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絶滅危惧種??

ある記事で、産科医は絶滅危惧種だ・・という文章を見た。
絶滅危惧種?
絶滅危惧種のイメージは、野生動物で、かつ、保護しなくてはいけない生き物、という意味が大きい。たとえば、佐渡島のトキや屋久島のイリオモテヤマネコ・・。
でも、それらの動物が、もし、万が一いなくなっても、人間の生活にさほどさしつかえはないが、産科医がいなくなればたちまち困る。
確かに、消え入りそうな産科医。でも、野生ではない。自ら、産科医を辞めていってしまわれる。野生動物は、環境破壊などで生きていけなくなっているのであろうが、産科医もそれと同じように環境を整えて、自ら辞めていかれる産科医を守らなければ、絶滅してしまう。
なら、産科医の環境?どうしようもない・・というのも現実だ。変えようがない。
全国で・・、こんなに人口の多い日本で7900人ほどしか、お産に立ち会う産科医はいない。
しかも、この人数は数年前で、平成22年の今はどうだろうか?少なくなっているに違いない。
この7900人が多いか少ないかは、数字だけ見ても、見当つかないかもしれないけれど、小学校の先生は43万人いるのだ。その先生は6年間分の先生ですよ、と考えて、1年間分の先生の数にしてみても、7万人強。
産科医の10倍以上の数で、小学生を育んでいるのだ。
だからといって、医学生に「産科医にみんななりましょう・・」と言ったところで、24時間拘束、夜中も呼ばれる仕事、土日も正月も白衣を着る科。率先してやってくれる人は少ないと思う。
どうすべきなんだろうか?
どうしようもできないけれど、不安な気持ちになる。
今はまだいい方なのかもしれない。でも、今生まれた赤ちゃんが、母や父になる20年、30年後を考えると、今より良い環境になっていて欲しいと思う。
対策?国なのか地域なのか、医師会なのかわからないけれど、絶滅危惧種なら、トキやイリオモテヤマネコのように保護する対策が必要になってくる。
小児科医は、お産に立ち会わなければいけない・・とか、産科はなくなり、外科や整形の外科系の病院でお産を行ってください・・という制度になるかもしれない。
でも、そうなったら、それはそれで、医師への負担が増大することには間違いない。昔のように、家で産みましょう、となるかもしれないが、そうなれば母や赤ちゃんの救える命が救えないことも増える。
助産師、産科の看護師も同じ。産科医と協力してこそ、安全なお産の手助けができる。
こんな小さなメモ書きブログで考えていても何の進歩、発展にもならないけれど、今、書き留めておき20年後、30年後に振り返ってみたい。

今より、もっともっと安心安全なお産ができるようになっていますように・・。eri.hosoda

番外編

昨日から、やっと涼しくなり、寒いと感じるほどの気温になった。
人間とは勝手なもので、あんなに「暑い暑い」と言っておきながら、ここまで涼しくなると「寒い・・ここまで寒くならなくてもいいのに・・」と勝手なこと言ってしまいがち。
でも、暑いより、やや肌寒い方が過ごしやすく、食べることも楽しみになり、寝るときも楽になり、短期間で貴重だけど、今くらいの季節はうれしい。
さて、タイトルに出した番外編。
クリニックやお産の話ではなく、院長の話・・。
院長というより、夫の話し・・。
ちんげんさいこの写真は主人の作った料理。
もちろん主人のキッチン作業は休みの日しか無理。
そんなある休日。
私も、平日は夕飯が作れない日もあるので、作れる日はできるだけたくさん、栄養も考えて、日頃作れないものを、かつ翌日のお弁当になるものを(笑)・・と考える。
その日も、殆ど準備ができ、あとは何か緑のものを添えようと、青梗菜を洗って、ざるに置いておいた。食べる直前にごま油で中華風炒め物にしようと思って・・。


そこで、私は、他のことをゴソゴソとやっている間に・・。
主人がひそかに作り上げたのは、青梗菜とベーコンのスープ。
味付けは、牛乳とコンソメと塩コショウかな・・。
簡単で栄養もあって、私もよく作るけれど、横取りされた青梗菜が中華から洋風になっていた。
やや辛めだったけど、充分満足。
その日は、和洋中と品数たっぷりの定食屋のような夕飯になった。

