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プレゼント

画像-0166数日前、妊婦健診に一緒に来ていた男の子の釘付けになったもの。
それは、診察室の机においてある、揺らぐ、シルバーの物体。
お母さんと一緒にやってきた子どもたちは、99%診察室においてあるミニカーやおもちゃに興味津々。かつ、院長や看護師からもらえるシールの催促。
そんな光景は、見慣れているが、その光る物体を、ジーと眺めている男の子は初めてかもしれない。


その光る物は、実は、ボールペンなのだ。
今年の10月、院長の○○才の誕生日にスタッフみんなからのプレゼントだ。
毎年、スタッフみんなから、プレゼントをいただく。
去年は、診察中にも簡単に飲める、かつ保冷がしっかりできる水筒であって、
毎日お茶を入れて愛用中である。
今年は、このボールペンをいただいた。
ボールペンというより、インテリア、かつ、オブジェ。
まさに院長好みで、絶対欲しそう~というデザイン。
夏の終わり頃から、何がいい?とスタッフから、私にも何度か尋ねられた。
診察に使うもの?かつ、ホッとできるもの?浮かばない。
なぜなら、院長は、ホッと一息の時間が空くと、一人で雑巾を持って、空き室や待ち合い室の掃除に出かける。そんな院長に見合うもの、スタッフは難しかっただろう。

(話は反れるが、掃除繋がりで。
ルームセクレタリーをはじめスタッフみんなきれいな環境は、しっかりできているのだが、どんな方法でも落ちない汚れがあると、何気なく院長に報告。
それを落とすのが院長の仕事だ。だれがやっても落ちない汚れが薄くなれば、
誇らしげに院長の役目終了なわけだ。
掃除だけでなく、電球を替えるのも全部院長の仕事なのだが、ある意味、院長兼用務員のおじさんぽい?クリニックに唯一の男性だから仕方ないことだが、結構やりがいを持っているらしい。)

そんな院長に贈られたプレゼント。
雑巾だけでなく、ホッとする時間にはこんなボールペンでゆっくりと・・、というスタッフの思いにより選ばれた。
診察室の机の上にある揺らぐ物体。
あまり、気付かれないことが多いのだが、そのボールペンにひきつけられた男の子。手にはシールを持っているが、視線はジーとそのボールペンを眺めていた。
何だろう?と思っているのか。
触ってみたい、と思っているのか。
何か光でもでるのかな?と思っているのか。
ほほえましく、かわいい光景だった。
もしかして、将来大人になったら、院長のセンスと同じかも・・・。
eri.hosoda






3才

今日12月5日はクリニックの誕生日。
今日で3回目の誕生日を迎えたわけなので、3才。
長いように思うこともあるが、改めて考えてみると、あっという間の3年間というのが本音。
たくさんの赤ちゃんが元気に生まれてきてくれたこと。
恵まれたスタッフで3才を迎えられたこと。
たくさんのことを教えてもらい、たくさん勉強したこと。
細田クリニックという名前が、少しずつ地域に根付いてきてくれたこと。
どれも、無事、3才を迎えられたことに感謝しなくてはいけない。
5才の誕生日、10才の誕生日、クリニックが存在する以上は、無事に迎えられることを祈りつつ、日々過ごしていくことを誓う。

