カテゴリー別アーカイブ: ブログ

なんとなく(^_-)-☆

いろんな気付き、思い、知ったこと、などなど・・・。

天神川の桜が、色を変えてきました。
つい先日まで、寒さが残っていましたが、、急に、ジャケットが要らなくなる昼間の気温です。
まだまだ、咲き誇るってところまでではないですが、濃いピンクのつぼみが膨らみ、枝が重そう~になってきています。
数日で、咲くことでしょう。楽しみ楽しみ!!
またチャンスがあれば、(写真が取れればですが)アップしたいと思います。

今日、3月31日。明日から、4月。
この前後の予定日のママは、いつ生まれるかと待ち望む気持ちと、学年が変わる気持ちで、ドキドキ。
「どちらでもいいけどね!」と、結局は、ママの気持ちも、元気に生まれてきてくれることが答えです。
今も、陣痛で頑張るママとベビーちゃん、お一組、頑張り中です。

もうすぐ、身近に、2つの結婚式があります。
楽しみとか、うれしいとか、ありきたりの言葉だけではない、なんだか、それ以上の感情、思い、で2つの寿を待ちわびています。
どんなことでも、門出はいいものです。
その先、どんな道があるかは、誰にもわかりませんが、門出は、目的に向かって進み始めることです。
ゴールのない門出は、目一杯、応援してあげたいものです。

ちょっと笑える話。
先日、買い物に出かけたとき、駐車場での出来事。
院長は、両手に荷物を持ち、私の2~3m前を歩き、自分の車に向かっていました。
いつもですが、若干、早足だったように思います。
私は、ごそごそと鞄の中を見ながら、ゆっくり、普通に着いて行ってました。
その瞬間!!!
院長が、歩道と車道の段差(たった、15㎝ほどでしょうけど)に気付かず、歩道から車道へ足を踏み外すし、まさにこける寸前!
声こそ、出していませんが、足が絡まって、上半身前のめりで小刻みに数m、オットット状態。
まだ、足腰の筋力残っていたことと、いいおじさんがこけたら恥ずかしい、という、気持ちが強くって立ち直りましたが・・。
私は、大笑い。
「何してんのよ~(笑)」
院長もこちらを振り向かず、肩を震わせて、笑い?照れ?恥ずかしさ?をこらえていました。
そうしたら、私の近くを歩いていた4~5才くらいの女の子。
大きな大きな声で、
「うわ・・あのおっちゃん、こけはったなあ!!!おっとっとってなってはったなあ!!!」
「こんなんになってはった!!」と、両手を広げて、つんのめるマネをして、大笑い。
横にいたママ、申し訳なさそうに
「ほんとだね・・( ;∀;)、〇〇ちゃんも気を付けないと、こけるよ、ほらほら、前を見て・・」
と小声で子供にお話。
院長と私は、急いで車に乗り込んで、二人で、息ができないくらい、涙もこぼしながら、大笑いしました。

友人の子どもちゃん、生まれた瞬間から知っていることもあって、成長が楽しみで友人からいろいろ聞いています。
今回、バレー(踊るバレリーナーの方)で、海外へ短期研修に出かけます。
たくさんの賞をもらったり、コンクールに出たり、それはそれは、バレーが好きで、毎日毎日、練習を欠かさず、自分イコールバレー、くらいの思いでいるようです。
それくらい好きなことに打ち込める、若さとパワーを尊敬し、懐かしくも思います。
決して、親の強制でもなく、バレリーナになるための修行と思うでもなく、ただただ、好き!という気持ち。
みんな、あったはずなのに、どこかであきらめたり、その気持ちが薄くなって来たり、移り気になってしまったり。それはそれで、いいのですが、決してマネのできない信念に、また、惚れました。
ますます、応援したくなりました。
改めて、子供の成長、体だけでなく、心の成長、自らの意思を持っていく成長、その過程を見ることに、感動しました。
さて、うちの子は?
それぞれ一人暮らしをするようになり、
娘は、「ありがとう」という回数がウンと増えました。
息子、「体、気~つけや」と言ってくれることが、たま~にですが、あるようになりました。
もちろん、ラインのみですけど。まさか、まだまだ、すねかじりの息子に、そう言われるとは・・。まだ、年寄りちゃうで!!と答えつつ、サンキュウのスタンプを送る私です。
eri.hosoda

