最近ゆっくり座ってドラマを見る時間がない。
先日、「夫はまったく目が見えず、耳も聞こえない。私の顔も声も知らない」というドキュメントドラマがあった。
絶対見ようと決めていたが、クリニックに急患の患者様がこられたため、ビデオにとって夜中に見た。
久しぶりに泣いてしまった。
見られた方はわかるでしょうが、目も見えない、耳も聞こえない、というご主人と寄り添う妻の夫婦愛のドラマ。
私が一番感動したのは、奥さんは、そんな障害を持つご主人に惚れて結婚したにもかかわらず、疲れてきて、ご主人に言いたいことを全部ぶつけて、家を飛び出した。そして、実家にいる兄に弱音をはいた。
そのとき、兄は「全部いいたいことを言えてこそ初めて本当の夫婦になれたんだよ」と答えた。
障害を持つ夫といる妹に、お兄さんは普通の夫婦に語るのと同じように返答をされたのだ。「そうか、やっぱり、目も耳も不自由な人と生活するのは大変なんだ。結婚する前に言ったじゃないか」とは、言われなかった。
まだ、クリニックでは、障害の方の妊娠・出産はない。婦人科疾患の方でも来られていない。でも、もし、明日来られても、普通でいいんだ、と思った。
私は数年前、ある薬の副作用で、まったく両手と上半身が動かない何日間を経験したことがある。その間、主人は私に食事も食べさせてくれたし、歯磨きもしてくれたし、寝返りもさせてくれた。生きていく上で手を必要とすることを全部やってくれた。そのときの私は、気も弱っていたのか、治るという診断がつかないときは、「このままだったら離婚しよう・・」と思っていた。でも、この話を主人にすると、「離婚なんてする理由がない」と言ってくれた。逆の立場だったら私も同じことを言うのもわかっているが、このままでは夫婦ではないって錯覚していた。
今はほとんど後遺症は残らず、日常生活は全く普通で、こうしてパソコンも打てる。だから、つい健常である事が、空気のようになっていた。
もし、私が、あのままであったらどんな夫婦であったであろうか。生活は変わっていただろうが、気持ちは変わらないであろう。
あのドラマを見て、さらに自分を振り替えってみて考えた。クリニックに来られる方々の中で、どんな障害を持っておられる方であっても、それは、個性であって、何も困らず対応できる気がする。たとえば、よくしゃべられる方にはたくさん話を聞いてあげたいと思うし、ドアが重くて開けられないお年寄りにはあけてあげようと思うし、声が聞き取りにくい方には、近寄って話を聞こうと思う。だから、同じように、目が見えない方には見えるように案内しよう、歩行が困難な方にはスムーズに動ける手助けをしようと思う。それで、いいのであろう。
これは、当たり前のことなのであろうが。
eri,hosoda