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立会い

昨日の母親教室で、
「出産のとき、お父さん、立会い希望の方は?」
という質問に、30人中9割くらいの方が挙手。
残り数名の方も考え中とのこと。
立会い出産は、今の時代、普通に行われるようになってきた。
細田クリニックでも9割以上の方が立会い出産をされている。
今まで、立会い出産を行って「失敗だったな」や「このご夫婦には無理だったな」という例は1例もない。
かといって、立会いをしないことに罪悪を持つこともない。
大切なことは、立会いをするかどうか夫婦で話し合うこと。
自分は出産する立場として、夫にどう関わってほしいのか、
夫はわが子が生まれる過程において、妻にどう手を差し伸べるのか、などなど、意見を出し合うことが大切だと思う。
その結果が立ち会うかどうかに結びつく。

それを前提に書いてみる。
10日ほど前の出産。
お父さんは、「僕は立ち会いません。生まれる直前に言ってください。分娩室から出ます。」と。生まれる直前ってどのタイミングか・・と考えつつも・・。
結局は、お産の最中、お母さんの手を一回も離さず、一緒に呼吸法を行って、一緒にいきんで、最後まで、お母さんとがんばっておられた。
そして、感動と、自分もお産をした疲れと安堵感をたっぷり感じておられた。
昨日の出産。
立ち会われたお父さんも、一緒に汗をかいて、生まれた瞬間、一緒に涙を流して、感動されていた。
後で聞いてみた。
「一緒にお産されてどうでした?」と。
すると、
「本当によかったです。陣痛の間、心音も良かったし、赤ちゃんは元気ですよ、と言われてたけど、生まれた瞬間、オギャッと泣いてくれるまで、本当に心配でした。あの泣き声を聞いて初めて安心しました。でも、これから育てていく先が大変なんですよね。これからスタートなんですよね。がんばれます。」
としみじみ話してくださった。すでに、立派なかっこいい父親の姿が印象的だった。
日常、立ち会いについて聞かれたら
「血をみるのではない。器械を見るのではない。小股から赤ちゃんの出てくるところを見るのが、立会いではない。一緒にお母さんとがんばることが立会いの意味なんですよ。」
と話している。その基本をもとに、立ち会うのかどうか、を決めてもらっている。
結果、立会いをしないと決めたにしても、先にも述べたように、お産の意味、家族が増える意味を話し合ってもらうわけだから、それだけでも、無駄なことではない。
もちろん、上のお子さんが立ち会うことに関しても、同じ。
赤ちゃんが出てくるところを見るのではなく、お母さんが必死になり、命がけでがんばっている母親を囲み、家族が増える瞬間に、小さいながら自分も家族として、その場に居合わせることに、大きな意味であるのでは・・、と思う。
帝王切開も同じ。
よく、教科書に、正常分娩と異常分娩という分類に分けてあるが、それは、あくまで、経膣分娩と吸引分娩と帝王切開の区別を言っているだけで、正しい分娩と変なおかしい分娩と言う意味ではない。
それぞれ、元気な赤ちゃんが生まれて来てくれるための方法、手段にすぎない。
だから、異常・・という言葉には引っかかる。
よって、うちのクリニックでは帝王切開でも、立会いを行っている。もちろん、経膣分娩のようにずっとそばに、と言うわけにはいかないけれども、いっしょに生まれるその場面に居合わせることは、大切なことだと思うからだ。
人が生まれてくることは、医療なしでは考えられない今の時代。
きっと、原始時代は、洞穴のようなところで、動物的な出産をしていただろう。(想像・・)だから、母も子も命を落とすことも大いにあったであろう。江戸時代、いや、昭和の初期まで命を落としてしまうことは茶飯事であった。今は、医療で救える命は、救える時代になった。大きな進歩を成し遂げている。
でも、そんな江戸時代も、原始時代も、そして、今も、家族が増え、子孫が増えるという意味には、全く変わりないのだ。
今の医療の進歩を信頼し、活用し、でも、家族が増えるという原点を忘れないように、大切にしなくてはいけないと思う。

追記・・だから、そんな大切な出産お場面に立ち会うスタッフ、入院中に接するスタッフは、自分の家族を大切にし、親子を大切にし、夫や彼を大切にしている。そんな、スタッフばかりであることに感謝しているし、すごく、自慢だな~と思う毎日だ。
eri.hosoda







