年別アーカイブ: 2008年

救急搬送

最近ニュースや新聞では1日1回は、医療の崩壊、産科の減少、などの内容が報道される。
本当にあった出来事???と思うくらいひどい内容もあり、今、京都の真ん中にいる私には信じられないこともある。
京都市内は大きな病院が閉鎖と言うこともなく、産科に関しても、日本一と思われるくらい多い地域になっている。
今、右京区に住んでいて、産婦人科を選ぼうと思えば、大きな病院だけでも、4か5病院あるし、個人の産科に関しては、10は超える。すごく恵まれた環境であり、喜ばなくてはいけないのであろう。
そんな中ニュースや新聞での出来事を目の当たりにした。
数日前、大阪市内の妊婦さまが、大阪市内から細田クリニックに搬送されてこられた。救急隊の話では、その妊婦さんは、産科の異常ではなく、内科の症状であったが、『妊娠中である』という理由だけで、どこの内科の病院も断られたとのこと。産科のある病院であっても、ほとんどの病院は、『うちにかかってないと診れません。かかっている産科に行ってください』と言われたそうだ。ということで、細田クリニックに大阪市内から救急搬送されてこられたわけだ。真夜中の出来事。こうして、受け入れ先病院を見つけるのに時間がかかり、受け入れが決まるまで1時間かかった、などと報道されてしまうのだろう。
搬送されて来られた方は内科的症状であったが、一刻を争うことはなかった。もし、一刻を争う状態だったらどうなっていただろうか、と思う。
もちろん、産科であっても産科以外の診断もする。かといって、最初から内科の症状と判っていて、診察することもせずに、産科に行きなさい、と言うのはどうか?と思う。
今までも、妊婦さまや婦人科の方が内科に搬送されて、内科的に問題ないので、帰宅する前に念のために産科で見て欲しい、と、内科医から搬送されてきた例はよくある。それは、まあまあ筋道が通っている。(しかし、ほとんど夜中の出来事で、内科で問題なく帰宅でき産科の症状がないのなら、朝まで様子を見るか、電話で様子を聞いて判断したりできるのであるが・・そのあたり内科医により判断が違ってくるのだ、それは仕方ないかと思う・・)
なのに、大阪では、本当に受け入れすら拒否があるのだ。救急隊の困り果てた生の声でわかった。
(もちろん、本当に受け入れられない病院もある。手術中で医者が手を離せない、本当にベッドが満床、などなら仕方ないのだが。)
私自身、救急車での移動は、何度か経験している。レースのようだ。座っていても、振り切られそうで、足で踏ん張らなくてはいけない。赤ちゃんの搬送のときは赤ちゃんをしっかり抱き、体全体を車のふちで押し支え、車に乗って数分で車酔い状態であるが、不安げな家族に笑顔で接したこともある。近距離だから耐えられる。急ブレーキ、蛇行運転は当たり前。そんな搬送が患者さまにとっていい訳はない。リスクは遠くに行けば行くほど高くなる。最短であって欲しい。
このままだと、本当に医療崩壊になりそうだ。いくら大阪府知事が橋下弁護士になっても、すぐに、どうにかしてくれるとは思えない。人任せではなく、医療する側、受ける側、両方とも何が問題なのか、洗い出して解決しないと、ますます、産科がなくなり、残る産科も簡単には受け入れが難しくなってくる。
と、こんなちっぽけなブログで論じても、解決にはならないのだが・・・。
                           eri.hosoda

未知の世界、お産

お産は未知の世界。
初めてのお産となれば、どこまでこの痛さが続くのだろうか?もう耐えられない、いつまでがんばらないといけないのか?こんなに痛いのにまだうまれないの?などなど、どんなに待ち望んでいたお産とはいえ、不安はあって当たり前だろう。
「この陣痛を待ってたんだよ、早く出ておいで」とだけ思えればいいが、人間誰しもそんなに聖人ではない。痛いものは痛いし、つらいものはつらい。
あと何時間・・、という、筋書きもないし、教科書どうりの進行ではない。それだけではない。予告もなく異常はおこる。どんなにいいお産であっても、赤ちゃんがしんどくなることや、また、スムーズに終えた跡に出血が止まらなかったり、全くそこまで問題がなくても血圧が突然に上ったり。経膣分娩でも、帝王切開でも、異常と正常は隣り合わせだ。
そんな毎日、一人、二人、と生まれてくる赤ちゃん。

