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冬至

日本は、たくさんの言い伝えや慣わしが残っています。
それは、生活の中や行事ごとではたくさんあり、深い意味があるはず。
迷信もたくさんあるので、それだけを信じて努力や注意を怠ってしまうと
とんでもない勘違い!ってことになるのですが・・。
そういう慣わしから、季節を感じたり、子供に話したりすることは、大切なこと、幸せなことだと思います。
先日、お正月のしめ縄を作りました。
クリニックのしめ縄は、毎年私の雑な手作りで済ませているのですが、果たして、しめ縄の意味を考えて作っているか・・、と言えば、全く考えておらず、というか、作っている楽しさ以外何も考えていません。
クリスマスが終わり、お正月ムードになったところで、リースをしめ縄に変えよう!と思うファッション感覚の気持ちがほとんどです。
世間の大多数の方がそうかも。
その証拠に、お正月に見かける各御家庭のしめ縄も、すごくおしゃれな物や、クリスマス・リースのオーナメントを取り変えたら、しめ縄になるような物、置物やアクセサリー感覚のような素敵なしめ縄もよく見かけます。
それでもいいと思います。
日々は意味を深く考えずファッション感覚でも、何年かに1回、ふっとその本来の意味を思い直すだけでも、価値があると思います。
今年は「来年も悪気が来ませんように」と気持ちをこめて、しめ縄を作りました。

他にも、知らず知らず何気にやっていることで、「こういう意味か!」と知ることもあります。

少し前にお産された方のおじいちゃんが「命名書」を持って来られて、赤ちゃんと写真撮影されていました。
お部屋に「命名 〇〇」と半紙に書かれて貼っていらっしゃる方も見かけます。
日本独特の風習です。
やられない方も多いですが、おじいちゃんおばあちゃんの世代の方は、殆どされていたようですし、お孫さんにもされていらっしゃる方をお見かけします。
お名前を披露する、それは素晴らしいことですよね。
昔、新生児の死亡が多かった時代は、「一週間生きていたから、この子は人間の子として生きていけるだろう。だから、名前を付けよう」というのが命名式であり、お七夜だったそうです。
今は、新生児医療も発達して、「一週間がんばって生きたから、この子は、これから生きていける・・」なんて、よほどじゃない限り、ないケース。
だから、今は、ほぼ性別もわかるし、名前もほぼ絞られて決まっている方が多いので1週間という期限なしに、きちんと命名書を書かれて、枕元に貼られる方もおられます。

そういう今日は冬至。
うちでも、柚を買って、お風呂に入れていた時もありましたが、最近は普通のみかんの皮を湯船に入れて、雰囲気だけ味わっています。
かぼちゃは、冬至だから、と言って、食べること、忘れがち。
普通に、おかずで日々食べているから今日のメニューに絶対食べなくちゃ・・とは、浮かんできません。
食生活が豊富になった証拠です。
冬の何もビタミン源がない時代、柚やかぼちゃは、大切なビタミンだったことでしょう。
違う意味で、冬至は現代の食生活のありがたさを感じる日かもしれません。
ずっとずっと何年か先に、孫が出来て、冬至にかぼちゃを食べることがあれば
「おばあちゃんのお母さん、つまり、ひいぃばあちゃんの子供の頃は、冬は食べる物が少なかったから、かぼちゃは大切な食べ物だったんだよ」と話してやりたいです。

何だか、すごく年をとった話しになりました。
しみじみ感じるあたり、年の瀬のせいか、はたまた、年のせい(老けた?)せいか・・。
eri.hosoda

2つのお話

もう、嫌になるくらい時間が過ぎていくのが早いです。
一ヵ月後には、「あけましておめでとうございます」と、言ってるんですから・・。
昨日と今日は、何も変わっていないように思いますが、1ヶ月前と今日では、いろいろ違います。
1年前と今日、5年前と今日、10年前と今日、想像もしない今日になっています。
楽しいことも悲しいことも、想像以外のできごとばかり。
こうして、年月を重ねていくのでしょう。

数日前のお産で、二人の小学生のお姉ちゃんが立会いをしました。
お昼間の時間帯だったので「学校は?」と尋ねると、お母さんが「命の始まりを是非見せてやりたかったので、欠席させました。」とのこと。
そして、「少し前におばあちゃんが亡くなって、焼き場(火葬場)まで連れて行ったのです。だから、命の始まりから最後までをしっかり見てほしくって・・。滅多にない体験ができるかな、と思って。」と語られました。
すごく感動しました。はっとしました。
きっと、学校では教えてくれないもっともっと大切なことを、出産という命がけの母の姿と、命がけで生まれてきてくれた弟くんは、教え伝えてくれたのではないでしょうか。
小さいながらに何かを感じてくれたであろうお姉ちゃんたち。やさしくて、まっすぐな女性になってくれることでしょう。
私たちにとっては、お産は日々の流れで、日常にあること。でもきっと、そのときに携わったスタッフは、この二人のお姉ちゃんの一生印象に残る光景の中に残るスタッフになったに違いありません。
私も、この二人のお姉ちゃんが、必死で生まれたばかりの弟くんを眺めている光景、そして、お母さんのことば、そのときのスタッフが、焼きついています。

さて、もう一つ。
長くなります。
今、いろんな方のブログに書かれています。
すでに私も数名の方のブログで読みました。
見られた方も多いと思いますが、感動したので紹介しておきます。

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【招待状】
                作成: 田端 孝史 日時: 2011年10月4日 20:20

ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。

その先生が五年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり
皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。

先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからかその少年を 毛嫌いするようになった。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。

そこにはこう書いてあった。

「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。

間違いだ。他の子に違いない。

先生はそう思った。

二年生になると

「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では

「母親の病気が悪くなり、疲れていて、 教室で居眠りをする」。

三年生の後半の記録には

「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、

四年生になると

「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。

先生の胸に激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている 生身の人間として

自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、

あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、

少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、

先生に大きな喜びがわき起こった。

少年は自信を持ち始めていた。

六年生で先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で

一番素晴らしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」

十年を経て、またカードがきた。

そこには先生と出会えた事への感謝と、

父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、

こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。

あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、

五年生のときに担任して下さった先生です。」

そして一年。

届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母親の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。

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自分がいかに、曇ってしまっている人間になてしまったか、反省させられました。
人への接し方、見方、考え方、すべて・・。

eri.hosoda