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ブログを書く間隔が本当に空いてしまった。
毎日、書きたいテーマ、出来事、題材はあるのだけれども、書くからには、リアルに描きたいと思う反面、実名はもちろん、私や私の家族以外は、名前を挙げることは出来ず、その内容によって、人が特定されることは控えてしまう。
そうなると、パソコンのブログを書く画面を開けながら、数分悩み、やめてしまうこともある。
書き出したら、15分20分ほどで、打ちこんでしまうので、ブログを書くこと自体は全く苦ではないのだが・・・。
いろんなことを書きたいので、人物を消去して書くことは難しい。
頭の中にいろいろ描く。頭の回転にはいいかも・・。
反面、最近、無になることも覚えた。
ブログを書くときはもちろん、仕事をしているときは、ブログを書くことの何十倍もの頭の中身をシャッフル、回転させている。
お産を介助しているとき、目の前の状況を把握し、かつ、数秒先を予測し、かつ、会話を成していかなくてはならない。妊婦さん、妊婦さんのご主人、スタッフ、そして、生まれた赤ちゃん。医療者として発した言葉は、責任もあるし、相手の方にどう伝わるのか、大切なこと。目と耳と口と手と大活躍させる。時には、足も・・。
その他、クリニックの中でのすべてのことが、頭の中でパチパチ音を立てながら、脳ミソが頑張っている。
そんな毎日、《無》になることを意識しだした。
それは、お寺の修行でもなく、麻酔にかかるわけでもなく・・・。
それは、一人で何かに没頭しているときだ。
私が数年前、開業が決まってから資格を取得したフラワーアレンジメント。一つの作品を仕上げる30分ほどは、時間が経つことを忘れる。我ながらすごい集中。自分が助産師であること、クリニックの一員であること、妻であること、母であることを全く忘れている。無になっていることすら気づいてなかったが、主人に「フラワーしているとき別人みたいに真剣やな」と言われて、自分が《無》になっていることに気付いた。
最近、お花を触れるチャンスがないことと、夏場は花の寿命も短く控えている。作り上げた作品は、クリニックに置き、少しでも、なごめれば…(なごんでなかったらごめんなさい)と思っているのだけれども・・。
それから、もうひとつ、《無》になれること。
それは、4月のブログでも書いたが、ピアノを弾いているとき。
近所に聞こえたり、家の中でも、雑音に思われないように、もっぱらヘッドフォーンを着けて弾くピアノ。
気づいたら、3時間経っていたりすることも。
ピアノを弾いている間、ひたすら、楽譜を読み、自分の音だけを聞いている。
他の事は全くよぎらない。だから、時間の間隔も忘れる。寝る時間を削ってでも、時間を忘れるくらい没頭できることが心地よい。
この2つ。フラワーとピアノ。
大人になってから、やりたくって習って、さらに資格を取ったフラワー。
小さい頃、泣きながら練習して、ピアノを弾く意味もわからず過ごした幼稚園、小学生の頃、中学、高校の頃は、それを一生のためにやろうとしたけれど、叶わずあきらめた、ピアノ。
全く違うとっかかり。でも、今のハードな日々の中で、疲れてしまう日々の中で、誰の手も借りず無になれる時間があることがうれしいし、幸せかも・・と気づいた。
だから、何億もの脳細胞を動かすクリニックでの生活もやり遂げられるのかもしれない。
eri.hosoda

細田JAPAN?

