6月に突入。
今年の6月は本当に過ごしやすい。今のところ・・・。
去年、おととしの今頃は、すでにエアコンを入れる日もあったように思う。
まあ、こんなに過ごしやすい日も時間の問題だとは思うけれど、少しは、本来の日本の気候を思い出させてくれたかな、と思った。
ここ何年かは、日本の「四季」と言うより、「二季」という言葉のほうがぴったりで、暑いか寒いかどちらか。
最近の過ごしやすさの日々は、エアコンも入れず、窓を開けるだけで心地よい。
ほんの些細なことだけれども、みんながエアコンを入れていないから、排気する熱風もなく、気温も何度か違うのではないかな~と単純に環境にいいことをしている気がする。別に我慢してエアコンを入れてないわけではないし、体も無理しているわけではない。
昔はエアコンなんて、家庭になかった。
私たちの小さい頃は真夏でも扇風機だけ、が当たり前。
唯一あったエアコンのついてる部屋に寝苦しい夜だけ、家族全員集合して、寝ていた。
マイカーにも、エアコンが付いているところとついていないところと半々の時もあった。
アイスクリームは、夏の食べ物で、もちろん冬には売ってなかった。夏の暑い日にだけ買ってもらえた高価なものだった。かつ、今にように、冷凍室が大きくはなく、冷蔵庫の中の一角に製氷皿が1つか2つついている程度の冷凍場所。アイスクリームなんて到底入らない。だから、買い物から帰ってきてすぐに食べられる日曜日だけだったような・・・。
こうして、季節を感じていたような気もする。
夏は暑いから、プールや水遊びでしのぐ。
大人は涼しい朝晩に用事を済ませる。
そんな光景は少なくなってきたし、逆に、炎天下で遊べば日射病になるし、日焼けは肌に悪いから紫外線防御必至。
小学生のプールも、光化学スモック注意報が出てるからナシとか・・。
この、過ごしやすい期間を大切にすれば、また、日本の気候も昔のような過ごしやすくなるのかな?と勝手に一人で思っている。
今しか、また、これくらいしか、環境にいいことができない自分も情けないけど、そんなこと言ってられない40度近い真夏には、クーラーのありがたさが身に沁み、思わず、部屋に入ればまずエアコンのリモコンを握る自分がいることも間違いない。そして、そうしなければ、体がもたない人間の弱さも痛感。厚さで、命を落とす人もある。
昔の環境に戻れる、というか、戻す自信はないけれど、今より悪くならないように考えて、そして、実行しなければいけない。
私たちの年代は、昔を振り返り、今との違いを強く感じるけれども、今、生まれた子供たちが大人になったとき、「平成20年代は住みやすい環境だったな」なんていうようなくらい環境が悪くなり、生活に苦痛を感じないように、せめて今の環境を維持できるように、大人が努力してあげないといけない。
どうか、過ごしやすい日々が長く続きますように。
eri.hosoda
年別アーカイブ: 2009年
三角からライオン
「三角から、ライオンになってるよ」
ある患者さんの小さな女の子の言葉。
心臓がドキンとするくらい、感動した言葉だった。
何のことかわからない人が大多数でしょう。
クリニックの壁にかかる1枚の絵。
オープン以来、そこにはずっと書画がかかっていた。筆で幾何学の絵のように三角が描いてあった絵。
私も含め、スタッフは、空気のような空間になっていて、そこにどんな絵がかかっているか、一生懸命思い出して、書画!とわかっても、三角だったのか、丸であったのか、なんとなく筆で書かれた絵、くらいしか思い出せない。
書画は、クリニックのダークトーンには、しっくり馴染んでいたのであるが、今回、全く書画と趣の違う、また、クリニックの雰囲気にそこだけひそかに浮きそうな、そんな絵に変えてみた。
が、こちらが言うまで、誰も気付かない。
気付いても、それまでにそこに、どんな絵が飾ってあったか、思い出せない。
大人の記憶はそんなものだ。
(余談だが、街の中で、更地になった土地を見て、そこに以前どんな建物があったのか全く思い出せないこと、よくあるのでは・・?)
そんな感覚だ。
しかも、外来の中での毎日は、何の変化もない。
院長が、20歳若返ったら、目立つ?
スタッフみんなディズニー系の衣装をして診察したら目立つ?