日頃、私のサイドで作ってくれる料理。
味噌汁なんか、私が作るより濃いめの味付けなので、私のよりおいしい。
ハンバーグなんかは、なかなかお店で食べるように硬めにできないから、何回もチャレンジしたくて作ってくれる。
カレーも、私は甘口メインで作るけど、主人は辛口メインなので、それも私の知らない間に作ってくれる。辛口たっぷり入れて・・。
お好み焼きや焼きそばは、私は全くノータッチ。もう少し修行したら、お好み焼き屋さんに転職できるくらい。
いつからか、やり始めた料理もドンドンレパートリーが増えてきた。
主人の友人たちが
「フレンチトーストを作った」とか、「休みの日は僕が食事は作る」、そんな会話に触発されたのか・・。どちらにしても、私にとってはありがたいことだし、贅沢で、うれしいことだ。
こんな光景を見てか、時々息子が「俺にだって、カレーぐらい作れる」
と断言している。
何回も聞くが、いつ息子のカレーが食べられるのか・・。
味噌汁くらいは息子も作るが「俺が作る味噌汁は何でおいしくないんだろうか」と言っているのに、カレーが作れるのか?とひそかに思う。
主人の料理も楽しみだが、こちらも楽しみだ。
数日前テレビで「男の人はドンドン料理をした方がボケ防止によい」と言っていた。料理は、材料や栄養や、出来上がりの時間や盛り付けなど、たくさんのことを考えながらやる作業だからだ。
女は、常に考えているけど、男の人は仕事では使わない脳を使うそうだ。
確かにそう思う・・。
料理より、手術の方が何十倍難しいはずなのに、料理では手間取ることも多々。それは、手術とは違う脳を使っているのだろう。

たまたま驚いた、青梗菜が化けていたこと。
思い出したので、書いてみた。
eri.hosoda

あるお昼時間

クリニックでは、平日のお昼ご飯は、お母さんみんな一つのお部屋で食べていただくことになっています。
土日は、面会の方も多く、ばらばらになりがちなので、平日のみ。
かつ、お産直後や体調の悪い日はお部屋で食べていただくことはできます。
さて、その、みんな集まって食べるランチは、お昼ご飯の楽しみだけでなく、
他のお母さん方とのコミュニケーションの場。
数週間前のお昼のこと。
お産ラッシュの真っ最中で、お昼ごはんを食べるために、新生児室には多くの赤ちゃんが預けられていました。
預かった12時過ぎはみんなおとなしく睡眠タイム・・。
12時半くらいになると、数名泣き出し、そのあと数分ごとにみんな泣き出す状態。
「もう、1時間経つから、お母さんもお迎えに来てくれるでしょう・・」と待つことに。
根気よく待ち、ハッと気付けば、2時前・・。
きっと、楽しく話しに花が咲いているんでしょうけど・・。
泣きつかれて寝てしまった赤ちゃんもいるけれど、やはりお迎えに来てもらうために、他のスタッフに声をかけてもらいました。
「そろそろおっぱいに来て下さぁ~い」って。
それから、1分も経たないうちにお母さんみんなで赤ちゃんのお迎えに来てくれました。
そのときのお母さん、みんな素敵な笑顔です。
楽しそうです。
一人ずつ赤ちゃんをお母さんにお渡ししながら、
「楽しいところごめんね・・。でも、もうみんな大泣きだから・・。
 ・・・・で、何話してたの?」
と聞くと、
「IHの話しで盛り上がってちゃって・・(笑)」
話の内容は、無茶苦茶主婦!
「や~ん、私も話しに参加したかったわ・・」と言えば
「IHいいですよ・・。お湯もすぐに沸くし、電気代もそんなに変わらないし・・。」
そこで、また主婦の話し。
いやいや、おっぱい上げてください・・と笑いながらの光景でした。
お母さんたちは、年齢もバラバラ。初産婦さん、二人めさん、三人めさん、
前日にお産された人もあれば、翌日には退院の人も・・。
はじめまして、の人もあれば、同じ日に出産し、すでに何回か顔を合わせている人も・・。
それでも、みんな笑顔で話し、ほんの少しの時間でもリラックスできて・・。
そして、また、授乳に入り・・。
要するに・・母である前に、主婦でもあり、そして、女・・。
ちょっとした時間が、息抜きだったりするものです。
スタッフ同士もそう・・。スタッフとお母さん同士もそう・・。
たくさん話しが弾むそんな時間も大切だと思います。
私も、友人と8時間ぶっ通しでペチャクチャ話すことで、ストレスが消えていくのがわかります。
そのあと、お互いの夫に
「何をそんなに話すことあるの!8時間なんて仕事の時間といっしょやん!」
と言われますが、いやいや、あと数時間は余裕で話し続ける自信あります。
eri.hosoda

