年別アーカイブ: 2015年

10周年を迎えて

1か月前にも触れましたが、クリニックの10才の誕生日を迎えました。

この10年間、ハード面は大きな変化はありません。

スタッフは、10年前のオープニングから頑張ってくれているスタッフが4名います。
ずっといっしょにいてくれていることは、私たちの大きな財産、宝です。
そして、10周年を迎えられるこの時を一緒に頑張ってくれるスタッフは、家族です。
楽しいスタッフ、厳しいスタッフ、ユニークなスタッフ、院長より年上の頼れるスタッフ、子供のような年齢のスタッフ、笑顔いっぱいのスタッフ、物知りさんのスタッフ、しっかり主婦のスタッフ、新婚さんスタッフ、子育て真っ盛りのスタッフ、それぞれの個性が合わさって、今、10年を迎えられる、大切な大切なメンバーです。
そして、多くの業者さん。仕事範囲を超えて、クリニックのために動いてくださいます。
多くのお祝いのことばやお花をいただき、そして、診察に来られた患者さまからも「10周年、おめでとうございます」と声をかけてもらいました。
そのたびに、10年の重みを感じています。

また、家族にもかなり、負担を負わせたと思います。
家族より仕事!でしたので、いろいろありました。
院長も私も翌朝までクリニックの中、という日は1週間に半分以上という時もありました。
息子は受験の日も一人で起きて、一人で鍵を閉めて受験に行きました。
夜帰れない日、しかも、連絡すらできない日には、テスト前であっても息子が私たちのご飯を炊いて味噌汁を作っていてくれたこともあります。
息子の塾の先生には、お母さんがもう少し受験に真剣になってください!とまで、言われましたが「受験は本人だから!」と言い訳をし、仕事の方を優先していました。
娘との約束、何度もドタキャンしました。
すれ違いで、メールだけでの連絡、という日々もありました。
家の家事は分担させていました。それでも、たまに顔合わせれば、日頃注意できない小言で怒ってばっかりのこともありました。

わかっているけれど、クリニック優先の日々。
でも、10周年記念のパーティーの日、スタッフが密かに考えてくれ、知らないところで連絡を取ってくれて、子供たちからサプライズの手紙が届いていました。そしてスタッフが代読してくれたのです。
こんなにビックリしたことないくらい、心臓が破裂しそうなくらい驚きました。
あんなに仕事仕事で、よそ様の親より半分も手をかけてあげられなかった子供たちが、感謝している、すごく尊敬している、すごいと思う、そんな内容の手紙。
私たちの仕事中心の姿は、そう映っていたんだと思うと、涙なくは聞いていられませんでした。

それが、この10年。

この10年は走り続けてきましたが、これから先の10年はどうなるのか、という、期待と不安と、考えても仕方ないかな、といろいろな思いがあります。
もちろん、院長も私も今以上に年をとります。もちろん、年の功という言葉があるように、生きてきて得たことを活かすことはできます。関わってきた人のありがたさを感謝しながらお返しすることもできます。
でも、体力はドンドン身に染みて厳しくなってくるし・・・・。
徹夜、夜中の行き帰り、食事作れなくてコンビニで済ます、、、、、だんだん、堪えるようになってきます。
それだけでなく、患者さまのために、と思う経営、人事、経理。詳しくは差し控えますが、難しい時代になってきます。それらの不安がゼロになることは恐らくないでしょう。

でも、昨日も元気な赤ちゃんが生まれてくれました。今日明日にも生まれそうな方いらっしゃいます。
それが仕事の現場。
その現場での思いは10年前と今、変わらない思いでいます。そして、これから10年先もその思いは、色あせることなく、それどころか、濃く濃くなっていくようにも思います。

頑張ります。頑張ってくれているスタッフと頑張っているママと、頑張ります。
ありきたりな言葉、頑張る!頑張りや~!頑張るわ~!頑張ったね!
その言葉は、簡単に誰もが使い、いつでも、どんな所でも使いますが、

でも、頑張る を辞書で見ると
「困難にめげないで我慢してやり抜く。」
我慢してやり抜かないと、頑張った!とは言えないのですね。
その意味の通り、本当の頑張り、正真正銘の頑張った、そんなこれからの10年になるようにします。

eri.hosoda

 

 