笑い話

昨日の妊婦健診の光景。
妊娠中期の方の超音波を行っているときのこと。
3Dで、赤ちゃんの顔が絶妙に見え、鼻、口もどちらに似ているか、とわかるくらいきれいに見えていた。
臍の緒もきれいにらせん状に見えて、体の左前から首の後ろに回っている。それは、臍の緒が首に巻いているように見えるが、ぎゅ-と巻きつけた状態ではなさそう。
そのときの院長の発言。
「臍の緒が、えりまきみたいに軽く巻いているかも・・でも、これくらいは、心配ないからね。」
超音波の器械の線を院長の首に巻いて、ジェスチャーつき。
となりにいるお父さん。
ボソッと「えりまき?」
今風の若いお父さん。えりまき・・というものがピンと来てないらしい。
何だか、エリマキトカゲを想像したのだろうか。
「どんな顔・・。」と。
横にいた私は、すぐに察して
「マフラーみたいに・・・ってことよ。」
それで納得したのか、
「あ~、わかった~」(笑)
私は、笑いが止まらず、受付スタッフに報告してしまった。
「もう、院長たら、この時代、マフラーのこと、えりまき・・なんて言うんよ。」
と。

そう言えば、年齢がばれてしまいそうな単語が普段もポツポツ。
その1
「今日は寒いな~。トックリのセーターでちょうどいいや。」
トックリだなんて・・・。
その2
主人が見ているテレビ番組から、私や子どもが、他の番組に変えたくて、「変えていい?」と聞くと、私や子どもたちに向かって
「うん、もう、チャンネル回していいよ。」と。
チャンネル回す時代は、私でも記憶が薄い。いつも私は主人をからかって、テレビのリモコンをクルクル回しながら「おかしいな?チャンネル変わらないよ~」とふざけてみる。
その3
数年前のこどもとの会話の中
「帳面はちゃんと書いているか?」と。
帳面って・・・・・・。
そのときはさすがに主人も自分で恥ずかしかったのか、それ以来、帳面と言う言葉は聞いていない。

まだまだ考えたらあるのだが、このブログを院長が見たら、反撃に出てきそうなので・・(笑)
                        eri.hosoda

生きること

元気な赤ちゃんが生まれること、当たり前のように生を受けたと思われている毎日。
でも、その当たり前の中で、「実は、人間の一生で、生まれるときが、一番しんどい思いをすると思う」と、いうことを、私は母親教室で話している。
「だから、赤ちゃんは、必死で、命をかけて、狭い狭い通ったことのない産道を通ってくるのだから、お母さんも妊娠中、決して赤ちゃんの苦しむことを増やしてしまうのではなく、体重コントロールをして、毎日歩いて、赤ちゃんにいい事をしてあげましょう、助けてあげましょう、帝王切開でも同じです」と。
その赤ちゃんの生まれる道を作ってあげるのは、お母さんしかできない。
周りの人が、どんなに気をもんだり、代わりに歩いてあげたり、おやつを控えたりしても、決して、赤ちゃんが生まれるときに、直接、助けにはならない。
お父さんが、一緒に歩いてあげて、一緒におやつ食べないこと、を実行してあげても、(お母さんにとっては、お父さんの行動は、心強く大切な家族の役目をはたしていることには違いないが)、赤ちゃんの生まれる道を作ってはあげられない。
この世に望まれて生まれてくる道中(産道)は<死に物狂い>であり、死と同じくらいしんどいのだと思う。
みんな人は、生きていく中で、そのお産の道中を忘れてしまっているのだ。

なぜ、突然、「生きること」に関して思うのか。

数日前に、私のおじが亡くなった。癌であった。
まだ、60歳を少し過ぎたところ。
おじは、生きたくて生きたくて仕方なかった。
最後の最後まで、再発を知らず、
「このしんどいのを乗り越えたら、絶対に良くなるからなあ」と自ら、言い聞かせ、奮い立たせていた。
主治医の先生にあと2~3日・・と家族に言われてから、2ヶ月がんばった。
おそらく、「再発で、治療法はない・・・」とおじに告げたなら、残り2ヶ月はなかったと思う。家族だから、おじの性格はわかっている。一辺に生きる意欲はなくなる、と判断し、最後まで再発を告知せず、体力の衰え、とだけ告げていた。
そんな中、おじは、最後まで、私に会うことを求めていた。
おじには娘2人いるが、娘には心配かけられない、弱音をはかないという親心から来る思い、それに加え、私と主人が医療従事者だということで何かためになることをいってくれるのでは?という思いで、事あるごとに私の名前を呼んでいたそうだ。
まだ、意識があるうちに、私はおじに会いに行った。
おじは、何かを言いたかったのであろうが、最後までそれは言葉には出してくれなかった。
でも、自分がもう復活できないことをきっと、心のどこかで感じていたであろうが、生きていたい、という執念も強く強くあった。
別れ際に握った手で感じた。
「じゃあね、帰るね・・」と私がその手を離そうとすると、何回、いや、何十回私の手を握り返し、離さなかったおじ。
おじの口からは、
「あと3日ほどで良くなるよな?」と言いたかったのか。
「もうだめかもしれないから、娘やおばのこと頼むね」と言いたかったのか。
そして、私の口から
「大丈夫。今が一番しんどいときだから」と言って欲しかったのか。
「家族みんなのことは大丈夫。安心して。」と言って欲しかったのか。
本心はわからないが、
「大丈夫だよ」の一言をかけた。すると、いつもの笑顔で、ゆっくり手を離してくれた。

