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こどもの日

5月5日、こどもの日。
男の子の節句。
少し前に生まれた男の子のおじいちゃんが、
今度の5月5日は初節句になるのかな~と話しておられた。
さて、生まれて数日でも初節句なのか、来年なのか、わからないけど、
おめでたい子どもの日として、お祝いされていることだろう。
何年か前に、我が家で子どもに聞かれた。
「何歳までこどもの日なん?」と。
その頃のこどもが聞きたかった意味は重々わかっている。
こどもの日には、「みんなでどこかに出かけようか」とか、「今日は食べたいもの何でもいいよ」と子ども中心に回る日。いつまででも続けばいいなあ、と思っていたのであろう。
しかし、親の忙しさもあるけれども、子どもの親離れからか、いつの年からか「今年の子どもの日はどうするの?」とは、言わなくなった。いくつになっても、子どもは子どもではあるが、親とどこかに行く、という行動を嫌がる(←までいかなくとも、親との行動を喜ばなくなってきたのだろう)そんな年齢になってきたのだ。
ある意味うれしいこと、親としては子どもの成長として受け取れることだ。
いつまでも親と一緒、も、心配にものなるし、親の姿より大人になった子どもの口から「今年の子どもの日はどうするの?」と言われる光景を想像すると、若干引いてしまいそうにもなる。
昨日買い物中、スーパーで菖蒲の葉が売られているのを見て
主人が「今年はこれ買わないの?」と眺めていた。
子どもが小さいときは、子どもの日だけでなく、いろんな日本の昔からの言い伝えを教えるために、できる範囲で日本行事を行っていた。
菖蒲湯に入って、強い男の子になってくれ、ということだよ、説明しながら、1番風呂の菖蒲湯に入らせたり。
しかし、さすがに、もう、いらないだろう。
主人よりたくさん食べるし、骨格も主人を超えたし・・・。
でも、子どもが大人になって、子どもができたとき、スーパーに売られている菖蒲の葉を見て、自分の子供のころの親心を感じてくれたらな、と思う。
(注*まだまだ、おじいちゃんおばあちゃんにはなりませんけれど・・・)
eri.hosoda

事件

今、ニュースや新聞では2つの大きな事件が目に付く。
1つは、草なぎ剛が逮捕、そして、釈放されたこと。
こんなに大きな報道をされ、しかも、家宅捜査まで受けて、気の毒といえば気の毒だ。
普通の酔っ払いなら、保護で済み、翌日、帰されるはずであろうが、かなり酔っていたことや、芸能人ということで、覚せい剤などを疑われたのであろう。
逮捕され、ニュース速報にも流れ、各コマーシャルも打ち切りになり、社会的損失を招く結果となったわけだ。
芸能人が逮捕されたことが、トップニュースになることは滅多にない。あっても、覚せい剤関係。草なぎ君の事件は、みんなが、少々和んだかもしれない。顔合わせる人との話題になったし、患者さんとも話しのねたになった。(草なぎ君ごめんなさい)
草なぎ剛が逮捕されるなら、あの、酔っ払い国会議員は即刻処罰されてもよかったのでは?と思う。風邪薬で呂律が回らなかった・・とか、気分が悪かった・・と言い訳をしていた。あれは、誰が見ても、酔っ払いだった。世界中のニュースで流されて、あれは、草なぎ君の全裸とは、全く意味が違うのでは?と思う。あの人こそ、どこかの大臣の発言を借りて、最低の人間だ!と言ってもよかろう。

そして、もう一つ。
毎日、新しい命を見ているし、親子の繋がりも目の当たりにする。
こんな光景を普段見ている中で、大阪の女児殺人遺体遺棄事件は悲しすぎる。
ありえない。内縁の夫がやったのか、母親本人がやったのか、明らかでないが、どちらにしても、想像を絶する事件だ。尋常ではない。
なんでわが子を殺せるのか。
この事件だけではない。ここ何年間で、わが子を川に突き落として殺しておきながら、わが子がいない、と探しまわっていた事件。公園で遊んでいたら、子どもの姿が見えなくなった、と捜索願を出していたが、結局公園のトイレでわが子を殺していた、という事件。
ありえない。
どういう心境でそんなことができるのか。
何の罪もない、かわいい子どもにどうして、殺傷できるのか。
昨日、古館さんのニュースでこんなことを言っていた。
「これからは、わが子に対する接し方も法律でしっかり保護しなくてはなりませんね。」と。
なんと情けない国になったのであろうか。
毎日生まれてくるベビーを見ていて、お母さんお父さんを見ていて、本当に、そんな事件が起こるのか、と不思議なくらいなのに・・。
わが子への接し方もわからなくなった時代。自分の子どもこそ、自由に自然に接していいはずだが、それが、とんでもない方向になるなら、法律に頼るしかないのか。
どんな殺人母であっても、生まれたときは、かわいくて、いとおしくて、絶対、何があっても離さないと思ったはず。その心を惑わすものは、何なのであろうか。
本当にわからない。私には考えられない。
わが子を見捨てる、わが子を殺す・・・
そんな事件、無くなってほしい。
草なぎ君の裸事件のほうが、何倍も何倍も、マシ。
eri.hosoda

