年別アーカイブ: 2011年

母の日

今日は母の日。
コマーシャルでも、新聞、広告でも、母の日が目立った。
日常では、ありがとうの言葉やプレゼントなどしないけれど、日本中が母の日に色づいているときは、感謝を表しやすい。
私たち夫婦から実家の母へプレゼントも贈った。
実は、このゴールデンウイーク、のんびり過ごし過ぎて、直前まで忘れていた。
あわてて、ネットショッピングで買い物をし、8日着で送った。
ネットショッピングの仕組みなんぞ知らない母は、忙しいのに二人で買いに出かけてくれたことに感謝してくれた。
まあ、それも親孝行としよう。
そして、私にも娘からプレゼント。
毎年、カーネンションとプレゼントをくれる。
今年のカーネンションは、玄関に今、薄い色の花があったから、濃いめのこの色を選んだとのこと。
そういえば、去年は、花屋の前でじっと眺めて、一番長持ちしそうなつぼみを選んだ・・と言っていたこと、思いだした。
そして、健康にいいと言われる、酢のドリンク。トマト&オレンジ味で、飲みやすそう・・。
元々は、痩せると聞いて始めた酢のドリンク。結果は出ぬまま、今も飲み続けていることを、ひそかに娘に見破られていた(笑)
心から、ありがとう・・だ。

さて、母と言えば、クリニックでお産された方、みんな母。母の日に当てはまる。
本当におめでとう・・。
まだ、幼稚園に行かないであろう年齢の子供からは、何の言葉も贈り物もないだろうけど、そういうものではない。
ドンドン成長してくれることに感謝を感じるだろう。目の前に存在してくれることが何より大きなプレゼントに違いない。
プライスレスだ。
母の日の21時、まさに今、母になろうとして、分娩室で、一生懸命頑張っていらっしゃる、ママ・・。
本当に素敵なプレゼントがもうすぐですね。

さて、3日前は、子どもの日。
そして、父の日、敬老の日、などなど感謝の日は続くわけだが、夫の日、妻の日ってないのは、なぜだろうか?
全国民合わせて、ではなく、個々それぞれで感謝しなさいってことかな・・。

ゆっくり、落ち着いた連休。
最終日が母の日。心も体も、落ち着いた自分でよかった気がする。
eri.hosoda

ある事件・・命・・

今日の悲惨な事件をニュースで見た。
朝の集団登校の列に、クレーン車が突っ込んだ。
死者6人・・
小学生・・
何の前触れもなく、何も悪いことをしてないのに、普通に学校に向かっていたのに、一瞬にして命が消える・・。
誰にも予感があるわけなく、あと1分早く歩いていたら・・あと10歩後ろを歩いていたら、起こらなかったかもしれない。
誰かが、寝坊して、あと1分集合場所で待っていたら免れたのかもしれない。
地震などの自然災害でもなく、明らかに人が操っているクレーン車での人災。
怖くて、怖くて、ゾッとしてしまう。
自分の家族だったら・・と想像すると、気が狂いそう。
スタッフとその記事を読みながら、
「想像できない。私の家族なら立ち直れないよ・・」
と語り合った。
いつ、どこで、命が終わるのか、わからないけど、残された親御さん、いっしょに歩いていた他の小学生のことを考えると、いたたまれない。
苦しい思いになる。

つい先日は、子供の臓器提供がはじめて行われた。
命が消えると同時に、体の一部が生き続ける複雑な状況だ。
提供されたご家族は「わが子の心臓や腎臓がどこかで生きていると思ったら、
救われます」とコメントされたそうだ。
そして、その心臓や臓器で、消えそうな命が救われた人もいるのも現実だ。

命・・。
命の最後がわかっていたら、生き方も考え方も変わるだろうけど、
逆に、そっけない生き方になるかもしれない。
寿命があるけれど、その寿命をしっかり正しい道で生きていこう、と心に思う。
なぜか、寿命という漢字に「寿(ことぶき)」がある。
なぜ、寿(ことぶき)というめでたい漢字が使われているのか・・。
わかるような意味のないような・・。

