ってないくらい直後に・・、おめでとう!とその言葉とともに・・、私は迷いもなく思った。
「ダウンちゃんだ」って。
クリニック始まって初めての境遇。そのときのスタッフ&院長の判断で
お父さんにはお産直後に、ダウン症である確立が高いことを告げた。
本当に立派なお父さんで、しっかり現実を一人で受け止めてくださった。
お母さんにはのちに告げた。大きなショックである中、
やはり母の感、生まれてきて間もない我が子の顔を見てなんとなく感じていたと言われた。
入院中に映ったこの家族、この赤ちゃんの居場所はこの家族にしかない、と思うくらい暖かく、やさしく素敵な家族であった。
もちろん、夫婦の間には私たちには計り知れない葛藤や悲しみもたくさんあったと思う。これから先、どんなことと向かい合わなくてはいけないのか、考えても答えはない悩みもたくさんあると思う。
そんな環境の中での家族。接するだけで、私はもちろん、スタッフみんなが、感動と多くの教えをもらった。
こんな前向きな父と母・・。
こんなに助け合える父と母・・。
がんばって普通に大切に育てていくと堂々と言える父と母・・。
ダウン症であることをすぐに教えてもらえてうれしかったとすぐに言える父と母・・。
この子を細田クリニックで生んでよかったと気配りをしてくださる父と母・・。
私たちの家族を選んで生まれてきてくれた、と喜びとして言える父と母・・。
そして、
「これからお産される人の中には、私たちのようにダウン症の赤ちゃんを迎えるかもしれない家族もあるだろうから、是非ブログに載せてください、主人とそう話していたんです。私たちが誰かわかってもいいので・・」と話してくださったお母さん。
そんなこと言えるお母さんは女神のようだと思う。
生まれてきた赤ちゃんは世界一幸せな家族を選んで生まれてきたんだろう。
こんな素敵なお父さん、お母さん、お兄ちゃん、そして、おじいちゃん、おばあちゃんの元だから、幸せの保障つきで生まれてきたのだろう。
退院の後、お母さんさんが、「激動と感動の毎日でした」と、言ってくれた。
「激動」はそりゃそうであろうと、思えるが、「感動」の毎日と表現できるなんて・・。心から思う。この夫婦、お兄ちゃん、そして、生まれてきた赤ちゃんに出会えたこと、たくさんの感動をもらい、教えられたことに、本当に、本当にありがとう。
eri.hosoda