年別アーカイブ: 2011年

祈り・・

この世の出来事とは思えない光景が、テレビで放送されています。
この時代に、この日本で、起こっている出来事。
地獄絵のようです。
街は、津波で全滅です。
瓦礫や家々で、火災が発生しています。
どのテレビのテロップも「死者・行方不明者1200人以上」「国内最大級地震」と出ています。
涙がでるくらいひどい光景です。
こんな、人間が地球を牛耳っている今の時代、どんなことでも太刀打ちできる機械、ハイテク、知恵、団結、パワーを持っている日本にもかかわらず、自然にはひとたまりもなく、押しつぶされてしまいます。あっという間にやられてしまいます。逃げることすら無理でした。

私たち京都にいる人間はテレビを見て、心の中でお見舞いを言うしかできません。なんと、無力なことでしょうか。
ふと思うに、いつもと変わらない時間を過ごしている私たちは、被害を受けられた方より、リアルに状況を把握しているに違いありません。
津波が発生しているそのときもそうでした。
現地の方々は、全体像を見ることができず、何が起こっているかわからず逃げ遅れた方、内陸にこれほどの津波がやってくると想像しなかった方、このテレビ放送を現地の方がリアルに目にしたら、1分でも早く逃げ急ぐことができたでしょう。
残念でなりません。
今は、火災で戦争のように燃えています。
街が湖のようになっています。骨組みだけのビルの上に、船が押しあがっています。元から、更地だったかのように、何もありません。
一人でも多く、救われますように・・、これ以上被害が広がりませんように・・。
祈ります。お見舞い申し上げます。
そして、消防の方、警察の方、復旧作業の方、自分の家、家族のことも心配でしょう。まだまだ二次災害も起こります。くれぐれも、自分の命を犠牲にされませんように・・。

私は、昨日のうちに、関東方面の親戚、知人、友人にメールをしました。もちろん、すぐには届いておらず、数時間後に、「今メール来ました、元気です・・」「大丈夫。家族みんな元気です。でも、自宅には帰れません。」などと返信がきました。心より、ホッとしました。
そして、私たちは、今朝、いつもと同じように朝食をとり、仕事に来て、みんなの笑顔を見ました。普通に外来も始めました。今、一人の赤ちゃんが生まれようとしています。
なんとありがたいことでしょう。しあわせなことでしょう。

これ以上被害が広がりませんように、命が救われますように、元の生活が1日でも早く戻ってきますように、強く強く祈ります。
eri.hosoda

サーバリックス

サーバリックス。
子宮頸がんワクチンの商品名です。
すでに、コマーシャルや雑誌で広く普及活動をされ、殆どの方が知っているワクチン。3回の接種が必要で、3回打ってこそ効果がでます。
日本は、かなり遅れていて、昨年から広がりました。世界の諸国では、何年も前から小学生のうちに公費で接種、というところが多いのが現実です。
子宮頸がんを撲滅しよう・・と、国が、助成してくれる・・というところまでは、OKだったのですが・・・。

その政策とは、中学1年生から高校1年生まで、公費にしよう、というものです。
つまり、その4学年の接種費用を、国(政府)が財布を開いてくれたわけで、1回1万5千円(病院によって値段は前後します)×3回分の補助をしてくれるわけです。親御さんにとっては、かなり助かる話であり、助成されるなら受けさせておこう、と思うのがほとんどの親でしょう。
ワクチンはたちまち、その4学年の人数分、極端な話し、全国の4学年全員受ける可能性があるとして、その人数分は最低でも必要となってくるわけです。もちろん、これだけ普及すれば、その前後の学年、また、娘さんといっしょに来られたお母さん、結婚前に受けよう、という若い世代の方も多くあります。

が・・・・・・・・・・。

先週から、全く仕入れができない状況です。
細田クリニックだけでなく全国的にです。
国内で一社しか提供できないのに、在庫を確認せずに
助成事業にゴーサインをだした国と製薬会社は
あまりにもお粗末としか感じません。
国のトップの菅首相。
こんなにたくさんの人が受けるとは思ってなかったのですか?
1回打ったら、2回目3回目は期日が決まっています。にもかかわらず、ワクチンが手に入りません、申し訳ありません、では済まされないでしょ?
在庫が確保できないなら、もっと範囲を狭めて、2011年は高校1年生、2012年は次の高校1年生・・などとしてもよかったのではないでしょうか?
在庫の確認、してましたか?
その前に、菅さん、サーバリックスって知ってますか?
厚労省にお任せ状態ではないですか?
昨年のインフルエンザのワクチンも在庫切れが続出しました。
全く同じことが、反省もなく、どうしてできるのでしょうか?
被害をこうむる患者さん、そして、産婦人科。
どう責任を取ってくれますか?