生きたかっただろう。
やりたいことは山ほどあっただろう。

普通に、自然に生きることはこんなに大変なんだ、
生きたくても生きられないときには、何もしてあげられない、と思った。

そして私は、数日後には、
必死に生まれてきてくれている赤ちゃんをいつものように迎えている。
ひとの生死両方に直面し、生まれようとするパワーと生きたいとするパワーの両方の力を感じた。

生まれるときの苦しみは、人間、生きていく中で一番苦しいときだと思います・・
死に物狂いでうまれてくるのです・・
死を迎えるときは、生きていたいと思っても、何も助けてあげられないけど、生まれようとする赤ちゃんのためには、お母さんはたくさんたくさん助けてあげることができるのです・・と、いつものように、次の母親教室で話そうと思う。
                       eri.hosoda






2009年

新年明けましておめでとうございます。
今年も、クリニックをよろしくお願いします。

今年の年末年始は、去年よりゆったりと過ごすことができた。
お産は、予定なく始まり、予測のつかないゴールを目指す。さらに、37週から41週という5週間の間に起こりうる。しかも24時間。
絶対この日は生まれない!誰も陣痛が起らない!という日はないのだが、過ぎてみれば、新年は今日が初めての誕生だった。
二人の男の子と女の子が生まれてきてくれた。

よって、院長も私もクリニックに入り浸りではなく、人間を磨かねば(←口実)・・と外に出歩いた。
1日は、午前中は、夫婦で西京極一帯を散歩。
新年早々、健康にいいコトした!と自己満足。その時は、毎日続けようと決心。
昼から、家族そろって初詣。元旦の昼から行ったものだから、すごい人、人、人。
寒い中並んで、警備員のおじさんの誘導のもとお賽銭を入れ、数秒ほどのお祈り。
たった数秒でも、お願い事は優先順位なく、思いつくまま、お願いした。
「絶対に元気な赤ちゃんばっかり生まれてきてくれますように」
「私の知ってる人、みんな健康でありますように」
あと2つか3つ、お願いした。
欲張りすぎか・・。
家族4人で20個くらいお願いしたかも・・。
2日は、というか、2日も、散歩。でも、途中で珈琲と甘系を食べてしまい、元旦ほど自己満足感はなかった。
3日は、車で出掛けたが、散歩がてら、車を止めて、なんと思いつきで銀閣寺へ。
二人とも銀閣寺は初めて。趣に浸らねばならないのだろうが、初詣並みの人、人、人。おまけにメインの銀閣寺は工事中でテントが掛けられていてがっくりであったが、旅行に行った気分になってうれしかった。
4日は、車で5分ほどの打ちっぱなし場へ。私は、打ちっぱなし、と言うより、腕を振っていただけであるが・・。それを見ている主人は、私が打つたびに、笑いをこらえて、「今日は、それぐらいにしておいたら・・?」と。

そして、今日。
外来の患者様が普段の1.5倍。
朝の外来前と、夜の外来前に、2件の出産。そして、夜診。
夕飯の後の今は、カルテ整理をする院長と山のように残された事務処理の私。
漫画に例えると、鉢巻きして、髪の毛振り乱し、ランニング1枚で駆け出している・・つまり、アクセル全開。
そんな初仕事日。
でも、ゆっくり自分の時間があった3が日。
こんな日があと10日ほどあったら(あるわけないから思うのだが)、ダメになりそう、と悟り、
今日の忙しさがありがたく感じた。
こんな初日。やっぱり、スタッフと笑いながら、あたふた走り回っている自分が、どうも、合っている気がした。
そう思えるのも、リフレッシュできたからなのか・・。

今年も、生まれてくる赤ちゃん、みんな、み~んな元気でありますように・・。
                         eri.hosoda








 