本当か嘘か・・出まかせか・・

先日外来で、妊婦さんのお母さんから質問があった。
「お腹がでっぱているから、お腹の子どもは、男の子だと思うのです。でも、超音波で女の子と言われたらしいですが・・。この前、妊婦健診でそう言われた、と、帰ってきました・・。」
よく聞かれる質問。お腹の形で性別なんてわからない。
少し前までは、超音波はない。
更にさかのぼること昭和初期なんて、妊婦健診すらなかった時代。
大きなお腹を見ると、がっしりした男の子を想像したのであろうか。
「男のだよ」と言う言葉の正解率は50%。当たったことだけが、言い伝えられているのだろう。
他にも数々ある。
「赤ちゃんの分まで二人分食べなさい」
あまり、言われなくなったが、お母さんのおばあちゃんの時代の常識であったのだろう。想像するに、戦時中、戦後間もない頃は、食べるものもろくになかった。
だから、妊婦さんには、少しでも、腹の足しになるように、大根の重湯汁一杯が一杯半食べられるように、そのような表現をしていたのであろう。
全く、今の時代にそぐわない。食べるもの自体も違うし、消費カロリーも全然違う。
「産後一ヶ月はじっと寝ていなさい」
私たちが子どもの頃は、当たり前。近所のおばちゃんが産後一ヶ月経ってから、腹痛と発熱で入院した、という話を覚えている。母たちは、「あの人は一ヶ月経ってないのに、実家から自宅に帰ってきて、産後じっと寝てないから熱が出たんでしょ」と話していた。なぜか、その光景リアルに覚えている。(余談*私は4歳か5歳くらいだったと思うけれど、新聞の上でまっ裸でスイカを食べながら聞いていたと思います。その後、お尻に新聞が写って近所のおばちゃんたちに笑われたのでよく覚えているのです。)
産後じっと寝ているのも、全く間違い。
だから、出血(悪露)が外に出ず、子宮の中に溜まって、感染を起こし、一ヶ月位で熱が出たのであろう。それでもって、シャワーもしておらず、髪の毛も一ヶ月洗えず、と不潔極まりない身なり。
感染の問題だけでなく、よく、昔の人はその不快に耐えられたな~と思う。
「腹帯を巻いたら、安産に・・」
母親教室でいつも、話すこと。腹帯は全く医学的根拠はないこと。
昔は犬は安産だったことから、あやかっているのであろう。
また、まだ週数が浅い時期に、大きく出ていないお腹では、周りの人々に妊婦さんと思われない、それでは、かわいそう。腹帯を巻いて、妊婦らしくして、周囲の人にわかってもらいましょう、という慣わし。
よく、腹帯の巻き方を教えてください、と外来中に聞かれるが、医学部でも、看護学部でも、助産学部でも、腹帯の巻き方、というものは習っていない。実習もしていない。本当に神社だけの言い伝えだと思う。
でも、神社で腹帯を買ってきてくださった方々が、安産になってほしいという思いは大切にしてほしいし、無碍に「それは意味ないよ」と言うのではなく、周りの人の気持ちをいただく意味で巻いてみることは大切だと思う。
それイコール安産ではない。
他、たくさん。妊婦さんを取り巻く言い伝え、迷信は調べたらたくさんあるだろう。
こんなこと、本当ですか?という内容があれば、教えてほしい。迷信でも単なる言い伝えでも、どこかに、なるほど・・と思う意味はあると思うので・・・。
eri.hosoda