先週末から、細田クリニックの受付スタッフもてんてこ舞いです。
電話の問い合わせに答えたり、多くの予約患者さんをどうするか、しかも、1回接種の患者さんには入荷待ちをするにも、期日が限られているため、どうしたらいいか悩んだり。

国のいい加減さ、製薬会社の不行き届き、全く腹の立つ思いです。
当たり前ですが、患者さんのこと、国民のことを考えて、政治をして欲しいものです。
人気取りの適当な政策は、やめて欲しい。
私たち素人が考えてもお粗末な政策は、やめて欲しい。
心から思います。

とにかく、今、製薬会社との連絡待ち。
連絡すら、とれない状態なので、何の確信も取れず、腹立たしい状況待ちです。

eri.hosoda



バレンタイン

チョコ昨日は、バレンタイン。
若い頃は、毎年、チョコケーキを焼いていた私ですが、最近は、買ったチョコメインになってしまいました。
今年も、スーパーに売っているウイスキーボンボンを自ら選んでもらいました。

左の写真は、スタッフ一同から院長へ頂いた、チョコ。
話題の小山ロールのお店、eS KOYAMA。
すごくおしゃれなパッケージで、院長いわく、
チョコじゃないかも・・と思ったそうです。
箱イコール四角、ではなく、中は四角でも、外見は切り株のよう。本当に、素敵なチョコ。感謝です。
チョコに添えられていたプレゼントは、2つのタオル地のバンダナです。
写真は取れていませんが、女性の顔を洗うときに前やサイドの髪を上げる、そのバンダナです。
え???と、思われる方、あるでしょう。なぜゆえに、院長に・・。
スタッフは、よくわかってくれています。
帝王切開の手術は、生まれてくる赤ちゃんのために、部屋の温度を高くします。
そうすれば、汗が流れ出てくる院長。
その汗を吸収させるためのバンダナなのです。
いつも、手術のあと、どこかにまぎれて無くしてしまうのを見かねて、2つの新しいバンダナをプレゼントしてくれました。
帝王切開を受けられる方・・、術衣の帽子の下からちらりとバンダナが見えるはず。
さて、バレンタイン・・。
いつの頃からか、当たり前のような行事になっています。
私の小さい頃は、義理チョコや友チョコなんかなくて、本命一筋。しかも、いろんな種類はなく、ハート型のシンプルなものしかありませんでした。せいぜい、ホワイトチョコで文字を書くのが最大のおしゃれだったような気がします。
社会人になった頃には、義理チョコもドンドン大きくなり広がりました。
日頃お世話になっている方への簡単なお礼を兼ねたお印として盛んになったのでしょうか。
院長は、今年は、スタッフと私からの分、含めて6個。
家に帰って、子どもにうれしそうに自慢する父でした。
「研修医のときは、30個以上もらってた」と毎年バレンタイン恒例の名セリフもしっかり聞きました。
という、息子は・・。ゲットゼロ。
小学生の頃は、いくつか頂いて、お返しをしたのを最後に、今では、私からの親チョコのみになってしまっていました。
昨日、学校から帰ってくるなり「もらったか~?」と聞く私。
両手でバツをする息子をみて
「大丈夫か?」とマジに、心配した母でした。
すかさず「一生のうちに1回はもらえるって。僕も大人になるまでもらったことなかったし」とフォローする父。
そりゃ、一生のうち、1回くらいもらうでしょうが・・、大人になるまででも、本命にあげ続けた私にとっては、歯がゆい思いでいっぱいなのです。
その横で、ガサガサと父のもらったチョコを品定めする(自分が食べる分のチェック?)娘。
そのうち、男二人は知らん顔で、私と娘で、このチョコのお店知ってる・・とか、ここのケーキもおいしい・・と、スイーツ談義になったのでした。
eri.hosoda