年末

まだ、年末の感じがないね・・・
そんな会話をしながらでも、掃除をしたり、年賀状の準備をしたり。
家の掃除も中途半端ながら、クリニックの私の机の上も物置状態。
それでも、やってきます。2009年。

今年1年は、あっという間でした。
事故もなく、次々と元気な赤ちゃんが誕生し、また、スタッフもみんな健康で年越しを迎えられたことは、すごく、ありがたいことです。感謝しなくてはいけません。
世間では、解雇や不景気という言葉が日常に聞かれ、他人事ではないという人もたくさんおられます。
医療もかなり診療報酬が下げられていき、患者さまが増えていっても、診療報酬は変わらない、むしろ、減っていくときもあるというのが現状です。
かといって、医療のレベルも下げましょう、ということではなく、もちろん、レベルは上げていかなくてはいけません。
分娩費も1月1日をもって改正です。
「産科医療補償制度」
妊娠中の方は、ご存知だと思いますが、2009年1月1日から適応になるわけです。(ご存知でない方は一度ネット検索してみてください。)
この制度を知ったときには、どこの産科医も「こんな理不尽な・・」という意見でした。もちろん細田クリニックも。
その制度について、勉強をすればするほど疑問はふえてきました。しかし、国は待ったなしです。その制度加入の締め切りは、〇日までですよ、との催促。
現在加入してないクリニックは、〇〇と△△だけですよ、と追い討ちの通達があり、強制的な加入となったわけです。ほぼ国の命令だから疑問を解決する時間など猶予はありませんでした。
そうしてこの制度に加入しました。ほとんどの産科医はそのようです。
重度脳性麻痺の赤ちゃんが誕生した場合の金銭的な補助。そのために、妊婦さんは、保険会社に3万円払って保険をかけましょう、という制度。
この制度、産科医、産科に携わるスタッフにとっては、歯がゆさを感じます。
それは、重度の脳性麻痺の場合のみ、かつ、分娩管理に理由があった場合の保証。軽症や早産の脳性麻痺の場合、また、他の疾患の場合は全く補償外です。
国の制度なのに、保険会社は民間。
妊婦さん全員3万円の掛け金をするわけですが、すべて、掛け捨て。また、加入している産科医でお産したいなら、妊婦さんが入りたくないと言う権利はない。妊婦さまの選択権はないわけです。
何より、重度脳性麻痺になられた方をお金で補償すればいいのか、という問題。
出産時、3万円かけて、3000万円保険金が出ますよ、ということです。
私たち現場で働くものにとっては、分娩による理由で赤ちゃんにストレス、負担をかけないよう計り知れない神経とパワーを費やします。
元気に生まれてきてくれて、おめでとうと笑顔で言えるよう、そのために、妊娠中の管理、分娩進行中の管理を一生懸命やっていうわけです。
分娩に携わるスタッフは 誰一人、脳性麻痺になるようなお産の管理を行うことはありません。少なくとも細田クリニックのスタッフには、そんないい加減なスタッフはいない、一人ひとりの判断力は優れている、と自信があります。過信ではなく、一生懸命ということです。
よって、細田クリニックで生まれてきてくれた赤ちゃんは、分娩による脳性麻痺の赤ちゃんは誰一人いません。
さらに言うなら、私が過去何千例と立ち会った出産において、分娩によって起こった脳性麻痺児に出会ったことはほとんどないのではないでしょうか。(他の理由によっては1、2例いらっしゃったという記憶はあります。)
そんな現状で3万円の掛け捨ての保険。
国は、妊婦さまがもらえる分娩費手当金を3万円増やすのだからいいでしょ、妊婦さまには負担になってないはず、という意見です。
それなら、国にはもっと、他に補償していただきたい事が山ほどあります。妊婦さまから3万円を・・という形をとるのなら、産科医療の現場を、もっともっと知り尽くしてから、そのような制度を作って欲しかったものです。
私たちが、元気な赤ちゃんを産んでいただくことにどんなに一生懸命であるかということを知って欲しかったです。分娩がスムーズに進むことを一生懸命にやっていれば、分娩による脳性麻痺はゼロのなるのですから。
現場に働くものが100%納得ができないまま、強制的にこの制度がスタートしたことには疑問が残りますが、3年後5年後と見直すという国の意見を信じて、可動します。
この制度を開始するに当たり抱いた疑問は是非国のお役人さんの耳に入って欲しいものです。

何だか、難しい話で年の締めくくりとなってしまいました。
2009年も元気な赤ちゃんが生まれてきてくれること、いろんな方々とお知り合いになることを思いながら、年末のごあいさつにさせていただきます。
ありがとうございました。どの方も、よいお正月を。


                                eri.hosoda