さっき、2~3日振りに、新生児を抱いた。
最近、他の業務中心で、抱っこだけ、という時間がなかったように思う。
今まで数えられないほど、新生児を抱っこしてきたはずなのに、久しぶりに
「ちっちゃ~い」と思った。
なのに、命って重い・・。
感傷的になる理由もないけれど、なぜか、いろんな人の思い、感情、期待、いろんなことが含まれて重くなるのかな・・としみじみ思ってしまった。
生まれたすぐ、オギャーと泣いたその瞬間から、いやいや・・、お母さんのお腹でトクトク心拍の音を聞いたときから、重い重い命になるんだなって思いふけった。久しぶりに、その赤ちゃんをギューと抱いてみた。
eri.hosoda

聴診器

今日の外来終了後、院長が言う。
「聴診器、壊れてしもうた。もう、寿命かな・・」と、外れた部品をはめてみる行為をしている。
でも、修復不可能。修理に出すほどのことでもないし・・。


聴診器


 


 


 


 


 


 


グレーで、どこの病院でも見かける一番シンプルな形。
いつも、ポケットに入れて、持ち歩いている。
聴診器は、産婦人科に絶対不可欠ではないけれど、なぜか
活躍している聴診器。
私が「いつ買った聴診器?」と聞くと、驚くような答えが返ってきた。
「30年以上使ってる・・。自分で買った。」
「30年!!!????!!!」
びっくりだ。
学生の頃に買った聴診器らしい。
「そろそろ、寿命やし、もう、捨てよ、・・ごくろうさん。」
と独り言をいいながら、クルクルと丸めた聴診器をゴミ箱へ。

誰より、長く、院長のそばにいた聴診器。
ずっと来られている婦人科の方の胸・・、
ターミナルを迎えようとしておられた方の胸・・、
外来の患者さんの胸、手術を受けられる方、受けられた後の方の胸・・、
家族の胸、地域の集団検診の方々の胸・・。
若い人からおばあさん、何万人の胸に当たってきた、この聴診器。
唯一、院長の胸には当たってないのでは?と思うけど。

数分後、ゴミ箱を除いたあるスタッフが
「何で聴診器、捨ててあるの?」と聞くため、事情説明。
すると
「そんなの捨てたらダメ!先生の思いが詰まってそうだし・・。悲しいやん。」
と、拾い上げてくれた。
それもそうだ。
家では、何でも捨ててしまうけど、これは置いておこうか・・。
私も、つくづく感じた。
自ら捨てた院長だけど、スタッフから
「先生、これ置いておいたら?」
と言われて、
「そうか・・。じゃあ、ここに置いておこうか・・。」
と、一度捨てられた聴診器は、再びロッカーのハンガーにぶらりと架けられた
eri.hosoda

出会い・別れ・旅立ち

今日も一人の赤ちゃんが生まれました。
元気な男の子。お兄ちゃん二人がいる家族に生まれてきました。
家族が一人増えた喜びを120%表現しながら、お産を終えました。
素敵な素敵な出会いです。

以前ブログにも書かせてもらった、亡き小児科医の光藤先生。
49日の供養にあわせて、お花を贈らせていただきました。
奥様から、そのお礼のお手紙とともに、先生の仕事姿のお写真を1枚いただきました。
お手紙には、
「日が経つに連れて、主人もみんなに忘れられていくのか・・と思っているときに
お花を頂いて、すごくうれしかったです。また主人のことを思い出してください。」
と書かれていました。そして、その1枚の写真。
私たちは、その笑顔は、忘れません。別れは、忘れることではないのです。
生きている間に多くのありがとうを頂いているから、忘れるはずはありません。
別れは、記憶に生き残ることだと思います。