昨日のお産も、初産婦さん。
まだ夜も空けない5時の入院。
破水だけの入院で、まだまだ、陣痛らしい陣痛はない。まだ、子宮口はほとんど開いてない。
お昼までは、食事がほとんど食べられるくらいまだ余裕があった。
お昼過ぎから呼吸法が必要な痛さがあった。でも時々。
15時に5cm。その頃から規則的に陣痛が来た。お父さんも会社を早退し来院。
17時過ぎに9cm。18時半に全開10cm。
初産婦さんにしたら進行が早い。
早めに分娩室に入り、気分を慣らしていく。
私も、赤ちゃん係りの看護師も、そして、もちろん、お父さんも、今から生まれようとしている赤ちゃんを待ち望んで準備する。
お母さんはすごくしんどいのに、会話がスムーズで途切れない、呼吸法も全く無駄なく出来ていて、赤ちゃんも全くストレスがかかっていない。
「あと何回いきんだら生まれるの?教えて~10回でいい?10回って言って~。7時くらいに生まれる?それ以上かかるの?」
・・あと何回と言われるのが一番つらい。早く楽にしてあげたいが、あと何回と知りたいのは、私も同じだから。
『じゃ、とりあえず10回いきんでみようか。それから次の目標決めよう。』
『上手に出来ているから7時目標にしようね。私が青い服を着たら赤ちゃん出る準備だよ。まず、それ目標にしようか』
「もう頭出た?青い服まだ着ないの?」
いや、頭が出たら、もうあと数秒でおめでとう、なんだが、頭が出るまでが時間がかかる。まだまだ。
『頭のてっぺんが陣痛の合い間も見えてきたよ、いきむたびに大きく見えてくるよ』
私と看護師の二人で言葉をあれこれ変えながら、お母さんを励ます。右手はご主人、左手は看護師、陣痛の合い間は気分を紛らわすのに私の太ももをキック、キック。会話は途切れることなく過ごす。もちろん、私たち医療者は楽しいだけではいけない。予告なしに訪れる異常には対応できるように緊張感はある。顔で笑って、楽しい会話をして、頭の中はバリバリ神経を張り巡らす。
そして、院長登場。
「呼吸法もいきみ方もうまいな、もう少しだ」
さらに、お母さんはもっと上手にいきめて・・・そして、元気な男の子が生まれた。すぐに大きな声で泣いてくれた。なんと、目標にしていた7時3分。10回いきんだら、と言っていた10回目のいきみで!
おめでとう!
お母さんは成し遂げたあと、すぐ赤ちゃんを抱っこして感動。
お父さんは・・・。
めがねの奥からあふれる涙を必死でハンカチで押さえておられた。声も抑えて、顔を上げられないほどの涙。実はお父さん、お産が怖かった。点滴も、血も、診察すら怖かった。でも、必死で一緒に呼吸法をして、ギュッとお母さんの手を握って、一緒にお産をしてくれた。
まだ、生まれたままの赤ちゃんを抱き、泣き笑いのお母さんの横で、感動の涙で声が出そうになるのを抑えるお父さん、それでも、そっと、生まれてきたわが子の足先を触る。
そして、私たちは、「本当にお母さんもお父さんも○○くんも(生まれる前からお名前が決まっていたのでみんなで呼んでいた)がんばりましたね。おめでとう、良かったね」と心から祝福。
いつもの光景だが、いつも、違う感動をする。今日も感動。
いいお産。楽しい会話の中で、無事、異常なく終える。
こんなに幸せなことはない。よかった、と心底思う。
それは、”お産は命がけ”だからだ。本当に・・。
                     eri.hosoda




