月別アーカイブ: 2011年7月

今年の夏

台風以後、朝晩はしのぎやすく感じる最近です。
しかし、昼間は暑い!
節電を公にした政府。いや、私たちは、震災がある前から、思ってました。
過去のブログで、何度か私は触れていました。節電しなくては罰金!位言わないと、企業はしないだろう・・と。
国が何とかしないと、大変なことになるって。
そして、3月11日の震災で、原子力発電が破壊されてから、動き始めた永田町。
一般人の私たちの方が、先を読んでいた気がします。

さて、震災から、4ヶ月を過ぎました。
直接、被害を受けなかった私たちは、知らず知らずのうちに、過去になってしまいます。
東北の方は、まだまだ進行形。原子力発電所の後始末に関しては、1歩も進んでないような、反対に
被害拡大中のような気もします。どうしようもない政府にしか頼ることができないのか、と憤りも感じながら、
この関西で生活できることに感謝している日々です。
クリニックでできることは、節電、後は、震災地に里帰りされる方のご相談、くらいですが、
個人的には、人生観が変わった気がします。

ある、先輩ドクターの弟先生が4月に亡くなられました。
福島県のある病院の院長をされていて、震災では建物や物資などの物理的な被害はあったものの、命は助かったので、すごく復興にパワーを注がれていたそうです。
今から考えたら、100%以上の150%、それ以上の力が発揮されていたのでしょう。
4月の半ば、震災から1ヵ月後。
いつもどおりに仕事を終え、昼休みにトイレで倒れていたのを発見されたそうです。
心筋梗塞とのこと。50才だったようです。
一瞬だったでしょう。
倒れられた瞬間、何を思い何を考えられたのでしょうか。

本当に、衝撃的な報告でした。つい、最近知りました。
そう・・・・・・。
先に述べた、人生観が変わった、根拠。
震災そのもので感じたことは、全てそうですが、
人は、いつ存在が無くなるかわかりません。
今、こうして座っているその1分後はわかりません。
だから、今、できることは今しよう、
今、伝えたいことは今伝えよう、
今、感動しよう、
今、感激しよう、
今。
すべて、今、しようと思うようになりました。
最近、スタッフに冗談交えて話します。
「もし、私倒れたら、クリニックと患者さんよろしくね」と言うことがあります。
(「そんなこと言わないで下さいよ!」「そう言いつつ、100歳迎えてたりして・・」と、返されますけれど。)
今、命が終わったら、私には後悔いっぱいです。
主人にも子供にも、まだまだ、言い足りないことだらけです。
クリニックの若いスタッフと、もっともっと話し、楽しみたいです。
同世代のスタッフと、もっともっとお茶してしゃべりたいです。
旅行もしたい、遊びたい、食べたい、したいこといっぱい。
でも、病気や天災で、また、先日の中国の新幹線事故のように、一瞬先はわかりません。
だから、「今」を大切にしよう、と、強く深く感じるのです。
一昨日の母親教室でも話しました。
いろんなことのスタート、原点は、オギャーと生まれたその瞬間。
お産は、その赤ちゃんの生きていくスタートですよ、大切に大切にしましょう・・と。
お話する中での、みなさんの涙は、決心だったと思います。
もちろん、いいお産をしようとする母親としての決心、そして、命の大切さを感じてもらえたこと・・そんな決心だったかなと思います。

たらたらと書いてしまいました。
今でも、テレビから震災の映像を見ていると、怖さが伝わってきます。
そして、知らない間に、感激や感動を無くしてしまっているような錯覚になりました。
年のせいで、怒りっぽくなっただけではないと思います。
この震災は大なり小なり、人生観が変わるほどの出来事です。私だけではないはず。
そのこととかぶり、福島の先生の死を知り、考えさせられことを書き記しておきたかったのです。
eri.hosoda

202

このブログ、202回目のエントリー。
最初の頃は、一週間に1回は書き込んでいましたが、だんだんと2週間に1回くらいのペースになってしまいました。
書く内容は、山のようにあります。
でも、公共のスペースなので、許可のない個人的なことは制限されてしまうし、
私の偏った個人的意見も控えないといけないし・・・。
で、こんなペースになりました。
でも、回数にすると202回目。
それなりに、私の変化も、クリニックの変化も、言葉で表現しなくても、その奥に感じます。
最近は、めっきり臨床から離れています。
年齢的にも、体調的にも、昼も夜も・・というわけにはいきません。
開業して数年間は、夜は徹夜して、昼はそのまま外来して、お昼からは経理や書類などを整理して銀行や郵便局へ走って、ハローワークや公的役所に走って、業者と会って・・、また夜も起きて・・。
1週間に20時間しか寝てないときもありました。
今だから言えますが、48時間お風呂も入らず、その白衣のまま、ってこともありました。ごめんなさい、の暴露です。
それでも、やってこれたのは、すごくスタッフのみんなが助けてくれていたこと。家族を犠牲にできたから。
そして、私自身、今よりは若かったこと。
極端な考えとしては、パソコンや携帯がなかったら、家族はバラバラだったかもしれません。
家に帰れなくとも、息子に「今日、帰れへん。何か食べといて・・」というメールや電話だけは必ずしました。
昼間連絡できない業者にも、夜中にメールをすることで救われました。

こうして過ぎてきました。

最近は、臨床に私の出番はあまりありません。
でも、忙しい時や緊急事態に、ヘルプする立場は時間がある限り、やろうと思います。
数日前に起こった話。真夜中のヘルプです。「えりこさん、来て下さい。」その一言だけの電話。2分後には‘パジャマ‘でかつ家の‘つっかけ‘で駆けつけた私。
そのとき、お産の立会いでいらっしゃったお父さんに(何度か細田で、お産されていて、お父さんとも顔見知りになっていたため)「〇〇さん、こんな格好でごめんなさいね!」とお詫びしました。その時のお父さん、「いやぁ、真夜中なのに忙しいんですね」と笑って、フォローしてくださいましたけど・・。
スタッフいわく「えりこさん!あれは人前に出たら、いけないくらいの格好でしたよ。緊急事態だから、いいですけど・・」と、後でお腹を抱えるくらい大爆笑でした。
あとは・・。
5年経つと、全体に事務的なことや経理が増えましたが、時間に余裕を持ってできること。←今でも、どんくさいですけど。
スタッフのみんなとしゃべる時間があること。←前からうるさいくらいしゃべりかけてましたけどね。
イライラしなくなりました(笑)←100%ではないですけど、かなり穏やかになったのではないかな・・と自己分析・・。
家でご飯作って食べることが断然増えました←過去、私が時間ない分(しない分)、家族はめいめいに過ごしていました。だから、院長は、私より家事一般がスムーズです。子供は、人間として、最低ラインの生きていく術を自然に学んでくれたと思います。やらざるをいけない状況だったのですけど。

この202回目のブログ。
これからも、地道に記録し、また、どこかで振り返って、クリニックの変化、自分の変化、スタッフのやさしさ、家族の成長を感じてみたいです。
(本当は、200回目で振り返ろう、と思ってましたが、通り過ぎてました。間抜け・・)
eri.hosoda