クリニックでは、平日のお昼ご飯は、お母さんみんな一つのお部屋で食べていただくことになっています。
土日は、面会の方も多く、ばらばらになりがちなので、平日のみ。
かつ、お産直後や体調の悪い日はお部屋で食べていただくことはできます。
さて、その、みんな集まって食べるランチは、お昼ご飯の楽しみだけでなく、
他のお母さん方とのコミュニケーションの場。
数週間前のお昼のこと。
お産ラッシュの真っ最中で、お昼ごはんを食べるために、新生児室には多くの赤ちゃんが預けられていました。
預かった12時過ぎはみんなおとなしく睡眠タイム・・。
12時半くらいになると、数名泣き出し、そのあと数分ごとにみんな泣き出す状態。
「もう、1時間経つから、お母さんもお迎えに来てくれるでしょう・・」と待つことに。
根気よく待ち、ハッと気付けば、2時前・・。
きっと、楽しく話しに花が咲いているんでしょうけど・・。
泣きつかれて寝てしまった赤ちゃんもいるけれど、やはりお迎えに来てもらうために、他のスタッフに声をかけてもらいました。
「そろそろおっぱいに来て下さぁ~い」って。
それから、1分も経たないうちにお母さんみんなで赤ちゃんのお迎えに来てくれました。
そのときのお母さん、みんな素敵な笑顔です。
楽しそうです。
一人ずつ赤ちゃんをお母さんにお渡ししながら、
「楽しいところごめんね・・。でも、もうみんな大泣きだから・・。
・・・・で、何話してたの?」
と聞くと、
「IHの話しで盛り上がってちゃって・・(笑)」
話の内容は、無茶苦茶主婦!
「や~ん、私も話しに参加したかったわ・・」と言えば
「IHいいですよ・・。お湯もすぐに沸くし、電気代もそんなに変わらないし・・。」
そこで、また主婦の話し。
いやいや、おっぱい上げてください・・と笑いながらの光景でした。
お母さんたちは、年齢もバラバラ。初産婦さん、二人めさん、三人めさん、
前日にお産された人もあれば、翌日には退院の人も・・。
はじめまして、の人もあれば、同じ日に出産し、すでに何回か顔を合わせている人も・・。
それでも、みんな笑顔で話し、ほんの少しの時間でもリラックスできて・・。
そして、また、授乳に入り・・。
要するに・・母である前に、主婦でもあり、そして、女・・。
ちょっとした時間が、息抜きだったりするものです。
スタッフ同士もそう・・。スタッフとお母さん同士もそう・・。
たくさん話しが弾むそんな時間も大切だと思います。
私も、友人と8時間ぶっ通しでペチャクチャ話すことで、ストレスが消えていくのがわかります。
そのあと、お互いの夫に
「何をそんなに話すことあるの!8時間なんて仕事の時間といっしょやん!」
と言われますが、いやいや、あと数時間は余裕で話し続ける自信あります。
eri.hosoda
健康
クリニックでお産をされる方は、基本的に合併症がほとんどなく、
大きな異常のない元気な方。
働くスタッフも元気はつらつ。
家族も、風邪1つひかず、子どもも小学生から皆勤賞。
そんな環境の中でも、時々、健康のありがたさを感じる事実がある。
昨日、主人の7年後輩の産婦人科の先生が亡くなられた。
脳出血・・。全く意識が戻らず、そのままだったとか。
その連絡をもらってから、しみじみとその先生から頂いた年賀状を出してみた。
まだ、幼稚園も行かない小さなお子さんとの家族写真の年賀状。
来年も再来年も、続くはずだっただろうに・・。
「今、〇〇先生より、7年長く生きさせてもらっている。大切にしなあかんな。」と二人で語った。
本当にそうだ。生きている以上、誰も予測しないことが起きる。
だから、「今」を大切にしなくてはいけない。毎日が「今」。生まれてきてから今までずっとず~と。そして、これから、おじいさんおばあさんになってもずっと・・。
自分だけでなく、毎日生まれてくるベビーも、同じ条件で、形さえ違えど同じ幸せをもらって生まれてきたはず。
大切に大切に生きていってほしい、と、今日の沐浴をしながら感じた。
そして、数年前にもらった1枚の手紙を出して読み返した。
主人の同級生が癌で亡くなられて、その数日後に家族から送られてきた、手紙。
主人あてに「・・・略・・・あなたは、私のように、途中で倒れてはいけません。這ってでも、前に進むんだよ・・・略・・・」
本当に、重いことば。
主人に無理をしろ・・ってことではありません。
