初夏のような4月。
あっという間に日が過ぎて行き、4月ももう半ばである。
忙しさにかまけて、気付いたら、このブログ、3月は1回の更新しかしていなかった。
反省・・。
病棟や夜の業務も、スタッフが充実しているので、ほとんど私は影で動いている。なのに、何かと仕事がたまり、あせりだけは、以前と同じ。
年をとったのか、要領が悪いのか、何なのか・・。
明日は私の誕生日。
子どもに「いくつになるんやっけ?」と聞かれ、
「うるさいな。〇〇才ですっ!」と早口モードで答える自分に
(年を言いたくないなんてやだな)と心の中でそっと思う。
そんな中、主人から早々にプレゼントを買ってもらった。
念願のピアノ。
もちろん、本物を買うほど、本格的ではないし、電子ピアノで、定価の半額で、かつ、値切って、買ってもらった。
これを買うには、何年か前からの希望。
ずっと、子どもたちは反対モード。
「絶対練習しないって。弾く時間ないに決まってる」と非難轟々。
それでも、欲しかった。
スタッフの中にはピアノ教師をしている人もいる。
最近、お子さんと習いに行き始めたスタッフもいる。
益々、うらやましく感じていて、ジャスコや電気屋にあるピアノ売り場では、座って弾きたいくらい粘っていた。
実は、高校生入るくらいまでは、音大に行きたくて、ピアノの先生になりたいと思っていた。しかし、家庭の事情で断念。
【結果、助産師になり、今の生活があるわけだから、あそこで、音大に進まなかった結末なので、幸せな今を思えば、それでよかったのであろうが(?)】
何十年ぶりに、楽譜を見ながら弾いてみた。
幼稚園の年長さんくらいのときに、弾いていた、「エリーゼのために」や、小学生の発表会で弾いた、「乙女の祈り」が、弾けない。
指が覚えているサビのところや、出だしは弾けるものの、他は楽譜を読むことに時間がかかり、それに、指も動かなくなっていて、全く、聞き辛い曲になる。
今日、ピアノを習っているスタッフに話すと、
「その曲を弾こうとする時点で、すごい。自分でするより、習った方がえ~で」
と早速アドバイスを受けた。
よ~し、レッスンを受けよう!!毎日少しでも弾いてみるぞ!!
3日坊主にならないように、子どもたちに「ほら、やっぱり」と言われないようにしよう。
自分のゆとりを持つこと、開業以来、すっかり忘れていた。
でも、家族があり、助産師であり、たくさんのスタッフがいてくれて、こんな恵まれた環境にい続けるには、自分をもっと磨かなくては、・・と思い始めた。
読書大嫌い、スポーツ苦手、車の運転全くセンスなし・・・。食べることだけは、誰にも負けないくらい好きだけれど、それは自分を磨けず・・・。
なので、夜中にヘッドホンをつけながら、ピアノのレッスンに浸る日を作ろう、と、〇じゅう〇才の誕生日前日に決意をしたわけだ。
eri.hosoda
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春
気付けばもう春。
朝晩はまだ、冷え込むときも多いけれど、昼間はもう、冬でないことを肌で感じる。
3年前に、桜の咲く天神川を歩きながら、入学式に向かったが、先日、その息子も卒業。
本当にあっという間の3年間だった。
3年前は、制服が歩いているような、初々しい姿だったのに、今では、制服も擦り切れて、ズボンも若干ずらして、格好つけたり・・。
髪の毛も立たしてみたり・・。
まだだまだ、子どもであるけれども、それなりに成長したな~という思いで卒業式に参加。卒業生代表の答辞を聞きながら、涙も出てきた。
高校に行ったら、ちゃんと着いていけるか心配だが、よく考えたら3年前の春にも、同じことを思っていたような・・。
こうして、ドンドン母親を抜いていくのであろう。
身長は、とっくに抜かれている。(体重は私より少ないのが悔しいが・・。)
買い物の帰りには、何気なくスーパーの袋は息子が持ってくれる。(滅多に、というより、1年に2~3回?しか、いっしょに買い物なんて着いてこないけれども)
そして、いつか老いていく私たちは、こんな子どもたちを頼りに生きていくのかな、と思う。
