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老い

連休も終わり、五月(さつき)というより、初夏を思わせる日々である。
半袖でも、長袖でも、どちらでもOK、夜も暑くもなく、寒くもなく心地よく眠れる。
しかし、目が覚めたとき、「今日○○さん陣痛来るかな・・」「今日は△△さん退院だよね。」これが、主人と私の最近の寝起き第一声の会話。
いい天気だから、今日は、布団乾そう、とか、出かけよう、という会話は疎遠になっている。それでも、5月は気持ちよい。
そんな毎日の中、私たち家族にも大きな変化はあった。
日々食事も掃除も儘ならない私だが、プラス、父の介護が加わった。
プライベートなことだし、このページで書き記す内容でもないが、大変な反面、プラスで思えることも増えた。
毎日、「おめでとう、よかったね。」と元気に、家族の一人として生まれてくる赤ちゃんを見て、そして、父(正確には義父・・)に会いに行くと、人としての最初と老いの両方を有ありと感じる。
さっきまで、赤ちゃんがどうしたらおっぱいがうまく吸えるか?どうしたら、お産が無理なく進むか?と考えていた頭を、父に会いに行くときは、どうしたら、父のプライドを損ねず、着替えたり、会話したり、おしもの処置をしようか・・と考える頭に入れ替える。
(しっかり切り替わっている自分に少々自信があるが(’v’)V(笑))
ふっと行き帰りの道中、思う。
今、元気に生まれてきた赤ちゃんもいつしか老いを迎える。赤ちゃんの老いを考えるには早すぎるが、お産を終えたお母さん、その傍らのお父さん、そして、待合で待っておられるおじいちゃん、おばあちゃん。
クリニックで出会う光景は、おばあちゃん、おじいちゃんといっても、お若くて、老いどころか、まだまだ、お孫さんの面倒もばっちり任しておいて!と言う方ばかりだ。
それでも、何十年後は、この家族という枠組みの中でみんな老いを迎える。
その土台である家族のスタートは今クリニックの中で始まっている。
すごく大切な場面であり、私たちの一言や笑顔や行動が、新しく出来上がっていく家族の始まりに一瞬でも影響しているのかもしれない。
私も、数年前まで、介護なんて、考えもしてなかったし、父も「絶対に世話にはならんよ」と言い張っていた。
しかし、老いは待ってくれない。最終的には家族の中で、子供の成長も見守りつつ、老いにも携わっていかなくてはいけない・・・。絶対にみんな・・・。

そんなことを考えながら、今日も父の笑顔を見に行った。そして、プライベートな思いでごめんなさい。
                              eri.hosoda

記憶力

よく街中で、今までにお産された方や、外来通院されている方とお会いすることがある。
どの方も、お顔ははっきり覚えているし、細田クリニックでお産された方、ということは、はっきりと覚えている。お名前もすぐに浮かんでくることが多いが、しばらくしてから「○○さんだ・・・」と思い出すこともある。
でも、去年までは、そうではなかった。どなたでも、すぐにお名前と何で外来にかかっておられるかわかったが、さすがに、外来患者様も増えてくると、買い物途中でお会いして、お話しをしても、お名前だけが浮かんでこなくって、考え込んでしまうことがある。お母さんは、入院中と違い、メークをされていたり、髪型を変えられたり、おしゃれをされたいるとわからないことが多く、
もちろん、赤ちゃんを見ても、すっかり大きくなっておられ新生児の頃の面影はない。案外、お父さんを見て、「○○さんだ」とわかることもよくあるくらいだ。
院長と私、二人で考えても浮かんでこないこともあり、買い物の帰りの車の中で、
・・・・ほら、お産はすごく楽だったよね。2年前の夏くらいかな。
・・・・上のお兄ちゃんが、かわいくって、いつも、気さくにそばに来て話してくれて。
・・・・ご主人が外来にいつも来られてて、背が高くて・・・
そうした会話の後、自宅につく頃、○○さんだ!と思い出すことがある。
(ごめんなさい)
それなのに、クリニック受付にすごい人がいる。
名前も顔も、カルテ番号もすぐに言える。
最近いつ受診されているか、すぐに言える。
受付前の自動ドアが開くか開かないか、というタイミングで、その入ってこられた方の名前がわかる。
私たちが、「1年前くらいのお産の人で、二人めさんで、上がお兄ちゃんで、お母さんはショートカットで、背は高くって・・・」
と言えば、
「きっと、○△さんでしょ。去年の夏頃にお産された・・・。赤ちゃんの名前は、※□ちゃんですよ。カルテは、×××番。」
と即答。それが、完璧に当たっている。一人二人ではない。カルテの数の9割以上の患者さまの把握を記憶している。
びっくりするのを通り越して、すごく尊敬してしまう。