最後まで寿命を全うしてね・・ってことです。
生活のほとんどが仕事。自分を追い込むだけでなく、年老いた親も子供も大きな犠牲を被ってくれています。
いえ、犠牲とは思わず、むしろ支えてくれています。
これから先もきっとそうでしょう。
でも、心も体も健康であってこそやっていけること。
今日、スタッフの一人と亡くなったドクターの話をしていたら、
「二人とも健康でいてくださいよ~。絶対に・・。」と言ってくれました。
心に染み込ませて、がんばれる気力を感じました。
スタッフ、家族、両親、友達・・、すべてに感謝です。
eri.hosoda
地蔵盆
京都では夏休みが終わる頃、地蔵盆が行われる。
関西地方を中心にある行事であり、他の地域では聞きなれない行事でもある。
もともと、地蔵盆は子どもの成長を祈る行事。
でも、準備やら片付けは、地域の大人の役目だ。
主人は、今年は、町内会の3役を仰せつかっている・・。
土曜日、地蔵盆の準備には、緊急の帝王切開で行けず、夜に地域の方がお供えを持ってこられる間の大人の集いに参加したものの、1時間ほどで、クリニックより電話。すぐに直行。
翌日、日曜日は、朝の仕事を終え、地蔵盆へ。
子どもたちが、続々やってきて、ビンゴやお昼の食事の世話役。
その中でも、クリニックで生まれたちびっ子が何人か参加。
この前生まれた子が、周りの子どもたちと一緒にお菓子をもらったり、走り回ったりしていたそうだ。
もちろん、子どもたちだけを見ていても、どこのお子さんかわからないけど、
いっしょに連れ添ってこられているお父さんお母さんを見て、「あ~!」って感じでわかったそうだ。
終わったら、片づけや掃除、お金の計算、お供えの品を各家ごとに分配・・。
家に帰ってきた主人は、日焼けをし、着ていたTシャツとズボンが絞れるくらいに濡れていた。
そこで、全て終了。
暑くて、熱中症になりそうな日に、外で活躍・・。さぞかし、昼間クリニックから出ることのない主人には、ハードだったことだろう。
でも、ちびっ子たちに会えたことがすごくうれしかったようで「〇〇さん、覚えてる?大きくなってた!!」とか、「△△さん、もう3才やって!!」とか、結構楽しかったようだ。
それに何より、医師業と違うことをすることは刺激になって、この年になっても、いろんなことを学べるいいきっかけになる。
地域の方と話し、家庭のこと、それぞれみなさんの仕事・会社のこと、たくさん話してきた様子。
「普通のおじさんしてきたんだなあ」と、感じた。
私も含め、みんなそうであるけれど
「自分」とは、仕事をしているときの自分、家での自分、夫婦だけのときの自分、父や母としての自分、友達といるときの自分・・などいろいろな自分がある。また、自分で判っている自分、相手に映っている自分、自分で気付いていない自分もある。
だから、地域の人たちと、普通の細田のおっちゃんでいられる時間はありがたいことだ。
eri.hosoda
お盆
テレビを付ければ、戦争のトークや慰霊祭の番組、帰省ラッシュや行楽地の渋滞状況。
戦争を忘れないように・・という思い、半世紀ほど前には、今の日本から想像できないような戦争が日本で起こっていたという事実。
そういう、私も戦争は話でしか知らないし、おじいちゃんが戦死した、ということぐらいしか知らないし、子どもにも、昔話のように話すことしかできない。
今、生まれた赤ちゃんたちは、おじいちゃんおばあちゃんも戦争を知らない人たち。「戦争」という言葉はゲームの中でしか知らない時代になるのかもしれない。
ドラマでは、戦争時代の状況を演じたり、慰霊祭で原爆の話を出してみたり、語り続けてはいるのだけど、肝心の今の若者は見ようともしていない。
改めて、命の尊さをしのぶにあたり、このお盆という時期が大切なのではないだろうか。
「お国のために、喜んで行ってまいります」そんなこときっと心の中では思っていなかったはず。家族も「頑張ってきてください」とたたえる。こちらも心の中は、さみしさ、悲しさ、悔しさで、涙が溢れかえっていたに違いない。
それほどまで日本の国を守るために命を削って旅たったひとがいることを忘れないように、語り続けることは難しいけれど、本当に大切だ。
戦死した方々が今の時代に舞い戻ってきたら、100人中、95人くらいの人は嘆き悲しむと思う。
なぜなら・・・・
