細田クリニックのひとりごと

昨日、訃報が届いた。
クリニックを開業する前に、産科に関係するシステムを教えていただいた会社の社長さんが急死された、という訃報。
院長と同じ年齢、また、ご夫婦で会社を開業されたこと、など同じ境遇であり、数年経った今は、疎遠にはなっていたが、大切な方だ。
記憶では、社長さんとは直接お会いしたことはないと思うが、電話では何度かお話させていただき、一緒に会社を経営されている奥様は、わざわざ京都まで来ていただいて、お話しさせてもらった。(九州で会社を設立されている)
私たちは、毎日、生きていることを意識はほとんどしていない。
それが、当たり前になっている。だが、ふと、身近な人で不幸が起こると、命に対する不安がどっと押し寄せる。
いつもは、生きている現実は、「当たり前」「普通」だが、本当は、だれもが、命は、いつともなく予告なしに消えてしまうことが背中合わせである、ということ。
その奥さんは、お通夜の日に大切なメッセージとしてブログを書いておられた。
深い深いブログ、涙があふれて止まらず、読んだ。
以下、一部抜粋させていただく。

~略~
私にとって、子ども達にとって、最高の素晴らしい人でした。もちろん会社の社長としても・・・人として大事なことをわかっている神様のような人でした。


彼の音楽、デザイン、思想、歌声、努力、優しさ、ユーモア、細く長い美しい指、柔らかい髪の毛、そしてどこまでも大きく豊かな広い心。そのどれもが一流でした。


決して相手を恨まず、結婚15年間で人の悪口は一度も聞いたことがありません。私の愚痴を受けとめ、いつもいつも精一杯抱きしめてくれました。


最期は「人として一番幸せな死に方」だと医療関係者に言わしめられる「急性心臓大動脈解離」でした。それも超急性のほぼ一瞬で心停止した…という所見です。苦しみもなくあっという間にポーズボタンを押してしまった・・・。


友人のライブの応援に出かけた熊本で、自分も一曲歌って幸せそうにステージから降りた直後の出来事だったそうです。「幸せの瞬間のそのままの状態で止まった」死に方で、驚くことに笑顔のまま・・・。


~中略~


心肺蘇生を受けるショッキングな姿を家族に見せることもなく駆けつけた時は「笑顔のままの静かな還らぬ人」でした。音楽仲間に見守られ、私達残された家族をよろしく・・・と、言い残さんばかりの最期だったと同席の友人から聞きました。


そんな彼の出来すぎの一流の死に方は、最期まで私達を愛してくれていた証拠だと受け止めています。とてもかっこよく素敵で優しい、自慢の伴侶でした。深く深く愛していました。素晴らしい時間を共有できたことに心から感謝します。ありがとう。
~略~

遠く京都で、ご冥福を祈りつつ、たくさんのことを教えていただいた感謝を天国の社長に伝えたい、と思います。

普通に生まれて当たり前。・・・そうではない。
普通に寿命まで生きていく。・・・そうではない。

命の誕生は、当たり前ではない。
生きる意味、生まれてくる意味を教えてくださった。

                    eri.hosoda