街で買い物途中にお会いして、声をかけてくださるのは、すごく、うれしいし、こちらから声をかけることもよくある。大きくなられた赤ちゃんを見せてくださると、もっともっとうれしい。
でも、受付の彼女と違って、私も院長も記憶力が落ちてきている今日この頃・・・。患者さまの数が増えたせいだ、と思っているけれど、年齢のせいなのかもしれないが・・・・。
贅沢な希望であるが、もしよかったら、お名前を名乗っていただけたらなあ、と思う。
                           eri.hosoda





産婦人科

肌寒い4月1日。
天神川の桜もきれいに咲き並んで、春が来た!と思える季節になった。

昨日、院長の大学時代の友人が香川県から京都に来られた。
まさに、4月1日で、お子様が京都の大学にこの春から入学との事で来られた。
何十年ぶりに会った、とのことらしいが、
「全然昔と変わってないな~」の会話から始まり・・(傍からみたら絶対学生には見えないのに・・・(笑))
お互い産婦人科の開業をしていることから、話は弾んだらしい。
そこで、話になるのは世間の産婦人科医不足、助産師不足の話。
四国のほうでも産婦人科医は減る一方だそうだ。
その先生も、ずっと一生産婦人科をやっていく自信はない、もちろん、子供に今の産婦人科医院を継承してほしいとも思わない、との話だった。
医学部を卒業しても、産婦人科希望の医師はゼロという大学も多く、
このままだと、5年後には産婦人科(お産をする医師)はさらに、3割は減るという予測だそうだ。
助産師も、どこも、不足状態。
細田クリニックに来られる経産婦さんに、前回のお産の状況を知るため、上のお子さんの母子健康手帳を持ってきていただいている。その、お産の状況を記入するページに、医師の名前はあっても、助産師の名前が書いてあることは、半数以下である。・・ということは、助産師がその場にいないということだ。法律上、お産は産科医あるいは助産師がいれば、できるわけであるが、お産直前まで看護師が観察し、お産になれば医師が来るという状況なのであろう。だから、看護師の中でも、産科だけは嫌・・と、特殊な科に思う人が増えてきている。

こうなったら、5年先、10年先、そして、今、生まれた、子供たちがお産する頃、どんな、環境になっているのであろうか。
今存在している産婦人科が残っているとは保証できない。減るであろう。
京都市近辺でも、入院施設を閉鎖する、お産の予約を制限するという病院を、この1年で、3~4施設はある。閉鎖・お産制限すれば、回りの産婦人科は、さらに忙しくなる悪状況。
私の知っているお産をされていた先生が、一人二人とお産をしない分野にいかれる。何で?と思ってしまうが、昼夜24時間365日拘束となれば、仕方ないのかもしれない・・。
わかっていても、どうもできない現状・・・・。もどかしい・・・・・。
そんな中、あえて開業し、自ら24時間365日拘束の産婦人科に突っ込んでいった院長と私。
やるしかない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
                                   eri.hosoda
                      






春がきた。少しずつ近づいているのがわかる。
花屋の店先では、チューリップが顔を出してきた。
野菜売り場では菜の花が売られている。
子ども用品売り場では、入学・入園準備とともに、五月人形が売り場を占めている。
街では、ダウンジャケットからスプリングコートを見かけるようになった。
バスでは、修学旅行生や若者のグループが乗り継いで観光しているのを見かける。
春だ。
本当は、一昔前までは、春が好きになれなかった。
私は、4月生まれ。誰より先に年をとる。それが一番嫌だった・・。
回りの何人かは、3月をきっかけに、4月より新しい職場や次のステップに進む人がいた。私には、職場を変わる勇気もなければ、新しいことをする度胸もなかった。このままでいいのか、といつも自問自答して自分が嫌になっていた・・。次に進む友人がうらやましかった。
だんだん日が長くなり、夕方5時でも明るい。何かしなくては、もったいない・・とあせっていた。
しかし、開業をしてからは、ネガティブな春のことは思い浮かばなくなった。
なぜかな~。わからないけど・・。
お産には春も冬もない。
外来に来られる患者さまも、内科の患者さまのように季節は関係ない。
(風邪が流行るとか、花粉症とか・・)
でも、クリニックの中の飾り物を季節に応じて変えてみたり、そして、妊婦さま、患者さま、そして、スタッフとの会話が冬から春になっている。
わずかに感じる春だけなのに、全く、春の嫌さを感じなくなった。
少し前に、私と同じく春が嫌だった友人に
「春、嫌じゃなかった?」と言われて初めて、今、嫌じゃなくなっていることに気付いた。
年を取るのはやっぱり嫌だけど(若いに越したことはない!)、春になるなあ、また、がんばろう、と思える。
つい先日、ある年配の外来患者さまと
「もう春ですね・・クリニックの中にいたら、なかなかわからないんです。」
と話しをしていた。最後に、
「ここの受付さんも看護婦さんも、いつもニコニコしてはるから、いつも春みたいですもんね。」
と、すごく綺麗な言葉で、すらっと言っていただいた。
こんなうれしいことはない。
                      eri.hosoda






