今日の悲惨な事件をニュースで見た。
朝の集団登校の列に、クレーン車が突っ込んだ。
死者6人・・
小学生・・
何の前触れもなく、何も悪いことをしてないのに、普通に学校に向かっていたのに、一瞬にして命が消える・・。
誰にも予感があるわけなく、あと1分早く歩いていたら・・あと10歩後ろを歩いていたら、起こらなかったかもしれない。
誰かが、寝坊して、あと1分集合場所で待っていたら免れたのかもしれない。
地震などの自然災害でもなく、明らかに人が操っているクレーン車での人災。
怖くて、怖くて、ゾッとしてしまう。
自分の家族だったら・・と想像すると、気が狂いそう。
スタッフとその記事を読みながら、
「想像できない。私の家族なら立ち直れないよ・・」
と語り合った。
いつ、どこで、命が終わるのか、わからないけど、残された親御さん、いっしょに歩いていた他の小学生のことを考えると、いたたまれない。
苦しい思いになる。
つい先日は、子供の臓器提供がはじめて行われた。
命が消えると同時に、体の一部が生き続ける複雑な状況だ。
提供されたご家族は「わが子の心臓や腎臓がどこかで生きていると思ったら、
救われます」とコメントされたそうだ。
そして、その心臓や臓器で、消えそうな命が救われた人もいるのも現実だ。
命・・。
命の最後がわかっていたら、生き方も考え方も変わるだろうけど、
逆に、そっけない生き方になるかもしれない。
寿命があるけれど、その寿命をしっかり正しい道で生きていこう、と心に思う。
なぜか、寿命という漢字に「寿(ことぶき)」がある。
なぜ、寿(ことぶき)というめでたい漢字が使われているのか・・。
わかるような意味のないような・・。
さっき、2~3日振りに、新生児を抱いた。
最近、他の業務中心で、抱っこだけ、という時間がなかったように思う。
今まで数えられないほど、新生児を抱っこしてきたはずなのに、久しぶりに
「ちっちゃ~い」と思った。
なのに、命って重い・・。
感傷的になる理由もないけれど、なぜか、いろんな人の思い、感情、期待、いろんなことが含まれて重くなるのかな・・としみじみ思ってしまった。
生まれたすぐ、オギャーと泣いたその瞬間から、いやいや・・、お母さんのお腹でトクトク心拍の音を聞いたときから、重い重い命になるんだなって思いふけった。久しぶりに、その赤ちゃんをギューと抱いてみた。
eri.hosoda
月別アーカイブ: 2011年4月
聴診器
今日の外来終了後、院長が言う。
「聴診器、壊れてしもうた。もう、寿命かな・・」と、外れた部品をはめてみる行為をしている。
でも、修復不可能。修理に出すほどのことでもないし・・。
グレーで、どこの病院でも見かける一番シンプルな形。
いつも、ポケットに入れて、持ち歩いている。
聴診器は、産婦人科に絶対不可欠ではないけれど、なぜか
活躍している聴診器。
私が「いつ買った聴診器?」と聞くと、驚くような答えが返ってきた。
「30年以上使ってる・・。自分で買った。」
「30年!!!????!!!」
びっくりだ。
学生の頃に買った聴診器らしい。
「そろそろ、寿命やし、もう、捨てよ、・・ごくろうさん。」
と独り言をいいながら、クルクルと丸めた聴診器をゴミ箱へ。
誰より、長く、院長のそばにいた聴診器。
ずっと来られている婦人科の方の胸・・、
ターミナルを迎えようとしておられた方の胸・・、
外来の患者さんの胸、手術を受けられる方、受けられた後の方の胸・・、
家族の胸、地域の集団検診の方々の胸・・。
若い人からおばあさん、何万人の胸に当たってきた、この聴診器。
唯一、院長の胸には当たってないのでは?と思うけど。
数分後、ゴミ箱を除いたあるスタッフが
「何で聴診器、捨ててあるの?」と聞くため、事情説明。
すると
「そんなの捨てたらダメ!先生の思いが詰まってそうだし・・。悲しいやん。」
と、拾い上げてくれた。
それもそうだ。
家では、何でも捨ててしまうけど、これは置いておこうか・・。
私も、つくづく感じた。
自ら捨てた院長だけど、スタッフから
「先生、これ置いておいたら?」
と言われて、
「そうか・・。じゃあ、ここに置いておこうか・・。」
と、一度捨てられた聴診器は、再びロッカーのハンガーにぶらりと架けられた。
eri.hosoda