元気な赤ちゃんが生まれること、当たり前のように生を受けたと思われている毎日。
でも、その当たり前の中で、「実は、人間の一生で、生まれるときが、一番しんどい思いをすると思う」と、いうことを、私は母親教室で話している。
「だから、赤ちゃんは、必死で、命をかけて、狭い狭い通ったことのない産道を通ってくるのだから、お母さんも妊娠中、決して赤ちゃんの苦しむことを増やしてしまうのではなく、体重コントロールをして、毎日歩いて、赤ちゃんにいい事をしてあげましょう、助けてあげましょう、帝王切開でも同じです」と。
その赤ちゃんの生まれる道を作ってあげるのは、お母さんしかできない。
周りの人が、どんなに気をもんだり、代わりに歩いてあげたり、おやつを控えたりしても、決して、赤ちゃんが生まれるときに、直接、助けにはならない。
お父さんが、一緒に歩いてあげて、一緒におやつ食べないこと、を実行してあげても、(お母さんにとっては、お父さんの行動は、心強く大切な家族の役目をはたしていることには違いないが)、赤ちゃんの生まれる道を作ってはあげられない。
この世に望まれて生まれてくる道中(産道)は<死に物狂い>であり、死と同じくらいしんどいのだと思う。
みんな人は、生きていく中で、そのお産の道中を忘れてしまっているのだ。
なぜ、突然、「生きること」に関して思うのか。
数日前に、私のおじが亡くなった。癌であった。
まだ、60歳を少し過ぎたところ。
おじは、生きたくて生きたくて仕方なかった。
最後の最後まで、再発を知らず、
「このしんどいのを乗り越えたら、絶対に良くなるからなあ」と自ら、言い聞かせ、奮い立たせていた。
主治医の先生にあと2~3日・・と家族に言われてから、2ヶ月がんばった。
おそらく、「再発で、治療法はない・・・」とおじに告げたなら、残り2ヶ月はなかったと思う。家族だから、おじの性格はわかっている。一辺に生きる意欲はなくなる、と判断し、最後まで再発を告知せず、体力の衰え、とだけ告げていた。
そんな中、おじは、最後まで、私に会うことを求めていた。
おじには娘2人いるが、娘には心配かけられない、弱音をはかないという親心から来る思い、それに加え、私と主人が医療従事者だということで何かためになることをいってくれるのでは?という思いで、事あるごとに私の名前を呼んでいたそうだ。
まだ、意識があるうちに、私はおじに会いに行った。
おじは、何かを言いたかったのであろうが、最後までそれは言葉には出してくれなかった。
でも、自分がもう復活できないことをきっと、心のどこかで感じていたであろうが、生きていたい、という執念も強く強くあった。
別れ際に握った手で感じた。
「じゃあね、帰るね・・」と私がその手を離そうとすると、何回、いや、何十回私の手を握り返し、離さなかったおじ。
おじの口からは、
「あと3日ほどで良くなるよな?」と言いたかったのか。
「もうだめかもしれないから、娘やおばのこと頼むね」と言いたかったのか。
そして、私の口から
「大丈夫。今が一番しんどいときだから」と言って欲しかったのか。
「家族みんなのことは大丈夫。安心して。」と言って欲しかったのか。
本心はわからないが、
「大丈夫だよ」の一言をかけた。すると、いつもの笑顔で、ゆっくり手を離してくれた。
生きたかっただろう。
やりたいことは山ほどあっただろう。
普通に、自然に生きることはこんなに大変なんだ、
生きたくても生きられないときには、何もしてあげられない、と思った。
そして私は、数日後には、
必死に生まれてきてくれている赤ちゃんをいつものように迎えている。
ひとの生死両方に直面し、生まれようとするパワーと生きたいとするパワーの両方の力を感じた。
生まれるときの苦しみは、人間、生きていく中で一番苦しいときだと思います・・
死に物狂いでうまれてくるのです・・
死を迎えるときは、生きていたいと思っても、何も助けてあげられないけど、生まれようとする赤ちゃんのためには、お母さんはたくさんたくさん助けてあげることができるのです・・と、いつものように、次の母親教室で話そうと思う。
eri.hosoda