10年

京都市右京区西京極南大入町88

ここに開業して、間もなく10年が経とうとしています。
正確に言うと、2005年11月1日にオープニングスタッフが顔を合わせ、そこから、何もない、形も土台もない産婦人科クリニックを作り始めました。

最初の外来は、患者さま来院数5~6人という日も。それでも、スタッフみんなてんてこ舞い。院長も汗ブルブルかいて頑張っていました。
今では1日100人近くの患者さまが来られる毎日なので、その10人未満の患者さまの人数であたふたしていたころは、記憶から消えてしまいそうです。

今の思い、いろんなことを思い出し、懐かしみ、また、改めて反省し、そして、お産を再度振り返ってみて、今日明日、そして、これからの毎日に生かしていこうと思います。

お産は、開業当初の10年前、古代の時代から途切れることなく、かつ、変わりなく受け継がれています。

女性だけの妊娠。・・・男性の妊娠はありません。

子宮に10か月宿り、女性だけが生む。・・・男性は生めません。

赤ちゃんも、外に飛び出す時を待っている。・・・人間は1年2年と子宮にいることはありません。

産婦人科医、助産師、産科看護師、産科に働くものの役目は、
そのプロセスの中で、医療としてお手伝いをしようとしているだけ。
もちろん、院長も私もスタッフも、徹夜したこともあります。どうしたら、いいのか悩み抜いたお産もあります。どう接してあげたらいいのか、考えさせられるママもいました。病気のママ、状態が悪い赤ちゃん、急変した分娩、思いだすと、分娩の数だけのストーリーがあります。それだけでなく、仕事優先の生活では、家族を犠牲にしてきたこともあります。
それでも、いつも、どうか無事に生まれてきてくれますように、このまま何もなく、お産が終わりますように、そう願っているのです。
もちろん、宗教じゃありません。
祈るだけでなく、医療者としての助けが必要な時は、お薬を使用します、帝王切開もします。
緊急も対応します、想像より時間がかかるお産も考えます。そのケースケースによって、最善を尽くす、かかわるスタッフが責任をもってお産を導く。それもすべて、家族という最小ユニットのスタート、プロセス、の助けをする仕事と思い、毎日、10年間過ごしてきました。

みなさんの生みだす力、普通分娩も吸引分娩も帝王切開も、大切なことです。
ママの中にある生み出す力を充分使って、生き物としての本能を引き出して、新しい命、家族を生み出してほしい、そう信じて、願っています。

なんだか、思いにふけっていると、どうしても、難しい表現になってしまいますね。
文章が下手で、うまく伝わっていないと思いますが・・

これが、10年間携わってきたお産への思いです。

この先、10年20年、健康で今までと変わりなく仕事ができるかどうか。それは、誰にもわかりません。
生きていくことは、社会の何かに役立つ仕事をすること、小さいころから言われていました。
亡くなった院長の父も、死ぬまで産婦人科医として働く!(病に伏せてからは仕方なく引退しましたが)と言っていました。
来られる患者さま、妊婦さま、そして、いっしょに頑張ってくれているスタッフがいてくれる間は頑張ろう、頑張れそう、と思います。
硬いブログになりましたが、普段は、院長もスタッフも、私も、難しいことを表に出さず、硬くなく、ふんわりふんわり、ニコニコ、時には、ダラーリと穏やかに過ごしています(笑)

eri.hosoda

 

お誕生日


今日は、院長のお誕生日。
本人望まずにて、年齢は公表いたしません(笑)が、そこそこの人生経験を経ている初老期、、、にしておきます。
今年もスタッフから、心のこもった本当にあったかい企画をしていただきました。
先週の土曜は、スタッフみんなで楽しい会食をしていただき、食事のデザートに院長特別バージョンのケーキの盛り合わせまで出していただきました。
そして、プレゼントもいただき感無量!
通勤に使うリュックをいただきました。ブラックのビジネスマンが持っていても似合うスタイリッシュなリュック(^_-)-☆自転車で通勤(と言っても1~2分)にピッタリ。
毎年ながら、最近欲しがっている物をうまくリサーチしてくれて、最高な贈り物です。袋から、リボンを外し中をウキウキしながら開ける院長は、まるで、サンタさんからプレゼントをもらって開ける少年!
そして、やったーと叫び、さっそく背負う院長の姿は、まるで、ピッカピカの1年生(笑)はたまた、薪を担ぐ二宮金次郎(笑)みんな大笑い。
その空気は、はしゃぐ院長とみんなの笑い、なんともいえない幸福感でした。