産科医療はこの先、どうなるか、わからない。
世間の動きだけでなく、いいお産を援助する院長、スタッフの思いも。
もちろん産科を辞めることなど、考えていないが、もし、院長が辞めなくてはいけない状態(たとえば、病気や動けない状態)ともなれば、有無も言わず閉院。
患者様、妊婦様が誰も来られなくなるほど、やばい産科(笑)になれば、閉院。(←そんなことならないようにスタッフみんな自信はあるが、これだけは、患者さんや妊婦さんが決められることだし(笑)・・)
そんなことがない限り、お産をやり続けるであろう。やる以上、あらゆるパワーと自信、判断力、体力、など、どれもパワフル状態でいなくてはいけない。その一つでも欠けたら、産科をやれない。というか、やるべきではない。
「細田クリニックがいいよ」と言われ、やすらぎ・安心・安全・信頼を感じて来ていただける、ポリシーを守り続けていこうと思う。
その信念が続く限り産科医であり続けると思うが、ほんの少しでも、何かが欠けたら、細田クリニックの終りだ。それは、院長の考え。
気力があっても、体力がなければ絶対無理。一晩二晩徹夜できなければ、もう、無理。それに伴って、判断力が落ちれば、命を預かる者として、失格。
逆に、体力はあっても、油断や隙が心にできれば、患者さんは来てくださらない。
院長自身は、いつかは訪れる加齢を考えると、フェードアウトしなくては、と常々思っている。
それはまだまだ先であるが、(ん?ある意味すぐそこかも・・)その時期が来るまで、今の思いで居続けられるまで
細田クリニックをやり続けるでしょう。
そして、5才のクリニックでは、さらにたくさんの赤ちゃんを無事に迎えることができ、今まで以上に立ち寄りやすい、気楽な産科でありたい。
           eri.hosoda





昨日、訃報が届いた。
クリニックを開業する前に、産科に関係するシステムを教えていただいた会社の社長さんが急死された、という訃報。
院長と同じ年齢、また、ご夫婦で会社を開業されたこと、など同じ境遇であり、数年経った今は、疎遠にはなっていたが、大切な方だ。
記憶では、社長さんとは直接お会いしたことはないと思うが、電話では何度かお話させていただき、一緒に会社を経営されている奥様は、わざわざ京都まで来ていただいて、お話しさせてもらった。(九州で会社を設立されている)
私たちは、毎日、生きていることを意識はほとんどしていない。
それが、当たり前になっている。だが、ふと、身近な人で不幸が起こると、命に対する不安がどっと押し寄せる。
いつもは、生きている現実は、「当たり前」「普通」だが、本当は、だれもが、命は、いつともなく予告なしに消えてしまうことが背中合わせである、ということ。
その奥さんは、お通夜の日に大切なメッセージとしてブログを書いておられた。
深い深いブログ、涙があふれて止まらず、読んだ。
以下、一部抜粋させていただく。

~略~
私にとって、子ども達にとって、最高の素晴らしい人でした。もちろん会社の社長としても・・・人として大事なことをわかっている神様のような人でした。


彼の音楽、デザイン、思想、歌声、努力、優しさ、ユーモア、細く長い美しい指、柔らかい髪の毛、そしてどこまでも大きく豊かな広い心。そのどれもが一流でした。


決して相手を恨まず、結婚15年間で人の悪口は一度も聞いたことがありません。私の愚痴を受けとめ、いつもいつも精一杯抱きしめてくれました。


最期は「人として一番幸せな死に方」だと医療関係者に言わしめられる「急性心臓大動脈解離」でした。それも超急性のほぼ一瞬で心停止した…という所見です。苦しみもなくあっという間にポーズボタンを押してしまった・・・。


友人のライブの応援に出かけた熊本で、自分も一曲歌って幸せそうにステージから降りた直後の出来事だったそうです。「幸せの瞬間のそのままの状態で止まった」死に方で、驚くことに笑顔のまま・・・。


~中略~


心肺蘇生を受けるショッキングな姿を家族に見せることもなく駆けつけた時は「笑顔のままの静かな還らぬ人」でした。音楽仲間に見守られ、私達残された家族をよろしく・・・と、言い残さんばかりの最期だったと同席の友人から聞きました。


そんな彼の出来すぎの一流の死に方は、最期まで私達を愛してくれていた証拠だと受け止めています。とてもかっこよく素敵で優しい、自慢の伴侶でした。深く深く愛していました。素晴らしい時間を共有できたことに心から感謝します。ありがとう。
~略~

