月別アーカイブ: 2018年4月

親友

昨日、友人から、ラインが来ました。
「お墓参り、今年は、いつ行く?」と。
毎年の恒例です。

大切な、大切な友人が、
14年前の5月にこの世から旅立ちました。

その時。

なぜこんなことが起こっているのか、
すべて何も変わっていないのに、
目の前で、彼女が息絶えようとしている現実。
過去のことですが、リピートで見るドラマのように、
覚えています。
その時の天気も、彼女を囲む空気も、鮮明に。
ガンの末期で、自宅療養していた彼女。
彼女が、旅経とうとしているその時、私は、彼女の手をさすっていました。
確かに、目の前の彼女は、意識こそありませんでしたが、全身で息をしていました。
生きようとしていたと思います。
生きたい!と思っていたはずです。
でも、私にも、家族にも、どうしようもできないから、
私は、
彼女の二人の子供を抱きながら、必死で彼女に語っていました。
いや、叫んでいたかもしれません。
二人の子供は、まだ、14年前は幼児。
子供たちは、理解できないその場。
家族みんな集まっているし、少し、ハイテンションだったのでしょう。
お母ちゃんの友達の私が、久しぶりにそこにいるものだから、
日ごろの出来事を私に報告したりしていました。
「わかったよ。だから、お母ちゃん起こしてあげて!!!」
「お母ちゃん!!と言ってあげて!!!触ってあげて!!!」
私、そんなことを言っていたと思います。
子供たちは、無邪気に、
「お母ちゃーん、ただいまー!」
「ただいまって言ったら、お帰りー!って言わないと(笑)」
「お母ちゃんな、いつもは、お帰りーーって、言わはるねんで(笑)」
「今日は、寝てるわ」
そんな子供たちのいつもの無邪気な表情の中、彼女は、旅経ちました。
その場の光景は、1か月前も、1年前も、何も変わらないのに、
確実に、彼女は、その時、逝ってしまいました。
二人の子供たちの声、聞こえていたのかどうか、
そばにいる、家族の声、感じていたのかどうか、
どんな、気持ちで逝ってしまったのか、
きっと、彼女は自分のお母さんに、ありがとうと言ってたでしょう、
多分、ご主人、子供たちと握手しながら、じゃあね!と明るく言っていたことでしょう、
すべて、だれも、わかりません。
14年経った今でも、この世では、確かめられません。
でも、残されたみんなの中に、
彼女は、明るいハキハキ優しい、その面影はしっかり、残していってくれました。
その直後に見た、彼女の自宅玄関に飾ってあった写真。
1年前の家族旅行の写真でしたが、子供たちとはしゃぐ彼女のピース姿が、動きそうでした。

 

二人の子供たちは、すくすく育ち、二人とも、立派です。
上のお兄ちゃんは、社会人。
弟も、勉強頑張り中です。

私たちも、毎年5月には、彼女の眠るお墓に、しゃべりに行きます。

いつもきびしい、それが優しさの彼女。
なんでも、話せた、心友。
まだ、彼女が病気にもなっておらず元気な時、
逆に、私が危なかった時があって、
その時、ベッドの上の私の顔をなでながら、言ってくれた言葉。
「何もいらないけど、健康が大切だね。病気したら、健康のありがたさ、わかるよな。
元気になろっ!なっ!」
年下だったけど、お姉さんのように力強く言ってくれました。
その彼女が、その言葉から1年後、逝ってしまい。

子育て終わったら、海外旅行行こうな、
開業したら雇ってな、
恋愛のこと、
子育てのこと、
おいしいもののお店のこと、
夫のこと、
患者さんのこと、
お産のこと、
開業のこと、
たくさん話しました。
しぐさも言葉も声も、覚えています。
今も若いままの彼女の表情で。

 

友人から「お墓参り、いつ行く?」
のラインが来る4月の後半。
ふとクリニックにいても、彼女を思い出す、そんな時期です。

 

(クリニックに関係のない内容で失礼しました)

eri.hosoda