悲しいこと

1月の末、偉大なM先生が亡くなられました。
京都第一日赤の新生児科の部長をされており、
京都府下の頂上、近畿管内関西地区の主要施設、そんなセンターの部長先生でした。現役でした。
院長と同級生で、友人です。
お見舞いに伺ったときも
「本当はな~、お金かかるし、大部屋でいいねんけど、病院がな~『先生、部長なんだからもちろん個室に入ってくださいね』と言われて、しゃーないし個室に入ってんねん」と笑いながら話しておられました。
そんな気さくな、やわらかい先生でした。
しかし、医師であっても病魔に勝てず・・・。
大切な存在を失い、産科・新生児科にとっては、痛手は大きいはずです。
細田クリニックにも、数年前、ヘルプに来ていただきました。
その後も、何人かの赤ちゃんを搬送して救っていただきました。
日本の周産期医療の質は世界一だそうです。それでも、救えない命はゼロではありません。それをいかにゼロにするか・・・。それは、産婦人科に従事する医師、助産師、看護師の課題でしょう。
しかし、どんな経過の中でも、時には何の予測もなく、未熟児や仮死の赤ちゃん、また、合併症を持って生まれてくる赤ちゃんはゼロにはなりません。
そうすれば、新生児科の先生にバトンを渡し、小児科として、医療を成していただく。そんな、繋がりで、命を救えたことも何度かあります。
M先生は、本当に新生児が、・・というより、医師の仕事が好きでした。
嫌がられる、年末年始の当直も自らやられていたそうです。
仕事を続けるには、体が資本・・と、自転車で何キロもの道のりを通勤しておられました。
天国に旅立たれる装束は、NICUの白衣と術衣。
天国でも、小児科医をされるのでしょうね?
きっと、この世で遣り残したこともあられるでしょうから、そちらの世界でも、バリバリと活躍されることでしょう。
そして、この世で生まれる赤ちゃんが、みんなみんな元気に生まれてきてくれるように見守ってくださっていると思います。もちろん、細田クリニックで生まれる赤ちゃんも・・。
天職、その言葉がぴったりだったM先生。
私たちは、まだまだその域には達していませんが、少しでも近づけるように、「今」をがんばって行きたいと思います。
合掌。
eri.hosoda

雪景色

最近、すごくいい天気です。
雲もほとんどなく、空気も乾燥して澄み切っています。
天気予報を見ていても、日本海側は雪だるま、京都府南部以南は、すべて、
太陽マークです。
日本海で育った私は、冬に太陽が注ぐこと、青空を見ることは、殆どありませんでした。いつも、空はグレーでした。それが、普通と思っていました。
大人になって、太平洋側で生活し始めたとき、冬に青空を見ること、冬がこんなにすっきりしているということに感動。
それ以来、日本海へ戻ることはありえない・・と思うようになってしまいました。
小・中学生の頃は、冬の3ヶ月は、長靴で登校。
高校は、雪のため、休校になることは、日常。
時には「今日の1限めは、門から下駄箱までの雪かきです」という日も・・。
家でのお手伝いは、苦痛そのものでした。今のように、お湯がいつでも出るわけではありません。瞬間湯沸かし器というものは、キッチンにしかなく、大きなものや雑巾を洗うのは、外で氷のような水・・が当たり前でした。手は麻酔がかかったように麻痺していました。しもやけは、あって当たり前でした。
屋根の雪が軒下に落ちて、1階の窓の真ん中以上まで雪で埋もれていました。

こんなところで生活していたから、少々の雪や寒さには驚かないつもりでしたが、さすがに、京都の生活の方が長くなった今は、雪がほんのり積もることだけで、うゎ・・最悪・・と思う自分に変化?していました。
人間は良いも悪いも環境に慣れるものです。

今年は、年末年始にかなり積もりました。
そして、16日の夜から17日の朝にかけても、真っ白に積もり、自転車すら危険で、歩いてクリニックに出勤。
でも、雪が降る中、うっすら日差しもあります。そして、亀岡方面から来る車の上には、10センチ以上の積雪を積んだまま、街に向かいます。
クリニックの前の歩道も、滅多に見れない景色だったので、携帯で撮ってみました。その1枚です。
yuki