遠く京都で、ご冥福を祈りつつ、たくさんのことを教えていただいた感謝を天国の社長に伝えたい、と思います。

普通に生まれて当たり前。・・・そうではない。
普通に寿命まで生きていく。・・・そうではない。

命の誕生は、当たり前ではない。
生きる意味、生まれてくる意味を教えてくださった。

                    eri.hosoda

母体搬送

毎日、新聞やニュースで「妊婦の受け入れ先がない」という話題が途切れない。
今、妊娠中の方やそのご家族は、不安でいっぱいだと思う。
細田クリニックでも、度々電話や外来診察中に質問を受ける。
「もし、異常が起こったら、どこに搬送されますか?」
「提携している病院はありますか?」と。
先に、その質問の答えを、述べておこうと思う。
京都は、母体搬送のシステムがきっちりなされている。
まず、開業医が1つ1つ総合病院に電話をかけて、空き状況を確認するのではなく、日赤にセンターを設けてあり、そこへ連絡すれば、どこの病院が受け入れ可能か即答してくれる。もちろん、その時点で、搬送先の病院にも連絡は行っており、受け入れOKである。こちら側としては、妊婦さん、あるいは、赤ちゃんの状態を直接その病院に連絡するだけでよい。
具体的に述べてみる。
細田クリニックにかかっておられる30週の妊婦さんが陣痛が起ってしまい、陣痛を抑える点滴を行っても、陣痛が止まらない。もう、赤ちゃんが生まれるかもしれない。それなら、未熟児室の完備されている病院が必要となる。そこで、センターに「30週の陣痛が起こっている妊婦さんがいます。」など、状態を連絡。そこで、未熟児室の空き状況、産科の空き状況を確認の上で、細田クリニックに病院の決定の連絡が来る。
その連絡が来次第、細田クリニックよりその受け入れ先病院に直接、連絡をいれ、状況を説明。それと同時に、救急車を手配し、搬送となる。
よって、搬送が必要!と決定してから、どんなに時間がかかっても、5分以内に受け入れ先の病院が決まり、搬送することができる。
もちろん、京都市内のどこも未熟児室、産科が満床、帝王切開中、という事態が起こっていることもある。先日も、京都の未熟児室がどこも空いておらず、細田クリニックから宇治の未熟児室のある産科へ搬送した。しかし、こういう場合でも、病院決定までに、5分もかからなかった。
もし、東京都のように、自分たちで行先の病院を1つ1つ電話で確認しながら探していたら、20分30分、いや、もっとかかる可能性はある。
産科は、1分と待てない状況の時もある、ということは100も承知のはず。

これは、あくまで、産科にきっちりと受診されている人に限る。
どこも産科にかかっていない妊婦さんは別であり、その妊婦さんがどういう状況であるかわからないし、まず、妊娠かどうかもわからない状況から救急搬送ともなれば、受け入れ先は、ほとんどないであろう。
きっちり、妊婦健診を受けていることは、自分を守ることの最低限である。
これで、細田クリニックにかかっておられる妊婦さまは一安心だと思う。
ここで、私の一つ言いたいこと。
先日あるテレビ番組で、「東京で、受け入れ先が決まらず脳出血で死亡した妊婦の症例について」有名なタレントが言い切っていた。
「受け入れ先の病院は、手術中であっても、ベッドが満床であっても、受け入れろ!手術が終わってすぐに診ればいいじゃないか、ベッドがなければ、廊下で見ればいいじゃないか!」と。
影響力のあるテレビで、しかも、断言力のある言い方で、言わないでほしい。
手術が始まれば、少なくとも、1~2時間は手術室から出てこれない。
その間、搬送された妊婦を放っておくなら、他に受け入れ先があるように祈りながら搬送を断って当然だと思う。
廊下でどんなケアができるというのか。せいぜい点滴程度。しかも、みんないる廊下でプライバシーもなく、修羅場の処置ができるのか。考えてみたらわかると思う。
私も、院長も未熟児室を持つ総合病院で何年も働いていた。
大きい病院だからといって、なんでも出来るはず、と思わないでほしい。帝王切開などの手術となると、他の外科や整形外科などの手術の絡み、麻酔科の手配、小児科の先生の依頼、呼吸器の準備、などなど、緊急であっても、緊急にならないこともあった。その間に、他のお産の方が進んでくることもある。未熟児室では、呼吸器が既に稼働していれば、新たに、呼吸器を準備しなくてはならない。もちろん、病棟には20人ほどの入院患者さん、および、10人ほどの赤ちゃんがいる。
昼間ならともかく、夜間は、その状況でも、2人の看護師でやり遂げる。産科医小児科医が何人もいるわけではない。夜間は、各一人。
そんな状況で、次々に救急を受け入れろ!なんて、逆に命の重さを感じない発言だ。
そんな状況で何年も働いていた。今は、逆の立場で、母体搬送をする側の立場になった。両方の立場として、考えてしまう。
幸い、細田クリニックから搬送された妊婦さんは大事に至らず、無事搬送先の病院から退院され、退院後に、元気な顔を見せてくれる。
本当に搬送先の病院には感謝している。
こうして、開業医の役割と、大きな病院の体制を理解している今、新聞記事やニュースの母体搬送受け入れなし、という言葉に、歯がゆく思い、心が苦しくなる。解決策はないようにも思うし、でも、絶対解決しなくてはならない問題。
私の結論!どうしたらいいのだろうか。今の日本の現状では、無責任な発言だが、京都のシステムの中でお産ができてよかったと思う。
                          eri.hosoda



