昨日、友人から、ラインが来ました。
「お墓参り、今年は、いつ行く?」と。
毎年の恒例です。
大切な、大切な友人が、
14年前の5月にこの世から旅立ちました。
その時。
なぜこんなことが起こっているのか、
すべて何も変わっていないのに、
目の前で、彼女が息絶えようとしている現実。
過去のことですが、リピートで見るドラマのように、
覚えています。
その時の天気も、彼女を囲む空気も、鮮明に。
ガンの末期で、自宅療養していた彼女。
彼女が、旅経とうとしているその時、私は、彼女の手をさすっていました。
確かに、目の前の彼女は、意識こそありませんでしたが、全身で息をしていました。
生きようとしていたと思います。
生きたい!と思っていたはずです。
でも、私にも、家族にも、どうしようもできないから、
私は、
彼女の二人の子供を抱きながら、必死で彼女に語っていました。
いや、叫んでいたかもしれません。
二人の子供は、まだ、14年前は幼児。
子供たちは、理解できないその場。
家族みんな集まっているし、少し、ハイテンションだったのでしょう。
お母ちゃんの友達の私が、久しぶりにそこにいるものだから、
日ごろの出来事を私に報告したりしていました。
「わかったよ。だから、お母ちゃん起こしてあげて!!!」
「お母ちゃん!!と言ってあげて!!!触ってあげて!!!」
私、そんなことを言っていたと思います。
子供たちは、無邪気に、
「お母ちゃーん、ただいまー!」
「ただいまって言ったら、お帰りー!って言わないと(笑)」
「お母ちゃんな、いつもは、お帰りーーって、言わはるねんで(笑)」
「今日は、寝てるわ」
そんな子供たちのいつもの無邪気な表情の中、彼女は、旅経ちました。
その場の光景は、1か月前も、1年前も、何も変わらないのに、
確実に、彼女は、その時、逝ってしまいました。
二人の子供たちの声、聞こえていたのかどうか、
そばにいる、家族の声、感じていたのかどうか、
どんな、気持ちで逝ってしまったのか、
きっと、彼女は自分のお母さんに、ありがとうと言ってたでしょう、
多分、ご主人、子供たちと握手しながら、じゃあね!と明るく言っていたことでしょう、
すべて、だれも、わかりません。
14年経った今でも、この世では、確かめられません。
でも、残されたみんなの中に、
彼女は、明るいハキハキ優しい、その面影はしっかり、残していってくれました。
その直後に見た、彼女の自宅玄関に飾ってあった写真。
1年前の家族旅行の写真でしたが、子供たちとはしゃぐ彼女のピース姿が、動きそうでした。
二人の子供たちは、すくすく育ち、二人とも、立派です。
上のお兄ちゃんは、社会人。
弟も、勉強頑張り中です。
私たちも、毎年5月には、彼女の眠るお墓に、しゃべりに行きます。
いつもきびしい、それが優しさの彼女。
なんでも、話せた、心友。
まだ、彼女が病気にもなっておらず元気な時、
逆に、私が危なかった時があって、
その時、ベッドの上の私の顔をなでながら、言ってくれた言葉。
「何もいらないけど、健康が大切だね。病気したら、健康のありがたさ、わかるよな。
元気になろっ!なっ!」
年下だったけど、お姉さんのように力強く言ってくれました。
その彼女が、その言葉から1年後、逝ってしまい。
子育て終わったら、海外旅行行こうな、
開業したら雇ってな、
恋愛のこと、
子育てのこと、
おいしいもののお店のこと、
夫のこと、
患者さんのこと、
お産のこと、
開業のこと、
たくさん話しました。
しぐさも言葉も声も、覚えています。
今も若いままの彼女の表情で。
友人から「お墓参り、いつ行く?」
のラインが来る4月の後半。
ふとクリニックにいても、彼女を思い出す、そんな時期です。
(クリニックに関係のない内容で失礼しました)
eri.hosoda