毎日のこの生活の中で、院長唯一の気分転換なのであろうか?わからないでもないが・・・。
最近、サッカー放送がよくある。その時間帯は、テレビと一体化になっている。
試合中2時間は、産婦人科医でもなく、父でもなく、夫でもなく、まさに、なりきりJAPANの監督。
私には、どうも理解ができない。
学生時代にサッカーをやっていたわけではない。
かつ、野球も大好き、巨人戦が始まれば、食事の手も止まる。
本当にサッカーファンなら、野球は2の次でしょ。
なのに、サッカーが始まると、私の声は聞こえないらしい。(携帯は聞こえるらしいけど)
選手の動きや相手の動きに、檄を飛ばす。
キムタクと長嶋監督の「セコムしてますか?」のコマーシャル、キムタクがリビングで野球観戦していると、テレビの野球中継の中に入ってしまう場面があるが、
まさに、院長もそのまま、テレビの中に入っていくのではないか、と思うくらい。
そして、横に座っている私の背中に足蹴りがあたる。ボールを追う選手になりきってゴールしているのだ。
まるで、監督のように、「絶対△△(選手名)を出していた」とばかりに、論説し始める。
自分がその場でボールを蹴っ飛ばしたら、確実にゴールしてた、とばかりに、自慢する。
そして、次の試合のメンバーを選んで、「〇〇を出さなかったら、日本は負ける!」と解説者より先に言う。
何年か前に、ある妊婦さんのご主人が、陣痛で入院された横でサッカーの試合を見ておられた。
院長はその姿を見て、
「男はみんなそうなんや。サッカーはどんなときにも見たいねん。」と、私にここぞとばかりに自慢げに言っていた。
しかし、よくよく話を聞いてみたら、その御主人は、パープルサンガのコーチ。
それならわかる。そういう方なら、周りの声が聞こえないくらい集中していて当たり前。充分理解できる。クリニックまで来られただけでもすごいと思う。
そのご主人とは全く違う。サッカーとは全く縁のない産婦人科医。
試合が始まると同時に丸々試合終了時間まで、素人監督になれるな~と関心してしまう。更に、夜のスポーツニュース、翌日の新聞、とチェック。
「もう、結果わかってるんやから、わざわざニュース見て確認しなくていいやん」と私が突っ込むと、「これは、絶対見ないとあかんの!!」とわけのわからない回答。
試合中あまりにもテレビに夢中になっているので、
「な~、あの選手に混じってやってみたら?2~3分走ったら、息ができなくなるか、足がつって、すぐ、担架で退場になるって。ボールも1回も触れず、一生懸命走ってもテレビにも1回も映らず。選手からは、何なん、このおっさん!!としか思われへんよ。」と茶化してみる。
そんな私の声は聞こえていないであろう、聞こえていても、答えることすらできないようだ。細田JAPANの監督になっているか、青いユニフォームを着て走っている自分をダブらせているのであろう(笑)
何年一緒にいても理解できない行動だ・・・。
eri.hosoda