そして、今日、誕生日当日には、出勤しているスタッフ一同で、ハッピーバースデー♬の歌と手拍子で、院長の前へ行進。今日は、本当にサプライズで、診察室で、午前中の外来患者さまのカルテの見直しをしていた院長は、驚きの表情とともに満面の笑顔でした。今、その場でかぶりつきたくなるような(私が、かな?)おいしそうなケーキとみんなからのメッセージカード。
院長、毎年ですが、この、スタッフからのメッセージは宝物にしよう!!と思います。あとで、何度も何度も、メッセージとその周りに飾られた写真を穴が開くほど見させてもらうのが、心地よい楽しみです。

改めて、誕生日を迎えての抱負を語るなら、
さらに持てる力をすべて出し切ること。つまりは、目の前にいらっしゃる患者さまのための医業にいそしむことで、少しずつ、産婦人科、大きく言うと医療に貢献していきたいと思います。

本当にうれしいうれしい、今日。
そして、愛おしいスタッフ、ありがとう!!!

注*すべて、院長の代弁です!
eri.hosoda
リュック カード

子育て

人は、出産をしたその直後から、子育てが始まります。
親は子供を選べませんし、子供も親を選べません。それは仕方ないので、育てるというところからスタートです。子供は自分が思うようには、育っていきませんが、親の思いを子供に伝えていくことができます。いや、それが子育てのすべてかもしれません。親の思い、考え、やさしさ、厳しさ、それぞれの親の色を子供がそれらを受けてくれること、思い通りになってもらおうではなく、伝えるだけでいいのです。
しかし、ある意味、子育ての過程は、喜び、うれしいことですが、反面、恐ろしいことでもあり、すごく責任のあることです。思い通りの子供になんてなりやしない。でも、親のその思いをうけてくれるだけでいい、そんな子供になってほしい、それが、子育てだと思っています。親のコピーでもない。言いなりになることでもない。一人の人間を作り上げていく手助け?口添え?をするのが親、子育てです。

ある外来での光景。
超音波の画像を見ながら、
(私)「お兄ちゃんもこんな感じに、ちいちゃかったのにね。大きくなったね。」と声をかけると、
(ママ)「おなかにいる時は、こんな子になると思わなかったわ。首座るまでは、全然手がかからなかったけど、今ではね・・。もう1回ここに(おなか)戻して、やり直したいわ・・こんな子になると思わなかった、私が生んだとは思えへん(笑)」・・・と。
すごくショックな光景でした。
誰もが、やんちゃになった上のお子さん、思ったようにしてくれない幼児期の子育て、イライラすること、悲しくなること、できないことも多々。やり直せるならやり直したい、と思う、その表現もよくわかります。だから、ママの発言内容を否定はしません。それだけ、子育てが大変なんだな、と解釈、理解します。
この会話、ママ友だけしかいない時の会話なら構いません。私たちに話してくれるのも、全然、構いません。

私が嫌だったのは、ママのこの言葉を上のお兄ちゃんがそばにいる、聞こえるところで話すこと。
何気に、診察室のおもちゃで遊んでいるから、聞いていないか、と思うでしょうけど、ママの発する言葉は、耳に入ってくるのです。どんなにおもちゃに集中していても、会話は聞こえています。「終わったよ」とか、先生が「赤ちゃん、お兄ちゃんに似てるわ」とか、ママが上のお兄ちゃんの名前を発した時は、チラッと視線をこちらに向けます。
ということは
、真剣に遊んでいるようでも、しっかり聞こえているのです。
だから、同じ空間で、いらない子発言、失敗作発言(本心ではないのはわかっています)はやめてほしい。どんなわがままでいうこと聞いてくれない子であっても、その子を育てたのは、間違いなく親なのです。
よく、上の子を育てながら、第2子が生まれ、下の子に手がかかると、どうしても、一人目のお兄ちゃんお姉ちゃんにきつく当たってしまうこと、ありますよね。親として当然。ママだって怒りたいときだってあるし、体もしんどいし、どうしていいかわからないときだってあります。だから、まだオッパイ吸うだけの赤ちゃんに語るより、反応のある上の子にストレスぶつけることは、普通だと思います。ほとんどが、「言い過ぎたなあ・・・」とわかりつつの会話(笑)
ママの怒るその時の言葉を聞き、お兄ちゃんお姉ちゃんは、子供ながらそれぞれの立場を知り、少しずつ大人の世界を知るきっかけ。そのしつけには、愛情があるのだから、ママの発している言葉にたとえ感情が上乗せしていても、親子の会話です。のちのち、わかってくれます。