救急搬送

最近ニュースや新聞では1日1回は、医療の崩壊、産科の減少、などの内容が報道される。
本当にあった出来事???と思うくらいひどい内容もあり、今、京都の真ん中にいる私には信じられないこともある。
京都市内は大きな病院が閉鎖と言うこともなく、産科に関しても、日本一と思われるくらい多い地域になっている。
今、右京区に住んでいて、産婦人科を選ぼうと思えば、大きな病院だけでも、4か5病院あるし、個人の産科に関しては、10は超える。すごく恵まれた環境であり、喜ばなくてはいけないのであろう。
そんな中ニュースや新聞での出来事を目の当たりにした。
数日前、大阪市内の妊婦さまが、大阪市内から細田クリニックに搬送されてこられた。救急隊の話では、その妊婦さんは、産科の異常ではなく、内科の症状であったが、『妊娠中である』という理由だけで、どこの内科の病院も断られたとのこと。産科のある病院であっても、ほとんどの病院は、『うちにかかってないと診れません。かかっている産科に行ってください』と言われたそうだ。ということで、細田クリニックに大阪市内から救急搬送されてこられたわけだ。真夜中の出来事。こうして、受け入れ先病院を見つけるのに時間がかかり、受け入れが決まるまで1時間かかった、などと報道されてしまうのだろう。
搬送されて来られた方は内科的症状であったが、一刻を争うことはなかった。もし、一刻を争う状態だったらどうなっていただろうか、と思う。
もちろん、産科であっても産科以外の診断もする。かといって、最初から内科の症状と判っていて、診察することもせずに、産科に行きなさい、と言うのはどうか?と思う。
今までも、妊婦さまや婦人科の方が内科に搬送されて、内科的に問題ないので、帰宅する前に念のために産科で見て欲しい、と、内科医から搬送されてきた例はよくある。それは、まあまあ筋道が通っている。(しかし、ほとんど夜中の出来事で、内科で問題なく帰宅でき産科の症状がないのなら、朝まで様子を見るか、電話で様子を聞いて判断したりできるのであるが・・そのあたり内科医により判断が違ってくるのだ、それは仕方ないかと思う・・)
なのに、大阪では、本当に受け入れすら拒否があるのだ。救急隊の困り果てた生の声でわかった。
(もちろん、本当に受け入れられない病院もある。手術中で医者が手を離せない、本当にベッドが満床、などなら仕方ないのだが。)
私自身、救急車での移動は、何度か経験している。レースのようだ。座っていても、振り切られそうで、足で踏ん張らなくてはいけない。赤ちゃんの搬送のときは赤ちゃんをしっかり抱き、体全体を車のふちで押し支え、車に乗って数分で車酔い状態であるが、不安げな家族に笑顔で接したこともある。近距離だから耐えられる。急ブレーキ、蛇行運転は当たり前。そんな搬送が患者さまにとっていい訳はない。リスクは遠くに行けば行くほど高くなる。最短であって欲しい。
このままだと、本当に医療崩壊になりそうだ。いくら大阪府知事が橋下弁護士になっても、すぐに、どうにかしてくれるとは思えない。人任せではなく、医療する側、受ける側、両方とも何が問題なのか、洗い出して解決しないと、ますます、産科がなくなり、残る産科も簡単には受け入れが難しくなってくる。
と、こんなちっぽけなブログで論じても、解決にはならないのだが・・・。
                           eri.hosoda