6月

6月に突入。
今年の6月は本当に過ごしやすい。今のところ・・・。
去年、おととしの今頃は、すでにエアコンを入れる日もあったように思う。
まあ、こんなに過ごしやすい日も時間の問題だとは思うけれど、少しは、本来の日本の気候を思い出させてくれたかな、と思った。
ここ何年かは、日本の「四季」と言うより、「二季」という言葉のほうがぴったりで、暑いか寒いかどちらか。
最近の過ごしやすさの日々は、エアコンも入れず、窓を開けるだけで心地よい。
ほんの些細なことだけれども、みんながエアコンを入れていないから、排気する熱風もなく、気温も何度か違うのではないかな~と単純に環境にいいことをしている気がする。別に我慢してエアコンを入れてないわけではないし、体も無理しているわけではない。
昔はエアコンなんて、家庭になかった。
私たちの小さい頃は真夏でも扇風機だけ、が当たり前。
唯一あったエアコンのついてる部屋に寝苦しい夜だけ、家族全員集合して、寝ていた。
マイカーにも、エアコンが付いているところとついていないところと半々の時もあった。
アイスクリームは、夏の食べ物で、もちろん冬には売ってなかった。夏の暑い日にだけ買ってもらえた高価なものだった。かつ、今にように、冷凍室が大きくはなく、冷蔵庫の中の一角に製氷皿が1つか2つついている程度の冷凍場所。アイスクリームなんて到底入らない。だから、買い物から帰ってきてすぐに食べられる日曜日だけだったような・・・。
こうして、季節を感じていたような気もする。
夏は暑いから、プールや水遊びでしのぐ。
大人は涼しい朝晩に用事を済ませる。
そんな光景は少なくなってきたし、逆に、炎天下で遊べば日射病になるし、日焼けは肌に悪いから紫外線防御必至。
小学生のプールも、光化学スモック注意報が出てるからナシとか・・。
この、過ごしやすい期間を大切にすれば、また、日本の気候も昔のような過ごしやすくなるのかな?と勝手に一人で思っている。
今しか、また、これくらいしか、環境にいいことができない自分も情けないけど、そんなこと言ってられない40度近い真夏には、クーラーのありがたさが身に沁み、思わず、部屋に入ればまずエアコンのリモコンを握る自分がいることも間違いない。そして、そうしなければ、体がもたない人間の弱さも痛感。厚さで、命を落とす人もある。
昔の環境に戻れる、というか、戻す自信はないけれど、今より悪くならないように考えて、そして、実行しなければいけない。
私たちの年代は、昔を振り返り、今との違いを強く感じるけれども、今、生まれた子供たちが大人になったとき、「平成20年代は住みやすい環境だったな」なんていうようなくらい環境が悪くなり、生活に苦痛を感じないように、せめて今の環境を維持できるように、大人が努力してあげないといけない。
どうか、過ごしやすい日々が長く続きますように。
eri.hosoda

三角からライオン

「三角から、ライオンになってるよ」
ある患者さんの小さな女の子の言葉。
心臓がドキンとするくらい、感動した言葉だった。

何のことかわからない人が大多数でしょう。
クリニックの壁にかかる1枚の絵。
オープン以来、そこにはずっと書画がかかっていた。筆で幾何学の絵のように三角が描いてあった絵。
私も含め、スタッフは、空気のような空間になっていて、そこにどんな絵がかかっているか、一生懸命思い出して、書画!とわかっても、三角だったのか、丸であったのか、なんとなく筆で書かれた絵、くらいしか思い出せない。
書画は、クリニックのダークトーンには、しっくり馴染んでいたのであるが、今回、全く書画と趣の違う、また、クリニックの雰囲気にそこだけひそかに浮きそうな、そんな絵に変えてみた。
が、こちらが言うまで、誰も気付かない。
気付いても、それまでにそこに、どんな絵が飾ってあったか、思い出せない。
大人の記憶はそんなものだ。
(余談だが、街の中で、更地になった土地を見て、そこに以前どんな建物があったのか全く思い出せないこと、よくあるのでは・・?)
そんな感覚だ。
しかも、外来の中での毎日は、何の変化もない。
院長が、20歳若返ったら、目立つ?
スタッフみんなディズニー系の衣装をして診察したら目立つ?
ありえない例えだけど、それくらい変化がないと、だれも気付かないと思う。
たった1枚の絵の変化に、小さな女の子は、あれ?って、純粋に感じたのではないかな。
診察室でお母さんに、
・・・・・・・・・「三角から、ライオンになってるよ」とつぶやいた。
子どもの視線、気付き、感性、三角からライオンという表現・・。こんな小さなことに感性豊かに、素直に気付き、お母さんに報告。きっと、上手に育てられているのだな、と思った。
その豊かな視野をすごく感激・感動し、大切にしてほしい、と思った。
大人になれば、気付きが減ってしまう。感動も半分になる。
その女の子にとって、三角の渋い書画から、キラキラするライオンになったことは、心に何か感じたのであろう。
絵を変えたしばらくは、
「やはり、あの場に不釣合いだったかな?」
と思っていた(院長が気に入って買った絵ですが)が、一人の女の子の発言で、救われた。
外来診察に来られた方、まだ、気付かれていない方、子どもの観点にもどって、クリニックの中を見渡して下さい。
そして、以前飾ってあった、三角の書画を、スタッフのよく通ることろに移動させたわけだが、まだ、気付いていないスタッフもいることも事実。
子どもの感性のまま、大人になることは難しそうだ。