ありえない例えだけど、それくらい変化がないと、だれも気付かないと思う。
たった1枚の絵の変化に、小さな女の子は、あれ?って、純粋に感じたのではないかな。
診察室でお母さんに、
・・・・・・・・・「三角から、ライオンになってるよ」とつぶやいた。
子どもの視線、気付き、感性、三角からライオンという表現・・。こんな小さなことに感性豊かに、素直に気付き、お母さんに報告。きっと、上手に育てられているのだな、と思った。
その豊かな視野をすごく感激・感動し、大切にしてほしい、と思った。
大人になれば、気付きが減ってしまう。感動も半分になる。
その女の子にとって、三角の渋い書画から、キラキラするライオンになったことは、心に何か感じたのであろう。
絵を変えたしばらくは、
「やはり、あの場に不釣合いだったかな?」
と思っていた(院長が気に入って買った絵ですが)が、一人の女の子の発言で、救われた。
外来診察に来られた方、まだ、気付かれていない方、子どもの観点にもどって、クリニックの中を見渡して下さい。
そして、以前飾ってあった、三角の書画を、スタッフのよく通ることろに移動させたわけだが、まだ、気付いていないスタッフもいることも事実。
子どもの感性のまま、大人になることは難しそうだ。
eri.hosoda
新型インフルエンザ
4月後半より、ニュースでは見たり、聞いたりしていたが、実感がなく今日に至っていた。
ここ2~3日のニュースでは、どの局も、道行く人々のマスク姿や修学旅行の中止の話題が報道されている。
新幹線のホームまで行って、その場で校長先生から「今回の修学旅行は中止になりました」と言われた学校の生徒さんたち。泣いていた。しかも、受け入れ先の旅館や観光地から「関西方面の方が来られることは困ります」と言う理由で。悲しいだろうな。理由はわかっていても、一生でその修学旅行はたった1回なのに。
また、会社や学校が休みになっているところもある。
ある、サラリーマンが「今日出社したら、会社に発熱者が出たということで、休みになりました。自宅に帰ろうと思っていたんですが、妻が妊娠中で、しかも、上の子どももいるから、菌を持ってくるから帰ってこないで。と言われて、今、途方にくれています」と話していた。それで、本当に拡大が防げるのだろうか。
大阪、兵庫の話とはいえ、となりの京都でも、受ける影響は大きい。
全国からは、関西方面で広がっている、として捉えているため、関西以外の親戚や友人から
「大丈夫?」と連絡が来る。
まだ、京都では、そんなに大きな変化はないように思う。
今日、銀行に行ったが、行員は誰もマスクをしていない。ATMに並ぶ10人ほども誰もマスクの人はいなかった。
逆に郵便局は、職員全員マスク着用。お客さんは20人ほどの中で1人だけマスク着用。
クリニックの近くの大学に通う学生さん何十人、いや、100人は越えてそうな集団とすれ違ったが、マスク着用者は、10分の1ほど。
やはり、大阪や兵庫のように、マスクをしていない人を探す方が難しい状況よりは、京都はまだまだ、ゆるい。
しかし、知らん顔もできない。
クリニックでも、玄関に手指消毒液を置き、外からの来院者の方に徹底して手指消毒を行ってもらっている。
もちろん発熱者には、受付に1番に声をかけてもらう呼びかけてもいる。
マスクをする理由は、飛沫感染を恐れるからであるが、くしゃみや咳をしても、1~2mしか、ウイルスは飛ばない。人と人がどうして感染するかは、ウイルスを持っている人の触ったものや唾液が飛んだものに他の人の手を介してうつることが多い。
だから、うがいだけでなく、しっかり、手洗いをすること、外出後、人と接したあと、うがい手洗いを習慣付けたいものだ。
それは、今回のインフルエンザだけでなく、日常でも・・。
そして、草なぎ君逮捕のときも同じであったが、報道だけで振り回されないでほしい。こういう事態に慣れていないのもあるが、行き過ぎな報道も感じる。
関西人をバイキン扱いのように扱っている、ある九州の市長さんのインタビューも目にした。関西に修学旅行でいった高校生は、何の症状もなくても出席停止と言い渡したそうだ。「それは当たり前でしょ。市民を守るためです。本当は帰ってこないで、そちら(関西)で待機していてほしかった」と堂々とマイクに向かって言い切っておられた。市民を守る正義の人と思って発言されているのであろうが、そのマイクを向けている記者たちは全国を飛び回っている人であり、関西の人もいるであろうに・・。
こんなパンデミックを想定したような、発言や報道はどうなもんだ・・と疑問に思うところも多いが、最低限できる防御はし、一人ひとり自分の身を守る意識を持ちながら生活すれば、どこかで歯止めがかかり、火の勢いが衰えてくることだろう。それを願っている。
eri.hosoda
こどもの日
5月5日、こどもの日。
男の子の節句。
少し前に生まれた男の子のおじいちゃんが、