健康

クリニックでお産をされる方は、基本的に合併症がほとんどなく、
大きな異常のない元気な方。
働くスタッフも元気はつらつ。
家族も、風邪1つひかず、子どもも小学生から皆勤賞。
そんな環境の中でも、時々、健康のありがたさを感じる事実がある。
昨日、主人の7年後輩の産婦人科の先生が亡くなられた。
脳出血・・。全く意識が戻らず、そのままだったとか。
その連絡をもらってから、しみじみとその先生から頂いた年賀状を出してみた。
まだ、幼稚園も行かない小さなお子さんとの家族写真の年賀状。
来年も再来年も、続くはずだっただろうに・・。
「今、〇〇先生より、7年長く生きさせてもらっている。大切にしなあかんな。」と二人で語った。
本当にそうだ。生きている以上、誰も予測しないことが起きる。
だから、「今」を大切にしなくてはいけない。毎日が「今」。生まれてきてから今までずっとず~と。そして、これから、おじいさんおばあさんになってもずっと・・。
自分だけでなく、毎日生まれてくるベビーも、同じ条件で、形さえ違えど同じ幸せをもらって生まれてきたはず。
大切に大切に生きていってほしい、と、今日の沐浴をしながら感じた。


そして、数年前にもらった1枚の手紙を出して読み返した。
主人の同級生が癌で亡くなられて、その数日後に家族から送られてきた、手紙。
主人あてに「・・・略・・・あなたは、私のように、途中で倒れてはいけません。這ってでも、前に進むんだよ・・・略・・・」
本当に、重いことば。
主人に無理をしろ・・ってことではありません。
最後まで寿命を全うしてね・・ってことです。
生活のほとんどが仕事。自分を追い込むだけでなく、年老いた親も子供も大きな犠牲を被ってくれています。
いえ、犠牲とは思わず、むしろ支えてくれています。
これから先もきっとそうでしょう。
でも、心も体も健康であってこそやっていけること。
今日、スタッフの一人と亡くなったドクターの話をしていたら、
「二人とも健康でいてくださいよ~。絶対に・・。」と言ってくれました。
心に染み込ませて、がんばれる気力を感じました。
スタッフ、家族、両親、友達・・、すべてに感謝です。
eri.hosoda

地蔵盆

京都では夏休みが終わる頃、地蔵盆が行われる。
関西地方を中心にある行事であり、他の地域では聞きなれない行事でもある。
もともと、地蔵盆は子どもの成長を祈る行事。
でも、準備やら片付けは、地域の大人の役目だ。


主人は、今年は、町内会の3役を仰せつかっている・・。

土曜日、地蔵盆の準備には、緊急の帝王切開で行けず、夜に地域の方がお供えを持ってこられる間の大人の集いに参加したものの、1時間ほどで、クリニックより電話。すぐに直行。


翌日、日曜日は、朝の仕事を終え、地蔵盆へ。
子どもたちが、続々やってきて、ビンゴやお昼の食事の世話役。
その中でも、クリニックで生まれたちびっ子が何人か参加。
この前生まれた子が、周りの子どもたちと一緒にお菓子をもらったり、走り回ったりしていたそうだ。
もちろん、子どもたちだけを見ていても、どこのお子さんかわからないけど、
いっしょに連れ添ってこられているお父さんお母さんを見て、「あ~!」って感じでわかったそうだ。


終わったら、片づけや掃除、お金の計算、お供えの品を各家ごとに分配・・。
家に帰ってきた主人は、日焼けをし、着ていたTシャツとズボンが絞れるくらいに濡れていた。
そこで、全て終了。
暑くて、熱中症になりそうな日に、外で活躍・・。さぞかし、昼間クリニックから出ることのない主人には、ハードだったことだろう。
でも、ちびっ子たちに会えたことがすごくうれしかったようで「〇〇さん、覚えてる?大きくなってた!!」とか、「△△さん、もう3才やって!!」とか、結構楽しかったようだ。
それに何より、医師業と違うことをすることは刺激になって、この年になっても、いろんなことを学べるいいきっかけになる。
地域の方と話し、家庭のこと、それぞれみなさんの仕事・会社のこと、たくさん話してきた様子。
「普通のおじさんしてきたんだなあ」と、感じた。
私も含め、みんなそうであるけれど
「自分」とは、仕事をしているときの自分、家での自分、夫婦だけのときの自分、父や母としての自分、友達といるときの自分・・などいろいろな自分がある。また、自分で判っている自分、相手に映っている自分、自分で気付いていない自分もある。
だから、地域の人たちと、普通の細田のおっちゃんでいられる時間はありがたいことだ。


eri.hosoda