この反面、先月、主人の母が亡くなった。
突然・・。
悲しみを感じることを遮るように、たくさんのことをやらなければならなかったこと
(手続きや連絡、決め事など)があったのは、だれも同じであろうが、何を差し置いても、産科医。
本当に申し訳ないけれども、外来だけ、2コマ休診にさせていただき、その他の病棟のこと、手術、お産・・、普通に、笑顔でこなした。スタッフが、120%で私たちを援助してくれたことは、すごく、嬉しかったし、感謝。そんなスタッフがいなかったら、乗り越えられなかった4日間だった、と心から思う。そんなクリニックにいることを、母もきっと喜んでいるはず、と感じ取っていた。本当は、母の口からの言葉で聞きたいが・・。
親が亡くなれば、5日間ほどの喪休がある一般の会社ではない。
お産や帝王切開は待ってもらうわけにはいかない。
告別式の準備を行う合間のお産や帝王切開。
式場に間に合うか・・、という状況での外来。
告別式の最中も、患者様のことはしっかりスタッフとのやり取り・・。
私は、時間に追われる中、偉そうにも、哲学のように、生まれることと亡くなることを考えていた。
生きていくこと、生まれることは、この上なく嬉しいこと。
心から悲しいはずの時間なのに、心から言えた。元気に生まれてきてくれた赤ちゃん、そして、お母さん、お父さんに、「おめでとう」と・・。
この1ヶ月。
成長していく息子を見、そして、往生した母。それが、家族。
本当に、手に取るように、家族の形が見えた。
この1ヶ月。
そして、いつもと同じように、30数組の家族が、新しい命をむかえた。
今、生まれた赤ちゃんにも、その家族がある。
いろんな思いを経験するであろう、家族。
改めて、この2文字に重みを感じている。
eri.hosoda
立会い
昨日の母親教室で、
「出産のとき、お父さん、立会い希望の方は?」
という質問に、30人中9割くらいの方が挙手。
残り数名の方も考え中とのこと。
立会い出産は、今の時代、普通に行われるようになってきた。
細田クリニックでも9割以上の方が立会い出産をされている。
今まで、立会い出産を行って「失敗だったな」や「このご夫婦には無理だったな」という例は1例もない。
かといって、立会いをしないことに罪悪を持つこともない。
大切なことは、立会いをするかどうか夫婦で話し合うこと。
自分は出産する立場として、夫にどう関わってほしいのか、
夫はわが子が生まれる過程において、妻にどう手を差し伸べるのか、などなど、意見を出し合うことが大切だと思う。
その結果が立ち会うかどうかに結びつく。
それを前提に書いてみる。
10日ほど前の出産。
お父さんは、「僕は立ち会いません。生まれる直前に言ってください。分娩室から出ます。」と。生まれる直前ってどのタイミングか・・と考えつつも・・。
結局は、お産の最中、お母さんの手を一回も離さず、一緒に呼吸法を行って、一緒にいきんで、最後まで、お母さんとがんばっておられた。
そして、感動と、自分もお産をした疲れと安堵感をたっぷり感じておられた。
昨日の出産。
立ち会われたお父さんも、一緒に汗をかいて、生まれた瞬間、一緒に涙を流して、感動されていた。
後で聞いてみた。
「一緒にお産されてどうでした?」と。
すると、
「本当によかったです。陣痛の間、心音も良かったし、赤ちゃんは元気ですよ、と言われてたけど、生まれた瞬間、オギャッと泣いてくれるまで、本当に心配でした。あの泣き声を聞いて初めて安心しました。でも、これから育てていく先が大変なんですよね。これからスタートなんですよね。がんばれます。」
としみじみ話してくださった。すでに、立派なかっこいい父親の姿が印象的だった。
日常、立ち会いについて聞かれたら
「血をみるのではない。器械を見るのではない。小股から赤ちゃんの出てくるところを見るのが、立会いではない。一緒にお母さんとがんばることが立会いの意味なんですよ。」
と話している。その基本をもとに、立ち会うのかどうか、を決めてもらっている。
