細田クリニックのひとりごと

震災から思う

震災から20年。テレビなどの報道は、当時のドキュメンタリーをしたり、それを教訓にしたドラマを放送したりで、いつもより、いろいろな思いがふつふつと起こりました。

1月17日、阪神淡路大震災のおこった日。
京都にいた私は、全く被害を受けていません。
朝、出勤するまで、事の重大さにも気付いていませんでした。
その日は、すごく寒かったけど、いい天気で、青空が広がっていたと思います。
産婦人科病棟(以前の職場)は、忙しくなく、お産の方もいらっしゃらず、ゆったりとした空気が流れていました。ただ、テレビを付けると、時間が経つにつれ、死者の人数が増え、倒壊家屋の様子、火災の様子が映し出されるようになりました。全テレビ番組が番組やCMを差し替え、被災状況を放送しており、これは戦争じゃないか!!と思うくらいの怖さを感じたものです。
職場のスタッフ一人が神戸出身で、母親と連絡が取れず、仕事終了後、バイクで京都から神戸に向かうと言いだし、心配したものです。(お母さんは無事に、避難所に行っておられました)

そのあと、2011年には、東北の大震災。それも、この世の出来事と思えない、津波。
被災された当事者の方には、本当に申し訳ありませんが、映像でした記憶がなく、第三者としての思いしかないのは事実です。それでも、身震いするほど怖いし、恐怖を感じます。

次、何が起こるかわかりません。今日、何かが起こるかもしれません。
もし、京都に津波が来たら、おそらく日本のほとんどが海の中になるでしょう。 
今、富士山が噴火したら、日本はパニックでしょう。
数日前、京都南部に震度3の揺れを感じました。
院長は、お風呂に入る直前。脱ぎかけた服のまま、クリニックに安全確認の電話をしていました。その時は「結構揺れたね」だけで済みました。
もし、その時に未分娩の方がいらっしゃったら、お産を終えなくてはなりません。外は被災状況でも、
出産場面では、普段と変わらず、「おめでとう」ということでしょう。
当事者でないとわからない恐怖や危険は、その恐怖や危険の空間にならない限り、日常にダブらないのかもしれません。

そんな中でも、常に危機感を持つこと。
こんなに未曾有の災害があっても、体験していない私たちは、家もあり食べ物もあり、テレビも電気もある。
あっという間に普通の現実に戻ってしまう。
だから、今回、数々ある報道番組を見ていて、悲しくなったり、再び起こるのではないか、という恐怖を感じたけれど、同時に、1995年1月17日の記憶をたどれば、その時いっしょにテレビを食い入るように見たスタッフの顔、その時の天気や病棟の雰囲気、出勤前に親が電話してきてくれた会話、神戸に住んでいる友人に電話するため、病院の公衆電話の前に並んだこと、そんな内容の記憶が1995年1月17日の記憶であることに不思議な感覚を覚えます。非情に思うけど、事実です。

20年って、あっという間でした。

これから20年もあっという間であることは、間違いありません。
しかも、20年後は、今生まれた赤ちゃんは、数知れない体験をすることができます。
でも、私たちは、いや、私は、今できていることが、できなくなる年齢になっているはずです。
もしかして、あと20年も、生かされないかもしれません。
だから、これから先、震災の体験をしていないからありがたい思いだけで生きていけるし、人間、記憶する真逆の忘れるということができる勝手な生き物なので、生きていける、のです。
でも、決して忘れてはいけないこともあると思います。そして、忘れてはいけないことは、語り継がなければならないのです。
それは、自分で考えて、時にはみんなで考えて、ありきたりな表現ですが、大切に生きていこう・・と思います。

数日経ちましたが、20年を迎えて思うことを記しました。
6400名の方に黙祷。
eri.hosoda