丸2年

1月19日、細田クリニックの建物の2年目点検が行われた。

そのときほめて頂いた言葉。
建築会社の方からも、設計事務所の方からも、言っていただいた。
「すごくきれいに使ってもらっている」と。
私は、毎日この建物の中にすごしていると、
「汚くなったな~」「最初はこんなジュータンの色じゃなかったな~」と思うことはよくある。
だが、九州から来ていただいた設計士さんは、全国で1年目点検や2年目点検をされているわけであって、比較できるのであろう。きれいでびっくりされていた。
ほめていただいて、改めて、うれしかった。
ほとんど無傷で、未だに来られた方が、「新しいクリニックですね」と言って下さる時がある。そんなときは、いつも、「いいえ、古くなりましたよ~」と答えていたが点検でほめていただいたときは、素直にうれしく思った。
こういう評価は周りからしてもらわないと、そこに日々過ごしている私たちにはあまり感じ取れないものだ。
でも、よく考えたら、スタッフみんなが、建物、というか、建物も、大切にしてくれている。
お産が終わったあとの分娩室、いつも、ピカピカに磨いてくれている。床をモップでふきあげてくれるスタッフ、雑巾で這いつくばって、白衣の裾を捲り上げてふいてくれてるスタッフ、真夜中であっても同じである。お産のあとは、血液や羊水など床や分娩台に、目に見えない汚れとしてたくさんある。掃除は基本であるが、決して、目につかない汚れであろうと、手抜き、「まあ、これくらいでいいか」という考えはない。本当に必死できちんとやってくれる。クリニックの中の小さな傷や故障を見つけてくれると即報告してくれるので、大事にならずに済んでいるのも事実。器具なども大切に使って、移動も細心の注意を払ってくれている。
セクレタリーも日々環境整備には力を入れてくれている。小さいお子様連れの入院部屋はどうしても食べ物の汚れやジュースなどのこぼれは避けられない。また、産科である以上、出血の汚れは仕方ない。そのどんなときも、いろんな手段で、跡形もなく、きれいにしてくれている。
院長は、天気のいい日曜日には、軍手をはめて、外の草むしりや、壁の汚れ落としをやっている。先日も、自らホームセンターで外の天井用のほうきを購入した。これで、駐輪場の天井がきれいにできる・・と、暖かくなる日を待ちわびている。
こうして、毎日培われている思い。
誰しも、汚くて、傷だらけの古いクリニックより、清潔で、ピカピカのクリニックに受診したい。(建物だけではなく中身が1番大切であるのは前提ですが・・)特に、女性の集まる産婦人科は、子供さん連れ、ファミリーで・・も当たり前。多数の方が来られれば汚れや傷みも多くなる。
でも、どんな方が来られても、そして、何年経っても「まだ、新しいクリニックだね」と言ってもらえるようにしたいものだ。
                     eri.hosoda


大震災

今日は大震災が起こって13年。
あの、テレビの画面で映し出される映像は忘れもしないし、くっきり思い出される。
高速道路が横倒し・・民家何軒も連なって押しつぶされている・・速報で「死者○○人」と流れるたびに、増えていき・・。
本当に電車で1時間行けばたどり着く所で起こっているとは思えない光景だった。
もちろん、命を亡くされた方も多いが、その災難の中で、出生した、というニュースもあった。仕事柄か、そのニュースも鮮明に覚えている。
生まれる、ということは、何千年前から、同じである。
まだ、人類が、服を着る習慣がない頃も・・まだ、車もなく、郵便もなく、エッホエッホと籠を担いで走っていた時代も・・
そして、医学がどんなに発達しても、情報がドンドン行き渡っても・・
赤ちゃんは女性の子宮に妊娠し、子宮の中では胎盤から血液と酸素をもらい育っていく。10ヶ月経つとこの世に生まれてくる。
きっと、あと100年経ってもそれだけは変わらないと思う。
どんなに人間社会が変化していっても、変わらないと思う。
だから、13年前の大震災の日でも、生まれてくる赤ちゃんは、何千年もの自然の摂理のまま、生まれてきたのであろう。
もしかすると、今、こうしている間にも、大震災は起こるかもしれない。
何も残らないかもしれないけど、そのとき、「陣痛が来ました」「破水しました」という電話があれば、いやいや、電話は通じないだろうから、直接こられたら、いつものようにお母さんの体から赤ちゃんを迎えてあげなくてはいけない。
無事生まれたら、「おめでとう」を言って上げようと思う。
水がなくても、電気が暗くても、いつものように、いっしょに呼吸法をして、「よかったね~」と言ってあげよう。
生まれてくるということは、何千年も前と変わりないはずだから・・。
震災の真っ只中で生まれてきても、恵まれた環境で生まれてきた赤ちゃんも、生まれてくる赤ちゃんは何も知らない。よく生まれてきたね、お母さんお父さんがんばられましたね、と言ってあげよう。
そういう時も避難場所に逃げられない仕事かな(笑)性格かな(笑)
だから、日ごろ、我が家の子供たちには言いきかせてある。
もし、大震災が来たら、西京極運動公園が避難場所だから行きなさい、私たちは姿は見えなくても、クリニックに向かっているからね・・と。
                              eri.hosoda