結果、立会いをしないと決めたにしても、先にも述べたように、お産の意味、家族が増える意味を話し合ってもらうわけだから、それだけでも、無駄なことではない。
もちろん、上のお子さんが立ち会うことに関しても、同じ。
赤ちゃんが出てくるところを見るのではなく、お母さんが必死になり、命がけでがんばっている母親を囲み、家族が増える瞬間に、小さいながら自分も家族として、その場に居合わせることに、大きな意味であるのでは・・、と思う。
帝王切開も同じ。
よく、教科書に、正常分娩と異常分娩という分類に分けてあるが、それは、あくまで、経膣分娩と吸引分娩と帝王切開の区別を言っているだけで、正しい分娩と変なおかしい分娩と言う意味ではない。
それぞれ、元気な赤ちゃんが生まれて来てくれるための方法、手段にすぎない。
だから、異常・・という言葉には引っかかる。
よって、うちのクリニックでは帝王切開でも、立会いを行っている。もちろん、経膣分娩のようにずっとそばに、と言うわけにはいかないけれども、いっしょに生まれるその場面に居合わせることは、大切なことだと思うからだ。
人が生まれてくることは、医療なしでは考えられない今の時代。
きっと、原始時代は、洞穴のようなところで、動物的な出産をしていただろう。(想像・・)だから、母も子も命を落とすことも大いにあったであろう。江戸時代、いや、昭和の初期まで命を落としてしまうことは茶飯事であった。今は、医療で救える命は、救える時代になった。大きな進歩を成し遂げている。
でも、そんな江戸時代も、原始時代も、そして、今も、家族が増え、子孫が増えるという意味には、全く変わりないのだ。
今の医療の進歩を信頼し、活用し、でも、家族が増えるという原点を忘れないように、大切にしなくてはいけないと思う。
追記・・だから、そんな大切な出産お場面に立ち会うスタッフ、入院中に接するスタッフは、自分の家族を大切にし、親子を大切にし、夫や彼を大切にしている。そんな、スタッフばかりであることに感謝しているし、すごく、自慢だな~と思う毎日だ。
eri.hosoda
笑い話
昨日の妊婦健診の光景。
妊娠中期の方の超音波を行っているときのこと。
3Dで、赤ちゃんの顔が絶妙に見え、鼻、口もどちらに似ているか、とわかるくらいきれいに見えていた。
臍の緒もきれいにらせん状に見えて、体の左前から首の後ろに回っている。それは、臍の緒が首に巻いているように見えるが、ぎゅ-と巻きつけた状態ではなさそう。
そのときの院長の発言。
「臍の緒が、えりまきみたいに軽く巻いているかも・・でも、これくらいは、心配ないからね。」
超音波の器械の線を院長の首に巻いて、ジェスチャーつき。
となりにいるお父さん。
ボソッと「えりまき?」
今風の若いお父さん。えりまき・・というものがピンと来てないらしい。
何だか、エリマキトカゲを想像したのだろうか。
「どんな顔・・。」と。
横にいた私は、すぐに察して
「マフラーみたいに・・・ってことよ。」
それで納得したのか、
「あ~、わかった~」(笑)
私は、笑いが止まらず、受付スタッフに報告してしまった。
「もう、院長たら、この時代、マフラーのこと、えりまき・・なんて言うんよ。」
と。
そう言えば、年齢がばれてしまいそうな単語が普段もポツポツ。
その1
「今日は寒いな~。トックリのセーターでちょうどいいや。」
トックリだなんて・・・。
その2
主人が見ているテレビ番組から、私や子どもが、他の番組に変えたくて、「変えていい?」と聞くと、私や子どもたちに向かって
「うん、もう、チャンネル回していいよ。」と。
チャンネル回す時代は、私でも記憶が薄い。いつも私は主人をからかって、テレビのリモコンをクルクル回しながら「おかしいな?チャンネル変わらないよ~」とふざけてみる。
その3
数年前のこどもとの会話の中
「帳面はちゃんと書いているか?」と。
帳面って・・・・・・。
そのときはさすがに主人も自分で恥ずかしかったのか、それ以来、帳面と言う言葉は聞いていない。
まだまだ考えたらあるのだが、このブログを院長が見たら、反撃に出てきそうなので・・(笑)
eri.hosoda
生きること