そして、旅立ち。
あと1日で、娘が家を出ます。
私も主人も、高校卒業で実家を出た身分。
だから、娘にも早く独り立ちをし、社会に出ることを希望していました。
もちろん、その考えは変わりませんが、いざ、その日が来ると不思議な感覚です。
寂しいが強いわけでもなく、うれしいが強いのでもなく、感じたことのない複雑な気分。落ち着きません。
こうして、子供たちは旅立っていくのでしょう。
私たちの親も何十年前、こんな思いだったのか・・と、ようやく実感します。
でも、親も子もこのタイミングはすごく大切なこと。
今生まれた赤ちゃんもそうです。もちろん、そのパパやママもそうです。
独り立ちしていく日、社会にもまれる日がみんなあるのです。
大切な大切な旅立ちです。

今日の母親教室で、命のお話をしました。
殆どの方が、涙で聞いてくださいました。
何か思うこともあったのでしょうか、嗚咽で涙される方もありました。
一瞬でも、つたない私の話でも、今、育んでいる命について考えてくださったこと、すごく大切だし、ありがたく、幸せなことです。
今日は、お父さんも3人参加されました。
お父さんの涙も見えました。
きっと、どんな命もいらない命はありません。
今日の母親教室で流された涙は、素敵な素敵な命を産んで下さる証拠でしょう。
命が源です。
出会いも別れも、旅立ちも命あってこそ。

今、こうして、出会い、別れ、旅立ちをしんみり感じること、
震災を感じながらも、母親教室で命を育むお話ができたこと・・。
ありがたいことです。
大切なことです。
生かされていることに感謝です。
eri.hosoda


 

今 思うこと

今何ができるのか、考えても、平常の生活を送っている私たちには限界があります。
現地に行くことは、そう簡単ではありません。
むしろ、足手まといになることも。
しかし、細田クリニックでお世話になっている小児科医の青木先生は、
現地派遣医師に手を上げられました。
自分の医院を休診にして行かれます。
私たちの思いも一緒に行っていただきたい、と心よりエールを送りたいと思います。そして、元気に戻ってきていただき、目で見て感じられたことを生の声で私たちにアピールしていただきたいと思います。そうすれば、何かこちらにいる者も新しい考えが浮かぶかもしれません。
知人の家族は、電柱を立てる協力が必要と言われているとのことです。
ある知人は、関西の電力会社ですが、要請があればいつでも行く、と話しておられました。
家族としては、すごく複雑でしょう。
特に、福島原発の動きは、予測できない恐怖感もあります。
できるなら、家族としては、現地には行ってほしくないと思う気持ちはあるはず。でも、そんなこと言ってられません。だれかが、この危機を救わないといけないのです。
もし、主人が原発の仕事をしていて、今、「福島原発に協力しに行く!」と言ったなら、
心で泣き、でも、祈りながら送り出すことでしょう。
そこまで、危機迫っている事態です。
もしかして、子どもはこちらに置いて、私は一緒に行くかも。

ネット上で、ある探し物をしていたら、次の記事が目に付きました。
わが身に置き換えると、涙がでそうです


http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_date2&k=2011031600093


こうして、一人ひとりの善意、いえ、勇気のもと、平穏な日がまた、戻ってきてくれることを祈るしかないです。

買占めにより、関東では物資不足です。
関西にいる私たちは、今、買占めなどする必要ありません。
落ち着きを取り戻してきて、日本すべて平和が戻ってきたら、避難グッズを揃えようと思います。私たちは今ではなくてもいいはずです。
今は、現地の方の生活を普通に戻ることを第一に考えることです。
クリニックの受付には、手作りで、義援金箱を置きました。
昨日、無事出産され、退院されるその日に、そのママのご主人が受付の箱を見つけられて、
「僕は、こういう義援金や寄付の箱を見たら、絶対入れるようにしているのです。大きいことはできないから、少しずつですけど・・。僕は阪神大震災のとき、避難所にいましたから・・」
と、お金を入れてくださいました。
人間の鏡だと思いました。感動が伝わりました。
私たちにも、できることは、何か一つはあるはずです。
祈ることの無力さも感じますが、どうか、平和が戻ってきますように・・。
復興に尽力されていらっしゃる方々にも、祈ります。

何年か先に、この思いを忘れないように、書き記しておきます。
eri.hosoda