eri.hosoda


新型インフルエンザ

4月後半より、ニュースでは見たり、聞いたりしていたが、実感がなく今日に至っていた。
ここ2~3日のニュースでは、どの局も、道行く人々のマスク姿や修学旅行の中止の話題が報道されている。
新幹線のホームまで行って、その場で校長先生から「今回の修学旅行は中止になりました」と言われた学校の生徒さんたち。泣いていた。しかも、受け入れ先の旅館や観光地から「関西方面の方が来られることは困ります」と言う理由で。悲しいだろうな。理由はわかっていても、一生でその修学旅行はたった1回なのに。
また、会社や学校が休みになっているところもある。
ある、サラリーマンが「今日出社したら、会社に発熱者が出たということで、休みになりました。自宅に帰ろうと思っていたんですが、妻が妊娠中で、しかも、上の子どももいるから、菌を持ってくるから帰ってこないで。と言われて、今、途方にくれています」と話していた。それで、本当に拡大が防げるのだろうか。
大阪、兵庫の話とはいえ、となりの京都でも、受ける影響は大きい。
全国からは、関西方面で広がっている、として捉えているため、関西以外の親戚や友人から
「大丈夫?」と連絡が来る。
まだ、京都では、そんなに大きな変化はないように思う。
今日、銀行に行ったが、行員は誰もマスクをしていない。ATMに並ぶ10人ほども誰もマスクの人はいなかった。
逆に郵便局は、職員全員マスク着用。お客さんは20人ほどの中で1人だけマスク着用。
クリニックの近くの大学に通う学生さん何十人、いや、100人は越えてそうな集団とすれ違ったが、マスク着用者は、10分の1ほど。
やはり、大阪や兵庫のように、マスクをしていない人を探す方が難しい状況よりは、京都はまだまだ、ゆるい。
しかし、知らん顔もできない。
クリニックでも、玄関に手指消毒液を置き、外からの来院者の方に徹底して手指消毒を行ってもらっている。
もちろん発熱者には、受付に1番に声をかけてもらう呼びかけてもいる。
マスクをする理由は、飛沫感染を恐れるからであるが、くしゃみや咳をしても、1~2mしか、ウイルスは飛ばない。人と人がどうして感染するかは、ウイルスを持っている人の触ったものや唾液が飛んだものに他の人の手を介してうつることが多い。
だから、うがいだけでなく、しっかり、手洗いをすること、外出後、人と接したあと、うがい手洗いを習慣付けたいものだ。
それは、今回のインフルエンザだけでなく、日常でも・・。
そして、草なぎ君逮捕のときも同じであったが、報道だけで振り回されないでほしい。こういう事態に慣れていないのもあるが、行き過ぎな報道も感じる。
関西人をバイキン扱いのように扱っている、ある九州の市長さんのインタビューも目にした。関西に修学旅行でいった高校生は、何の症状もなくても出席停止と言い渡したそうだ。「それは当たり前でしょ。市民を守るためです。本当は帰ってこないで、そちら(関西)で待機していてほしかった」と堂々とマイクに向かって言い切っておられた。市民を守る正義の人と思って発言されているのであろうが、そのマイクを向けている記者たちは全国を飛び回っている人であり、関西の人もいるであろうに・・。
こんなパンデミックを想定したような、発言や報道はどうなもんだ・・と疑問に思うところも多いが、最低限できる防御はし、一人ひとり自分の身を守る意識を持ちながら生活すれば、どこかで歯止めがかかり、火の勢いが衰えてくることだろう。それを願っている。
eri.hosoda