元気な赤ちゃんが生まれること、当たり前のように生を受けたと思われている毎日。
でも、その当たり前の中で、「実は、人間の一生で、生まれるときが、一番しんどい思いをすると思う」と、いうことを、私は母親教室で話している。
「だから、赤ちゃんは、必死で、命をかけて、狭い狭い通ったことのない産道を通ってくるのだから、お母さんも妊娠中、決して赤ちゃんの苦しむことを増やしてしまうのではなく、体重コントロールをして、毎日歩いて、赤ちゃんにいい事をしてあげましょう、助けてあげましょう、帝王切開でも同じです」と。
その赤ちゃんの生まれる道を作ってあげるのは、お母さんしかできない。
周りの人が、どんなに気をもんだり、代わりに歩いてあげたり、おやつを控えたりしても、決して、赤ちゃんが生まれるときに、直接、助けにはならない。
お父さんが、一緒に歩いてあげて、一緒におやつ食べないこと、を実行してあげても、(お母さんにとっては、お父さんの行動は、心強く大切な家族の役目をはたしていることには違いないが)、赤ちゃんの生まれる道を作ってはあげられない。
この世に望まれて生まれてくる道中(産道)は<死に物狂い>であり、死と同じくらいしんどいのだと思う。
みんな人は、生きていく中で、そのお産の道中を忘れてしまっているのだ。
なぜ、突然、「生きること」に関して思うのか。
数日前に、私のおじが亡くなった。癌であった。
まだ、60歳を少し過ぎたところ。
おじは、生きたくて生きたくて仕方なかった。
最後の最後まで、再発を知らず、
「このしんどいのを乗り越えたら、絶対に良くなるからなあ」と自ら、言い聞かせ、奮い立たせていた。
主治医の先生にあと2~3日・・と家族に言われてから、2ヶ月がんばった。
おそらく、「再発で、治療法はない・・・」とおじに告げたなら、残り2ヶ月はなかったと思う。家族だから、おじの性格はわかっている。一辺に生きる意欲はなくなる、と判断し、最後まで再発を告知せず、体力の衰え、とだけ告げていた。
そんな中、おじは、最後まで、私に会うことを求めていた。
おじには娘2人いるが、娘には心配かけられない、弱音をはかないという親心から来る思い、それに加え、私と主人が医療従事者だということで何かためになることをいってくれるのでは?という思いで、事あるごとに私の名前を呼んでいたそうだ。
まだ、意識があるうちに、私はおじに会いに行った。
おじは、何かを言いたかったのであろうが、最後までそれは言葉には出してくれなかった。
でも、自分がもう復活できないことをきっと、心のどこかで感じていたであろうが、生きていたい、という執念も強く強くあった。
別れ際に握った手で感じた。
「じゃあね、帰るね・・」と私がその手を離そうとすると、何回、いや、何十回私の手を握り返し、離さなかったおじ。
おじの口からは、
「あと3日ほどで良くなるよな?」と言いたかったのか。
「もうだめかもしれないから、娘やおばのこと頼むね」と言いたかったのか。
そして、私の口から
「大丈夫。今が一番しんどいときだから」と言って欲しかったのか。
「家族みんなのことは大丈夫。安心して。」と言って欲しかったのか。
本心はわからないが、
「大丈夫だよ」の一言をかけた。すると、いつもの笑顔で、ゆっくり手を離してくれた。
生きたかっただろう。
やりたいことは山ほどあっただろう。
普通に、自然に生きることはこんなに大変なんだ、
生きたくても生きられないときには、何もしてあげられない、と思った。
そして私は、数日後には、
必死に生まれてきてくれている赤ちゃんをいつものように迎えている。
ひとの生死両方に直面し、生まれようとするパワーと生きたいとするパワーの両方の力を感じた。
生まれるときの苦しみは、人間、生きていく中で一番苦しいときだと思います・・
死に物狂いでうまれてくるのです・・
死を迎えるときは、生きていたいと思っても、何も助けてあげられないけど、生まれようとする赤ちゃんのためには、お母さんはたくさんたくさん助けてあげることができるのです・・と、いつものように、次の母親教室で話そうと思う。
eri.hosoda