今の時代は、嫌になれば仕事も学校も辞める。
便利だから・・とiーphoneやiーpadを使用する。利用するのと、怠けるのとでは使い方の意味も変わる。
それらを使うことは悪いことではないけれど、自分で考えて、自分で努力してやることをサボってそれらを使うのであれば、考える頭が退化する。一生懸命考えたり、答えを見つける喜びや、考える過程のもどかしさ、など、感情が無くなり、単純簡単に答えを求めたりする。
悪いことばかりではないけれど、確実に悪影響もあるはずだ。
昔は携帯もなかった。
だから、友達の家に電話するにも、時間を考えたり、お母さんが電話に出られたら、何と言おうか、など緊張し考えたもの。
わからない所に行く時には、人に聞いたり、調べたり頭のエネルギーを全部使った。すごく早めに出向いたり。もちろん、時間に遅れるなら、携帯もないから、1分でも早く行こうと必死だった。その時間に間に合わず、すれ違い、彼氏と別れた人もいるはずだ。
かなり、お盆とはかけ離れてしまった話しになったけれど、楽だから・・めんどくさいから・・と時代の便利を掛け違えていると、人との感情やかかわりが嫌になり、すぐに人を刺したり、殺したり・・。家族まで殺したり、わが子を虐待、殺したり・・。
そうならないように、戦争、そして、命を大切にすることを語り続けなくては・・と思う。
取りとめもないまとまらない話題で すいません。
eri.hosoda
夏バテ対策
タイトルは夏バテ対策・・としたものの、あえて何もしていない状況です。
朝スタッフとの第一声が「今日も暑いね~」になってしまっています。
本当に、溶けそうなくらい暑い今年の夏。
昼間は建物の中にいるので、実感する時間は短いのですけど・・。
行き帰り、そして、銀行への用事、などなど、数分外に出るだけで、体の脂肪が溶けそうです。
(本当に溶けてくれたらいいんですけど・・・)
洗濯物は、ぱりぱりに乾きます。
この暑さのメリットはそれだけかな?
日本のあちこちで熱射病で搬送されたり、亡くなられたり・・の報道がされています。ありえないことですけど事実なのです。
夏は、思いっきり外で真っ黒に日焼けするまで遊んだ子どもの頃は、異国の話のようになってしまいました。
せっかくクリニックの前に植えてもらった、少々の暑さでも耐えられるレッドスターがすでにピンチです。スタッフが、「溢れるくらい水をあげて」という植木屋さんの話を忠実に水やりをがんばってくれているにもかかわらず、レッドスターがグリーンになりかけています。水不足だそうです。
照り返しの暑さで50度くらいになっていそうなグランドで高校野球をやっている高校生もいます。日ごろ鍛えているとはいえ、すごいな・・と思います。酷暑の中でも、目標に向かって笑顔でがんばっていけるのです。若さってすごいです。もう、今の私には想像するだけで無理・・。
息子は、毎日自転車で通学しています。しかも、車でもアクセルを踏みっぱなしの坂道、10キロ以上の距離を。
「道にある温度表示が40度やった!」と言いながらも、自転車で行くことしか選びません。帰ってきたら、制服は絞れるくらい汗でビショビショ。「バスで行ったら?」「脱水症、熱中症で倒れるんちゃう?」と思う親の思いは全く聞き入れません。たくましいというのか、ほどほどが判らないのか・・。
沖縄で仕事をしている友人からメールが来ました。沖縄も暑い・・そうです。
真夏の沖縄の海の写真をいっしょにメールに添えてくれました。
そうですよね。この海を想像できるギラギラする夏は、少し前まで、沖縄だけだったんですよね。今では、京都のほうが、気温が高いです。
少し前、北海道のいとこが話してくれました。「毎年夏でも、朝晩は肌寒いから、ストーブは付けるよ。でも、今年はストーブ付ける時間少ないね。」ですって。涼しい北海道でも、何らかの異常な暑さを実感しているようです。
それで・・・
タイトルの夏バテ対策。
これっと言って何もしていません。
昨日の土用の丑の日に、少々奮発して、国産うなぎを買いました。
それくらいかな・・。クリニックのお昼ご飯も昨日はうなぎでした。
昔から、夏は緑の野菜も少ないし、夏バテにビタミンを・・という意味合いがうなぎを食べましょう、という形で残っています。
今、食欲も落ちていないですけど、唯一の夏バテ対策でしょうか?
eri.hosoda