暖かくなりました。でも、朝晩は寒いです。

季節を感じるようになったのは、大人になってからだと思います。
子供のころは、季節を肌で感じる、ではなく、夏休み、春休み、など生活の流れとして感じていました。

3月に入り、そろそろ、ダウンジャケットもクリーニングに出そうか・・と思いつつ、朝晩の行き帰りは、まだまだ、ガッツリ着込んでます。
先日、地方から遊びに来た友人が
「京都の都会の人は、季節も先駆けかと思って・・」とスニーカーにスプリングコート。
いやいや、寒いものは寒いんです。まだ、ブーツも玄関先に置いてます。

卒業シーズンも真っ盛り。これも春。
自分の学生時代の卒業式。
♪♪ツタのからま~るチャペルで~♪♪とか、柏原芳恵の「春なのに」が浮かぶ私。なぜかな?(笑)
両方とも、今の若い人は知らないでしょうが、私たちの年代は、校歌、ほたるのひかり、以外に、こんな曲が浮かぶのです。ちょっと切なくなるマイナー・キーの曲。
今の若い人たち、知らないだろうな・・。ダサい歌・・って言われそう。

子どもの卒業式は、自分の感情が高ぶっているせいか、曲は何がかかっていたのか、思い出せません。
子どもなりに、インパクトのある曲があるのでしょうけど、もっと大人になって、何十年経ってから思い出すのでしょう。

外来に来られる方の中に、花粉症の薬下さい、という方が増えました。
春の一番の先駆けですよね、花粉症。
2月の半ばころから、花粉症の方、ありました。
つらいですよね・・。私は花粉症知らずですが、何歳でも発症するので、ドキドキしてます。
春は嫌だな・・という人の中で、多くの人は花粉が原因です。

スタッフと話していて感じた春。
寒いしやめておこう、と思った掃除が、やっと、やろかな・・うという気になってきた、と。
そうですよね。
寒くて、階段や玄関、立つのも嫌でした。
やっと冬ごもりの穴から出てきた動物って感じの主婦です。
仕事を終えて、買い物に行く外の明るさも違います。
4時半には、暗くなっていた、ちょっと前。
今は6時過ぎても自転車のライト入りません。
季節が動いているなあ、と感じます。

ある人がお産に適する季節ありますか?お産はいつが多いのですか?
と聞かれました。
お産には、季節はありません。
春も夏も秋も冬も同じ。
去年の2月は、寝る間なし!昼夜お産ラッシュ!という感じでしたが、今年の2月は、ゆっくり1日おひとり様~という感じで流れていました。だから、季節関係ないのです。その時その時で違うのです。
赤ちゃんのお名前も、昔は季節を感じる漢字を使われることも多かったですが、今は、季節関係なく、好みのお名前を付けておられる方も多いと思います。

短い短い春。
大切に味わい、短いけどじっくり感じ、暑い暑い夏に向かう体力を養って、過ごそうと思います。
天神川の桜が咲くのを楽しみにしていますが、咲いたら、あっという間に季節が変わっていきます。
お産は季節関係ないですが、少しでも、ハード面で季節を感じる何かを演出できるように・・、そんな少しのゆとりをもって過ごそうと思います。
eri.hosoda

ちょこ

2月14日、今年もスタッフ一同からいただきました。
絶対、妻からはもらえない&手の届かない、憧れるチョコ。
2年ほど前、京都にオープンしたお店「MARIE BELLE」のチョコでした。 
お店の外観は町屋そのもので、その一角を利用して、細い路地のようなところを入っていく京都ならではの、雰囲気です。
でも、本店はNYなので、お店に入ったら、京都なのに、外観とは打って変わって海外の雰囲気。

実は去年、院長と街中を歩いていて、目に入り、雑誌などに掲載されている気になるお店だったので店内に足を踏み入れたことはあります。
それに、お店の付近では、トレードマークのブルーの紙袋を下げた、カップルや観光客を見かけたものだから、
ちょっとした軽い気分で。
ところが、売られているチョコは、売られているという感じではなく、展示品。
チョコと言うか、芸術品。値段も、高級品。
一粒で、ランチ食べに行けるやん!という値段を見て、鑑賞だけで終えたお店訪問でした。
自分用に買うことないよね・・・
このチョコの価値の知らない人 (たとえば、こういうことに疎い息子とか田舎の父母とか・・) にプレゼントして、スーパーやコンビニに売っているmeijiや森永のチョコのようにパク付かれたら、ちょいショックだよね・・・
なんて、話しながら退散した記憶。
そんな夢のようなチョコをいただいたのです。
青い紙袋に入った、青いパッケージ。
まさに、MARIE BELLE。
院長、誇らしげに帰宅し、私に自慢。
(いやいや、でもね、スタッフからは、えりこさんも食べてね!とメール、もらってるし(笑)・・)
14日の夜に、濃い目のコーヒーを入れてもらって(←我が家のコーヒーを入れる担当は院長ですので(^_-)-☆)、まず、1粒を半分、口にしました。
とろ~とする、中身をたっぷり味わって、残りの半分をいただきました。
ギュッとした濃い味かと思って口にしましたが、想像よりマイルドで、あっという間にサラッといい具合に溶け、口の中でなくなりました。
ほっこりする感触。表現するなら・・・・・、お・い・し・い~の言葉。

