月別アーカイブ: 2015年10月

お誕生日


今日は、院長のお誕生日。
本人望まずにて、年齢は公表いたしません(笑)が、そこそこの人生経験を経ている初老期、、、にしておきます。
今年もスタッフから、心のこもった本当にあったかい企画をしていただきました。
先週の土曜は、スタッフみんなで楽しい会食をしていただき、食事のデザートに院長特別バージョンのケーキの盛り合わせまで出していただきました。
そして、プレゼントもいただき感無量!
通勤に使うリュックをいただきました。ブラックのビジネスマンが持っていても似合うスタイリッシュなリュック(^_-)-☆自転車で通勤(と言っても1~2分)にピッタリ。
毎年ながら、最近欲しがっている物をうまくリサーチしてくれて、最高な贈り物です。袋から、リボンを外し中をウキウキしながら開ける院長は、まるで、サンタさんからプレゼントをもらって開ける少年!
そして、やったーと叫び、さっそく背負う院長の姿は、まるで、ピッカピカの1年生(笑)はたまた、薪を担ぐ二宮金次郎(笑)みんな大笑い。
その空気は、はしゃぐ院長とみんなの笑い、なんともいえない幸福感でした。

そして、今日、誕生日当日には、出勤しているスタッフ一同で、ハッピーバースデー♬の歌と手拍子で、院長の前へ行進。今日は、本当にサプライズで、診察室で、午前中の外来患者さまのカルテの見直しをしていた院長は、驚きの表情とともに満面の笑顔でした。今、その場でかぶりつきたくなるような(私が、かな?)おいしそうなケーキとみんなからのメッセージカード。
院長、毎年ですが、この、スタッフからのメッセージは宝物にしよう!!と思います。あとで、何度も何度も、メッセージとその周りに飾られた写真を穴が開くほど見させてもらうのが、心地よい楽しみです。

改めて、誕生日を迎えての抱負を語るなら、
さらに持てる力をすべて出し切ること。つまりは、目の前にいらっしゃる患者さまのための医業にいそしむことで、少しずつ、産婦人科、大きく言うと医療に貢献していきたいと思います。

本当にうれしいうれしい、今日。
そして、愛おしいスタッフ、ありがとう!!!

注*すべて、院長の代弁です!
eri.hosoda
リュック カード

子育て

人は、出産をしたその直後から、子育てが始まります。
親は子供を選べませんし、子供も親を選べません。それは仕方ないので、育てるというところからスタートです。子供は自分が思うようには、育っていきませんが、親の思いを子供に伝えていくことができます。いや、それが子育てのすべてかもしれません。親の思い、考え、やさしさ、厳しさ、それぞれの親の色を子供がそれらを受けてくれること、思い通りになってもらおうではなく、伝えるだけでいいのです。
しかし、ある意味、子育ての過程は、喜び、うれしいことですが、反面、恐ろしいことでもあり、すごく責任のあることです。思い通りの子供になんてなりやしない。でも、親のその思いをうけてくれるだけでいい、そんな子供になってほしい、それが、子育てだと思っています。親のコピーでもない。言いなりになることでもない。一人の人間を作り上げていく手助け?口添え?をするのが親、子育てです。

ある外来での光景。
超音波の画像を見ながら、
(私)「お兄ちゃんもこんな感じに、ちいちゃかったのにね。大きくなったね。」と声をかけると、
(ママ)「おなかにいる時は、こんな子になると思わなかったわ。首座るまでは、全然手がかからなかったけど、今ではね・・。もう1回ここに(おなか)戻して、やり直したいわ・・こんな子になると思わなかった、私が生んだとは思えへん(笑)」・・・と。
すごくショックな光景でした。
誰もが、やんちゃになった上のお子さん、思ったようにしてくれない幼児期の子育て、イライラすること、悲しくなること、できないことも多々。やり直せるならやり直したい、と思う、その表現もよくわかります。だから、ママの発言内容を否定はしません。それだけ、子育てが大変なんだな、と解釈、理解します。
この会話、ママ友だけしかいない時の会話なら構いません。私たちに話してくれるのも、全然、構いません。

私が嫌だったのは、ママのこの言葉を上のお兄ちゃんがそばにいる、聞こえるところで話すこと。
何気に、診察室のおもちゃで遊んでいるから、聞いていないか、と思うでしょうけど、ママの発する言葉は、耳に入ってくるのです。どんなにおもちゃに集中していても、会話は聞こえています。「終わったよ」とか、先生が「赤ちゃん、お兄ちゃんに似てるわ」とか、ママが上のお兄ちゃんの名前を発した時は、チラッと視線をこちらに向けます。
ということは
、真剣に遊んでいるようでも、しっかり聞こえているのです。
だから、同じ空間で、いらない子発言、失敗作発言(本心ではないのはわかっています)はやめてほしい。どんなわがままでいうこと聞いてくれない子であっても、その子を育てたのは、間違いなく親なのです。
よく、上の子を育てながら、第2子が生まれ、下の子に手がかかると、どうしても、一人目のお兄ちゃんお姉ちゃんにきつく当たってしまうこと、ありますよね。親として当然。ママだって怒りたいときだってあるし、体もしんどいし、どうしていいかわからないときだってあります。だから、まだオッパイ吸うだけの赤ちゃんに語るより、反応のある上の子にストレスぶつけることは、普通だと思います。ほとんどが、「言い過ぎたなあ・・・」とわかりつつの会話(笑)
ママの怒るその時の言葉を聞き、お兄ちゃんお姉ちゃんは、子供ながらそれぞれの立場を知り、少しずつ大人の世界を知るきっかけ。そのしつけには、愛情があるのだから、ママの発している言葉にたとえ感情が上乗せしていても、親子の会話です。のちのち、わかってくれます。

それと、子供の前で、他の人に「うちの子は失敗作」みたいな会話をすることは、別。
ママが、私が生んだ子には思えへん、と言ったときのお兄ちゃんの目。ここの病院の人もそう思ってるの?みたいに感じているようで、切なくなってしまいました。
本当は、ママもお兄ちゃんのこと好きだし、大人の言葉の綾だよ、と即言いたかったけど、言ったところで、小さい子にはわからないし。
何気にシールをもらって帰っていったお兄ちゃん。ママが病院の人に話している言葉は忘れてくれるでしょう。でも、この雰囲気、ママが発した言葉の雰囲気、それは、心のどこかに残ってしまうかもしれません。ママが「やり直したい子」みたいな話を他の人としている光景もすっかり忘れてくれることを願います。
eri.hosoda