4月

初夏のような4月。
あっという間に日が過ぎて行き、4月ももう半ばである。
忙しさにかまけて、気付いたら、このブログ、3月は1回の更新しかしていなかった。
反省・・。
病棟や夜の業務も、スタッフが充実しているので、ほとんど私は影で動いている。なのに、何かと仕事がたまり、あせりだけは、以前と同じ。
年をとったのか、要領が悪いのか、何なのか・・。
明日は私の誕生日。
子どもに「いくつになるんやっけ?」と聞かれ、
「うるさいな。〇〇才ですっ!」と早口モードで答える自分に
(年を言いたくないなんてやだな)と心の中でそっと思う。
そんな中、主人から早々にプレゼントを買ってもらった。
念願のピアノ。
もちろん、本物を買うほど、本格的ではないし、電子ピアノで、定価の半額で、かつ、値切って、買ってもらった。
これを買うには、何年か前からの希望。
ずっと、子どもたちは反対モード。
「絶対練習しないって。弾く時間ないに決まってる」と非難轟々。
それでも、欲しかった。
スタッフの中にはピアノ教師をしている人もいる。
最近、お子さんと習いに行き始めたスタッフもいる。
益々、うらやましく感じていて、ジャスコや電気屋にあるピアノ売り場では、座って弾きたいくらい粘っていた。
実は、高校生入るくらいまでは、音大に行きたくて、ピアノの先生になりたいと思っていた。しかし、家庭の事情で断念。
【結果、助産師になり、今の生活があるわけだから、あそこで、音大に進まなかった結末なので、幸せな今を思えば、それでよかったのであろうが(?)】
何十年ぶりに、楽譜を見ながら弾いてみた。
幼稚園の年長さんくらいのときに、弾いていた、「エリーゼのために」や、小学生の発表会で弾いた、「乙女の祈り」が、弾けない。
指が覚えているサビのところや、出だしは弾けるものの、他は楽譜を読むことに時間がかかり、それに、指も動かなくなっていて、全く、聞き辛い曲になる。
今日、ピアノを習っているスタッフに話すと、
「その曲を弾こうとする時点で、すごい。自分でするより、習った方がえ~で」
と早速アドバイスを受けた。
よ~し、レッスンを受けよう!!毎日少しでも弾いてみるぞ!!
3日坊主にならないように、子どもたちに「ほら、やっぱり」と言われないようにしよう。

自分のゆとりを持つこと、開業以来、すっかり忘れていた。
でも、家族があり、助産師であり、たくさんのスタッフがいてくれて、こんな恵まれた環境にい続けるには、自分をもっと磨かなくては、・・と思い始めた。
読書大嫌い、スポーツ苦手、車の運転全くセンスなし・・・。食べることだけは、誰にも負けないくらい好きだけれど、それは自分を磨けず・・・。
なので、夜中にヘッドホンをつけながら、ピアノのレッスンに浸る日を作ろう、と、〇じゅう〇才の誕生日前日に決意をしたわけだ。
eri.hosoda



気付けばもう春。
朝晩はまだ、冷え込むときも多いけれど、昼間はもう、冬でないことを肌で感じる。
3年前に、桜の咲く天神川を歩きながら、入学式に向かったが、先日、その息子も卒業。
本当にあっという間の3年間だった。
3年前は、制服が歩いているような、初々しい姿だったのに、今では、制服も擦り切れて、ズボンも若干ずらして、格好つけたり・・。
髪の毛も立たしてみたり・・。
まだだまだ、子どもであるけれども、それなりに成長したな~という思いで卒業式に参加。卒業生代表の答辞を聞きながら、涙も出てきた。
高校に行ったら、ちゃんと着いていけるか心配だが、よく考えたら3年前の春にも、同じことを思っていたような・・。
こうして、ドンドン母親を抜いていくのであろう。
身長は、とっくに抜かれている。(体重は私より少ないのが悔しいが・・。)
買い物の帰りには、何気なくスーパーの袋は息子が持ってくれる。(滅多に、というより、1年に2~3回?しか、いっしょに買い物なんて着いてこないけれども)
そして、いつか老いていく私たちは、こんな子どもたちを頼りに生きていくのかな、と思う。
この反面、先月、主人の母が亡くなった。
突然・・。
悲しみを感じることを遮るように、たくさんのことをやらなければならなかったこと
(手続きや連絡、決め事など)があったのは、だれも同じであろうが、何を差し置いても、産科医。
本当に申し訳ないけれども、外来だけ、2コマ休診にさせていただき、その他の病棟のこと、手術、お産・・、普通に、笑顔でこなした。スタッフが、120%で私たちを援助してくれたことは、すごく、嬉しかったし、感謝。そんなスタッフがいなかったら、乗り越えられなかった4日間だった、と心から思う。そんなクリニックにいることを、母もきっと喜んでいるはず、と感じ取っていた。本当は、母の口からの言葉で聞きたいが・・。
親が亡くなれば、5日間ほどの喪休がある一般の会社ではない。
お産や帝王切開は待ってもらうわけにはいかない。
告別式の準備を行う合間のお産や帝王切開。
式場に間に合うか・・、という状況での外来。
告別式の最中も、患者様のことはしっかりスタッフとのやり取り・・。
私は、時間に追われる中、偉そうにも、哲学のように、生まれることと亡くなることを考えていた。
生きていくこと、生まれることは、この上なく嬉しいこと。
心から悲しいはずの時間なのに、心から言えた。元気に生まれてきてくれた赤ちゃん、そして、お母さん、お父さんに、「おめでとう」と・・。

この1ヶ月。
成長していく息子を見、そして、往生した母。それが、家族。
本当に、手に取るように、家族の形が見えた。

この1ヶ月。
そして、いつもと同じように、30数組の家族が、新しい命をむかえた。
今、生まれた赤ちゃんにも、その家族がある。
いろんな思いを経験するであろう、家族。
改めて、この2文字に重みを感じている。

                    eri.hosoda