世間では、本命チョコだけでなく、義理チョコならぬ義務チョコ?や女子同士の友チョコ、が、広がっています。
また、女の子のいる家庭では、数日前から、クラスメートと交換する友チョコ作りで、(母親が)大変です。
娘も数年前まで、タッパに山盛り作って、山盛り持って帰ってきていました。

高嶺の花と思っていたチョコをいただけて、何より、スタッフみんなの義理じゃない魂チョコがもらえて、うれしいうれしい14日でした。
院長が・・・・・です(^◇^)

BlogPaint

eri.hosoda

正しいことを教える

昨日からテレビは、イスラム国による人質事件のニュースばかり。
一人のジャーナリストが殺害されました。
全く政治や宗教を知らない私たちでも、卑劣極まりない行為だと感じます。
同じ人間のやることではないし、なぜ、こういうことが起こるのか、理解に苦しみます。
お金や死刑囚と命(日本人人質)の引換、その思考回路。
犯人も同じ人間であるのに、どこで、そういう思考回路が生まれたのでしょうか?
もし、もし万が一、その犯人?テロリスト集団?の一人が生まれた直後に、日本のどこかの家庭で育てられていたなら、きっと、テロリストなんかになっていなかったはずです。
周りの環境、親の影響、友達の影響は、怖い・・と思い知らされました。

このニュースが騒がれ出した時、ふと、思い出したことがあります。

数か月前、ある患者さんのお子さんがキッズコーナーで遊んでいました。
その時のお子さん(男の子)の言葉を思い出したのです。
私は、診察の順番が来たママに「先に診察室入っていてください。お子さん、お連れしますよ。」とお伝えして、なかなかキッズコーナーから動こうとしないお子さんをなだめて、靴を履かせようとしていたのです。
キッズコーナーは、数人遊んでおられたので、プチ保育園状態。
ままごとセットのくだものをその男の子は握っていて、他のお子さんが「それちょうだい・・」みたいな会話がなされたのです。そのお子さんは、それを渡すのが嫌だったのか、「それちょうだい・・」と言った子にパンチしたのです。
幸い空振りっぽい感じというか、握りこぶしはそのお子さんには届いていないので、ケンカにはなりませんでしたが。
その時一応大人である私は「あ、(笑)、お友達、叩いたらダメだね・・」と言いました。もちろん、よそ様のお子さんですので、ニコニコして、軽くですが。
そのお子さん、すかさずこう言ったのです。
「でもな、アンパンマンもいいもん(正義の味方ってこと)やけどな~、パンチするで~」って。
そうなんです。
みんなちびっこが見ている正義の味方、アンパンマンも、自分の敵とみなした相手には、暴力を振るっているのです。
私は、どう返したらいいのか答えられず、何も言わずに、お子さんと手を握って、診察室に入りました。
そのお子さんは、すごく良い子。このアンパンマンの暴力を引きずっていくとは思えないし、一緒に来られていたママも礼儀正しい方だから、まっすぐに育てられるだろうと思うので、全く不安はなかったのですが。
子供たちは、見ているのです。
テレビの中のアンパンマンのやっていることを。
人気があるアンパンマン、激しい戦闘ものでもないし、それを見せておいたら子どもは静かだし、どこのママも見せておられることでしょう。
その映像の中の正義の味方は、暴力を振るっていたのです。
だから、自分も同じことをする・・、当たり前ですよね。
それでもって、お友達には暴力はいけないよ、とか、人を叩いたり蹴ったりしたらだめよ、と教えていかなくてはいけない矛盾。
アンパンマンは正義の味方だけど、アンパンマンだけはパンチしてもいいのよ・・なんて言うのも説得力ないし。

多くのちびっこたちはこのアンパンマンを見ていると思います。その年代は、アンパンマンの世界も今の世界も区別を知りません。だから、その発想は正常。
でも、ちびっこ達は、アンパンマンとは関係なく日常の中で、暴力はダメだということを親や周りから教えられます。
そして、アンパンマンの暴力は忘れて、あれは、テレビの中の話、漫画の世界と区別できて、大きくなっていくのでしょう。

話を戻すと・・・
イスラム国の犯人は、きっと、正義の味方は、暴力を振るってもいいのだ、正義の味方なら人を殺してもいいのだ、と信じて育ってしまったのでしょう。
正義の味方は、そんなことをしない!ということを知らずに、そのまま、後藤さんに手を挙げてしまった・・・。
なんと、幼稚な!!!
なんと、未熟な!!!
なんと、バカげた!!!
アンパンマンを見て、かっこいいと思っているのと同じやん!!!