秋晴れ

昨日、今日と、気持ちがいい晴天。
暑くもなく、寒くもなく・・・。
ずっとこんなな感じがいいな。
妊婦さんにも、がんばって歩いてね・・と言いやすくなった。
真夏の暑いときには、ちょっと言い渋っていたけれど。

日々妊婦さんには、1時間以上は歩くこと・・と、言っているが、忙しさを理由にほとんど、歩くことのない私たち。
この前の、3連休、携帯だけを手に歩いてみた。
自宅から、桂川を越えて、桂川街道まで。そして、帰ってきた。
正味1時間半。・・・その間、雑貨屋さんでウロウロ。服屋さんでウロウロ。自転車屋さんでウロウロ。
真剣に歩いたのは、1時間弱かも。
それでも、私は、疲れた~の連発。気負って半袖Tシャツで歩いた主人は、くしゃみの連発。いかに、体を動かしていないか、反省をした。
ある妊婦さんが、
「ただ歩いてるだけだと、面白くないので、カメラを持って歩くことにしました」
とおっしゃっていたのを思い出した。その日は、カメラを忘れて家を出たが、たくさんの物が目に入った。
(1)桂川は、結構きれいな水である。橋の上からのぞいたら、魚が見えた。
初めて知った。もっと澱んでると思っていた。

(2)桂川の歩道橋のど真ん中で、風景画を描いておられるご老人がおられた。
こんな風に自分の時間が持てて、しかも、こんな車の行き来する中でも、そこは、ゆったりする空気になっていた。年を重ねても、どこでも、すぐに、できる趣味はいいな、と思った。{余談:::スタッフのお父様が水墨画を書いて、私にプレゼントしてくださった。そのときも、素敵ぃ!趣味があったらいいな~と思った。私も主人も、趣味にしたい興味は山ほどあるけど、時間がないということを理由に全く・・・。老後に向けて、何かやりだそう・・と決意だけは毎日しているのだが、あれもしたい、これもやりたいと、想像だけで終わっている。}

(3)桂川のほとりには、たくさんの畑があって、木(いちじくや柿)や花や野菜があった。こんなに広いと思わなかった。これも、スタッフのお父様がそこで畑を借りて、無農薬で野菜を作っておられ、おすそ分けをいただいたことがあった。土いじりをしたくてしたくてたまらない私は、いつか、ここの畑を借りて、無農薬の野菜を作って(大変らいいけど)、いろんな人におすそ分けして、家でも食べたいなあと思った。

(4)近道発見!五条通は信号のないところでは、絶対横断はできず、信号までかなりの距離があったり、でめんどくさい。突然、主人が近道を発見した。方向音痴の私は、今、そこを説明しろ、といわれても、できないが、とにかく得した気分になった。歩くことを目的に散歩しているのに、近道をラッキーと思うこと自体、何だか変だが・・。

などなど。
たくさんのものを発見。さらに、妊婦さん、患者さん、ちびっ子たちに遭遇も・・・。
(本当は、主人は、立ち寄った自転車屋さんで、試乗してみた自転車が結構、気に入ったようだ・・もうすぐやってくる誕生日にねらっているような・・)
今度は、お店には寄らずに(笑)、もっと先に足を延ばしてみたい。


                            eri.hosoda