今度の5月5日は初節句になるのかな~と話しておられた。
さて、生まれて数日でも初節句なのか、来年なのか、わからないけど、
おめでたい子どもの日として、お祝いされていることだろう。
何年か前に、我が家で子どもに聞かれた。
「何歳までこどもの日なん?」と。
その頃のこどもが聞きたかった意味は重々わかっている。
こどもの日には、「みんなでどこかに出かけようか」とか、「今日は食べたいもの何でもいいよ」と子ども中心に回る日。いつまででも続けばいいなあ、と思っていたのであろう。
しかし、親の忙しさもあるけれども、子どもの親離れからか、いつの年からか「今年の子どもの日はどうするの?」とは、言わなくなった。いくつになっても、子どもは子どもではあるが、親とどこかに行く、という行動を嫌がる(←までいかなくとも、親との行動を喜ばなくなってきたのだろう)そんな年齢になってきたのだ。
ある意味うれしいこと、親としては子どもの成長として受け取れることだ。
いつまでも親と一緒、も、心配にものなるし、親の姿より大人になった子どもの口から「今年の子どもの日はどうするの?」と言われる光景を想像すると、若干引いてしまいそうにもなる。
昨日買い物中、スーパーで菖蒲の葉が売られているのを見て
主人が「今年はこれ買わないの?」と眺めていた。
子どもが小さいときは、子どもの日だけでなく、いろんな日本の昔からの言い伝えを教えるために、できる範囲で日本行事を行っていた。
菖蒲湯に入って、強い男の子になってくれ、ということだよ、説明しながら、1番風呂の菖蒲湯に入らせたり。
しかし、さすがに、もう、いらないだろう。
主人よりたくさん食べるし、骨格も主人を超えたし・・・。
でも、子どもが大人になって、子どもができたとき、スーパーに売られている菖蒲の葉を見て、自分の子供のころの親心を感じてくれたらな、と思う。
(注*まだまだ、おじいちゃんおばあちゃんにはなりませんけれど・・・)
eri.hosoda
事件
今、ニュースや新聞では2つの大きな事件が目に付く。
1つは、草なぎ剛が逮捕、そして、釈放されたこと。
こんなに大きな報道をされ、しかも、家宅捜査まで受けて、気の毒といえば気の毒だ。
普通の酔っ払いなら、保護で済み、翌日、帰されるはずであろうが、かなり酔っていたことや、芸能人ということで、覚せい剤などを疑われたのであろう。
逮捕され、ニュース速報にも流れ、各コマーシャルも打ち切りになり、社会的損失を招く結果となったわけだ。
芸能人が逮捕されたことが、トップニュースになることは滅多にない。あっても、覚せい剤関係。草なぎ君の事件は、みんなが、少々和んだかもしれない。顔合わせる人との話題になったし、患者さんとも話しのねたになった。(草なぎ君ごめんなさい)
草なぎ剛が逮捕されるなら、あの、酔っ払い国会議員は即刻処罰されてもよかったのでは?と思う。風邪薬で呂律が回らなかった・・とか、気分が悪かった・・と言い訳をしていた。あれは、誰が見ても、酔っ払いだった。世界中のニュースで流されて、あれは、草なぎ君の全裸とは、全く意味が違うのでは?と思う。あの人こそ、どこかの大臣の発言を借りて、最低の人間だ!と言ってもよかろう。
そして、もう一つ。
毎日、新しい命を見ているし、親子の繋がりも目の当たりにする。
こんな光景を普段見ている中で、大阪の女児殺人遺体遺棄事件は悲しすぎる。
ありえない。内縁の夫がやったのか、母親本人がやったのか、明らかでないが、どちらにしても、想像を絶する事件だ。尋常ではない。
なんでわが子を殺せるのか。
この事件だけではない。ここ何年間で、わが子を川に突き落として殺しておきながら、わが子がいない、と探しまわっていた事件。公園で遊んでいたら、子どもの姿が見えなくなった、と捜索願を出していたが、結局公園のトイレでわが子を殺していた、という事件。
ありえない。
どういう心境でそんなことができるのか。
何の罪もない、かわいい子どもにどうして、殺傷できるのか。
昨日、古館さんのニュースでこんなことを言っていた。
「これからは、わが子に対する接し方も法律でしっかり保護しなくてはなりませんね。」と。
なんと情けない国になったのであろうか。
毎日生まれてくるベビーを見ていて、お母さんお父さんを見ていて、本当に、そんな事件が起こるのか、と不思議なくらいなのに・・。
わが子への接し方もわからなくなった時代。自分の子どもこそ、自由に自然に接していいはずだが、それが、とんでもない方向になるなら、法律に頼るしかないのか。
どんな殺人母であっても、生まれたときは、かわいくて、いとおしくて、絶対、何があっても離さないと思ったはず。その心を惑わすものは、何なのであろうか。
本当にわからない。私には考えられない。
わが子を見捨てる、わが子を殺す・・・
そんな事件、無くなってほしい。
草なぎ君の裸事件のほうが、何倍も何倍も、マシ。
eri.hosoda