それと、子供の前で、他の人に「うちの子は失敗作」みたいな会話をすることは、別。
ママが、私が生んだ子には思えへん、と言ったときのお兄ちゃんの目。ここの病院の人もそう思ってるの?みたいに感じているようで、切なくなってしまいました。
本当は、ママもお兄ちゃんのこと好きだし、大人の言葉の綾だよ、と即言いたかったけど、言ったところで、小さい子にはわからないし。
何気にシールをもらって帰っていったお兄ちゃん。ママが病院の人に話している言葉は忘れてくれるでしょう。でも、この雰囲気、ママが発した言葉の雰囲気、それは、心のどこかに残ってしまうかもしれません。ママが「やり直したい子」みたいな話を他の人としている光景もすっかり忘れてくれることを願います。
eri.hosoda

災害

自然災害の恐ろしさ。先週の茨城県鬼怒川決壊の被災は、ニュース、ワイドショーと軒並み状況を伝えてくれています。
直後は、自衛隊、警察、消防の方々の命がけの救出の様子が映し出されていました。
人命救助の大変さ、必死さ、そして、災害の恐ろしさ、いろんなことが映像で入ってきます。
避難されている方の中には、家も流され帰るところもない方、家はあっても入ることすらできない状況の方、などでしょうが、生の声はどこまで届くのでしょうか?届いてもどこまで解決できるのか、不安で心身とも疲労でたまらない状況でしょう。
着の身着のまま逃げられた方、着替えがないことはもちろん、ナプキンやおむつなど、足りているのでしょうか?
コンタクトレンズの方は、替えのコンタクトレンズや消毒のケース、液はもちろん、メガネまでは、お持ちでないでしょうし、身動きとれないのではないでしょうか?
そういう、「とりあえず」「まず」困っていることをいつ、誰が、解決してくださるのでしょうか?
土手の復旧作業の様子も、ピッチを上げて進められています。
でも、今の日本、川の氾濫、津波、火山爆発だけの自然災害そのものだけでなく、自然災害から起こる被害、古い高速道路の修理、トンネルの補強、たくさん見直さなくてはいけないところがあります。
いつ起こるかわからないのが、災害。だからこそ、優先順位考えて、被害が最小に済むように、国、自治体に「早急に」頑張ってほしいものです。
その前に、進行形の災害現場に全力を注いでもらいたいものです。
話は、それるかもしれませんが、個人的に思うこと、今、京都では四条通りの歩道を拡張する工事を行っています。
かなりの渋滞を巻き起こしていますが、はたして、こんなに日本のあちこちで、災害が起こる中で、40億円以上もかけて、今、第一優先で行う工事なのかな?と、不安に思います。充分、工事前でも、四条通りは大きな不便はなかったはず。少なくとも、震災や今回の氾濫で道も電気も水道も寸断された地方の方々に比べたら、贅沢すぎる四条通りでした。しかも、出来上がった部分で、祇園祭のおみこしの奉納が道が狭くてできない(設計ミス)ことに、祭直前に気付き、新しくできた歩道を削って、やり直しをしたというお粗末な部分も・・。
せっかくある、四条通りの「地下」をもう少し、活用できないのか?と、個人的に、昔から思っていました。車いすの方、ベビーカーの子供連れの方、ご老人の方、その方々でも、地下道に降りられるようなエスカレーターやエレベーターをいくつかところどころに作り、少しガタガタの部分を補修して、利用しやすくすれば、40億円もかけずに(巷では55億円以上という噂も)もっと多くの方に利用してもらえるのではないかなあ・・と。
私は市長や議員でもないので、一人の一市民の単純な思い付きなんですけど・・。

今日も、テレビに映し出される、鬼怒川の土手の復旧工事の様子をみて、四条通りの歩道拡張してる場合じゃないんじゃない?と、思いを巡らせ、つくづく、私らのすむところは贅沢だなあ・・、ごめんなさい・・、と思っちゃいました。

クリニックと全く違う内容でしたが、これも、ごめんなさい・・。
eri.hosoda