殺人事件の記事。
新聞に載っていない日がないくらい。
先日は、小学1年生の子供を母親が殺す、という、ありえない事件で、震えてしまった。
私は、「本当であってほしくない」という思いとともに、事件直後から、母親を疑った。
99%母親が犯人では?と直感していた。
もちろん、物理的にも母親だろう、と思われるところもあった。
携帯やこどもさんの衣類からの指紋が、家族以外の人のものがなかったこと。
そしたら、家族?と思ってしまう。
私が、「??」と思ったのは、こどもが抵抗した跡がなかったこと。小学1年生にもなっていたら、不審な人が首にひもをかけたなら、わずかでも抵抗するであろう。また、母親がトイレに行った一瞬にいなくなったこと。
親子で、遊びに行くのに、GPSを持たせたこと。
などから、一番あたってほしくない私の犯人像が当たってしまった。
亡くなった僕。なんて言っただろうか。
「お母さんやめて!」と言っただろうか。
いや、後ろからひもを使ったなら、お母さんとは知らずに「誰?やめて」とだけ、言っただろうか。むしろ、近くにいるだろうお母さんに「お母さん~助けて」と言ったかもしれない。考えたら泣きそうになる。
どうか、天国で、犯人を知らずに過ごしてほしい、と思った。
悲しくて、怖くて、身震いするほど恐ろしい事件。
母親は、心の中の1%でも、罪の意識はあるだろうか。
父親は、息子だけでなく、そんな残酷な母親に追い込んでしまったことに、後悔しているだろうか。
絶対に、父親に向けて、母親からのサインがあったはず。
救える手段は絶対あったはず。
コミュニケ―ションは、あったのだろうか。言葉の端々、顔の表情、笑顔の数・・、夫婦ならサインを見抜けるはずだ。
普通のコミュニケーションのある夫婦、家族なら難しいはずがない。
この事件だけでなく、家族の中で、殺す、殺される、がありうるこの世の中。
「もう、やめて~」と叫びたい。
話はそれるかもしれないが、夕べの子供との会話。
「今日の運動会どうやった?」
(リレーのアンカーをやり遂げたとなれば、親として興味津津)
「一人抜かしたけど、あかんかった。」
(こちらが聞けば答えるが、小さい頃のように、それでな~~、それからな~~、と湧き出るようには話さない。やはり男の子。日頃、マザコンにはなるなよ~と思うから、安心もするが)
ひとしきり、発言率、7(私):3(子ども)の会話をし終えた。
めんどくさそうであったが、全部答えてくれた(笑)
そして、最後に子供から一言。
「なあ、白髪すごいな。前に1本すごい目立ってるねん。その立ってる白髪、さっきから気になるし、抜いたら?」
「ほっといて~な。知ってるって。自分で抜くし!!」
こんな、締めの会話。仕事で、会話する時間が限られていて、ほとんど団らんと呼べる時間はないけど、
うちの家族への不安は全くないことを改めて思った。
eri.hosoda
月別アーカイブ: 2008年9月
子供と成長
9月に入ってもう、10日が過ぎた。
いろんなことがありすぎて、本当に慌しい毎日だった。
夜中のふっとした時間に、ふっとブログを書きたくなるのだが、たくさんありすぎて、書けなかった。
それに、年をとったせいか、ちょっとの時間の隙間でも、次のお産のために横になっておこう、寝ておこう、と思ってしまう。一晩、貫徹でも、全く平気だった若かった頃に比べ、今じゃ、ちょっと休憩・・が必要になってきた。
そんな中、たくさんの赤ちゃんが誕生。みんな元気で生まれてきてくれて、忙しい時間もあっという間に過ぎてしまう。
そして、退院の時には、本当に、よかった~と思う。
10ヶ月無事にお腹の中で成長してくれたこと。
お母さん、お父さん、時には、お兄ちゃん、お姉ちゃんが見守ってくれている中で、大きな産声をあげながら生まれてきてくれたこと。
そして、かわいい服を着て、お母さんに抱かれて、ニコニコ笑顔で退院されていく姿。
本当に素敵な瞬間である。この職業でよかったと思う瞬間でもある。
そして、何ヶ月、何年か経って、小さな小さな赤ちゃんが、ドンドン成長していく。
最近、昔からの私の友人、何人かが、子供を連れて家に来てくれた。
1年4ヶ月前に、細田クリニックで、私の手の元に生まれてきてくれた。(母じゃないけど、まさに私の手の中に・・)
まだまだ、1才4ヶ月、と思いきや・・・
食べる食べる・・・。動く動く・・・。走る走る・・・。しゃべるしゃべる・・・。
そして、もっと感動したのは、家のキッチンにあるものや、洗濯場にある掃除の道具を、滅多に会うことのない私に、しかも、この家が私の家と記憶もないはずなのに、多くの大人の中から私に向かって、せっせ、せっせと運んでくれる。
お母さんでもなく、他のお母さんでもなく、私に・・。何で、この家の人間とわかるのだろうか。偶然かも、と思ったが、他の人を乗り越えて、私の手元に運んできてくれた一生懸命な姿に感動した。
それから、2年半前に、クリニックがオープンして間もない頃、入院してあっという間に、私の手の元に生まれてきてくれた。
今じゃ、私のことを、えりちゃん、えりちゃんと、友達感覚。この前まで、赤ちゃんと思っていたが・・。小さい頃から、お母さんの用事で、私の家に一人で預けられても平気だったが、さらに、私に近づいて話してくれている。2才なのに、はっきり会話成立!私の大切な友達の一人になっていた。
それから、以前働いていた病院で、9年前、ちょっと小さめだが、元気に私の手の元に生まれてきてくれた。
もう、小学3年生!ちびっ子の中で、だれより、「えりちゃ~ん、あんな~」と大人の会話。しっかりお姉さん。
普通に女同士の会話。ドンドン成長して、もっともっと近づいてきてくれる気がした。
同じく6年前、緊急な場面で、慌しい帝王切開のなか、元気に私の手の元に生まれてきてくれた。涙が出るほどホッとしたあの日からもう6年。今では、私の家に来ることを楽しみにして来てくれている。帰りに耳元で、「また来るね」と言って・・・。
母親同士は、みんな仲良し。そして、子供たちが、生まれたその瞬間から知っていて、成長していってくれる姿を目の当たりに見せてくれる。
この仕事をしていて、本当に恵まれていることを実感した。
友人に、お産をお願いされ、無事に生まれ、成長していくうれしさが身にしみる。
家族じゃないけど、家族のようにうれしい。
さて、何が言いたかったのか・・・は、
今週、先週、先月、去年、と、元気に生まれて来てくれて、そして、退院されていく御家族の姿の何年か先には、みんな、こんな成長が待っているんだな~と、友人のお産を思い起こし、そして、子供たちの成長に気付き、感慨深く思ったわけだ。
お産は命がけ。必死にその手助けをする仕事。だからこそ、家族と同じ思い、自分の子供の成長のように、うれしいのだろう。
eri.hosoda