4,5才の男の子の一言。
今回の人質殺害事件のニュースを見て、私の中で蘇りました。

アンパンマン、どんどん子供たちのとりこになっていくし、微笑ましいし、全然OKだと思うけど・・。
強烈パンチだけでなく、話し合いで解決?!なんてストーリーも、作ってほしかったな~(笑)
eri.hosoda

震災から思う

震災から20年。テレビなどの報道は、当時のドキュメンタリーをしたり、それを教訓にしたドラマを放送したりで、いつもより、いろいろな思いがふつふつと起こりました。

1月17日、阪神淡路大震災のおこった日。
京都にいた私は、全く被害を受けていません。
朝、出勤するまで、事の重大さにも気付いていませんでした。
その日は、すごく寒かったけど、いい天気で、青空が広がっていたと思います。
産婦人科病棟(以前の職場)は、忙しくなく、お産の方もいらっしゃらず、ゆったりとした空気が流れていました。ただ、テレビを付けると、時間が経つにつれ、死者の人数が増え、倒壊家屋の様子、火災の様子が映し出されるようになりました。全テレビ番組が番組やCMを差し替え、被災状況を放送しており、これは戦争じゃないか!!と思うくらいの怖さを感じたものです。
職場のスタッフ一人が神戸出身で、母親と連絡が取れず、仕事終了後、バイクで京都から神戸に向かうと言いだし、心配したものです。(お母さんは無事に、避難所に行っておられました)

そのあと、2011年には、東北の大震災。それも、この世の出来事と思えない、津波。
被災された当事者の方には、本当に申し訳ありませんが、映像でした記憶がなく、第三者としての思いしかないのは事実です。それでも、身震いするほど怖いし、恐怖を感じます。

次、何が起こるかわかりません。今日、何かが起こるかもしれません。
もし、京都に津波が来たら、おそらく日本のほとんどが海の中になるでしょう。 
今、富士山が噴火したら、日本はパニックでしょう。
数日前、京都南部に震度3の揺れを感じました。
院長は、お風呂に入る直前。脱ぎかけた服のまま、クリニックに安全確認の電話をしていました。その時は「結構揺れたね」だけで済みました。
もし、その時に未分娩の方がいらっしゃったら、お産を終えなくてはなりません。外は被災状況でも、
出産場面では、普段と変わらず、「おめでとう」ということでしょう。
当事者でないとわからない恐怖や危険は、その恐怖や危険の空間にならない限り、日常にダブらないのかもしれません。

そんな中でも、常に危機感を持つこと。
こんなに未曾有の災害があっても、体験していない私たちは、家もあり食べ物もあり、テレビも電気もある。
あっという間に普通の現実に戻ってしまう。
だから、今回、数々ある報道番組を見ていて、悲しくなったり、再び起こるのではないか、という恐怖を感じたけれど、同時に、1995年1月17日の記憶をたどれば、その時いっしょにテレビを食い入るように見たスタッフの顔、その時の天気や病棟の雰囲気、出勤前に親が電話してきてくれた会話、神戸に住んでいる友人に電話するため、病院の公衆電話の前に並んだこと、そんな内容の記憶が1995年1月17日の記憶であることに不思議な感覚を覚えます。非情に思うけど、事実です。

20年って、あっという間でした。

これから20年もあっという間であることは、間違いありません。
しかも、20年後は、今生まれた赤ちゃんは、数知れない体験をすることができます。
でも、私たちは、いや、私は、今できていることが、できなくなる年齢になっているはずです。
もしかして、あと20年も、生かされないかもしれません。
だから、これから先、震災の体験をしていないからありがたい思いだけで生きていけるし、人間、記憶する真逆の忘れるということができる勝手な生き物なので、生きていける、のです。
でも、決して忘れてはいけないこともあると思います。そして、忘れてはいけないことは、語り継がなければならないのです。
それは、自分で考えて、時にはみんなで考えて、ありきたりな表現ですが、大切に生きていこう・・と思います。

数日経ちましたが、20年を迎えて思うことを記しました。
6400名の方に黙祷。
eri.hosoda