月別アーカイブ: 2006年4月

桜の次に・・・

クリニックの南東の角を見られた方ありますか?
私も最近気づいた。
出勤は、いつも、建物の北西から入り、帰宅も南西からするパターン。
南東の角を目にすることはほとんどない。
そこには、それはそれは見事な「しゃくなげ」の花が咲いている。
つい最近まで、濃いみどりの葉だけが、腰より低い位置に生い茂っているイメージで、そこに立っても、天神川の桜を眺めることが普通だった。
それがだ。1週間ほど前から、見事なしゃくなげが満開に咲いていた。
数日前、受付のスタッフが、びっくりしたそうだ。
年配の男の方が、急にクリニックの中に入って来られ、『すいません、ちょっと聞いていいかな。前に咲いてる花はなんですか?』と聞かれたそうだ。
『シャクナゲです』と答えると、うれしそうに納得して帰っていかれたそうだ。
そういえば、他にも、5、60代のご夫婦が散歩の雰囲気で歩いておられたのに、急にクリニックの方を見て、カメラを出してシャクナゲを撮っておられるのを見た、という話しも思い出した。
私も建物の外に出て「シャクナゲ」を見た。
シャクナゲって、こんなに大きかったんだ。こんなにダイナミックって感じるんだ。
はっきり言って、初めてシャクナゲを眺めたのかもしれない。
そんな、感動にひたる私の横に、信号待ちの自転車が止まり、後ろに乗ってる幼稚園帰りの女の子がこう言った。
「ここの桜、大きいよ。○○ちゃんでも届きそう~」
そういいながら、手を伸ばして話していた。
毎日天神川を通ると、あんな小さな幼稚園児でも、このシャクナゲに目がいったんだな、と思った。本人は花イコール桜、と思っているのであろうが(笑)・・・・。
ささやかだけど、目から感動をもらえて、さらに、全くクリニックに関係のない人にも感動してもらえるなんて、すごいことだ。
シャープな建物とは正反対の華やかなシャクナゲ。
ミスマッチがすごくマッチする、なんとも不思議な光景だ。
                              eri.hosoda








年の差

数日前、スタッフの一人が誕生日を迎えた。
「ね~いくつになったの?」
何気なく、軽く聞いてみた。
「23です~」
すんなり、何のためらいもなく、満面の笑顔で答えてくれた。
23才か・・・・・・・・・。はあ~、懐かしい年頃だ。
いっしょにいた、もう一人のスタッフは
「若いですよね。だって、彼女は、阪神大震災のとき、まだ小学生だったんですよ。私なんて、もう、高校生でしたよ。」
と言った。
さらに、ショックであった。私は、もう、バリバリ社会人だった。
こんなに、年の差があるのに、いっしょに働いている。
彼女たちは、なんと思っているかはわからないが、私はこんな若い人たちと働けることがすごくうれしい。というか、あまり、年を意識していない。
年令が違うと、考え方が違うし、物の見方も違ってくる。
でも、無理して合わせようとしてはいないし、自然に会話している。
若い人たちに教えてもらうこともたくさんある。
それに、若いっていいなあ、と感じることも多々ある。
第一に体力。今じゃ徹夜すれば、顔や肌に出るし、機嫌も悪くなる。立ってることすらできなくなる。
20台前半のときは、徹夜で次の日も仕事に、夜も予定が・・・という日もあった。
眠くても、それができた時代だった。
若い時代を大切にいろんな経験をしてほしい。
仕事も、いろんな遊びも、たくさんの恋愛も、いろいろな旅行も・・・・・。
何年かして、23才の彼女も、私の年令になったとき、
「私の誕生日にこんな話をしたなあ、やっぱり、あの頃は、若かったな。」
と思い出してくれるだろう。そして、今日、生まれたばかりの赤ちゃんが大人になった姿を前に、彼女は、同じように、話をするのだろう。
ん??・・・?
今日、生まれた赤ちゃんが今の私の年になったときは、私はもう、おばあさんどころか、この世にいない人だろう。
そのとき、クリニックはどういう形になっているだろうか。
まったく、未知の世界だけど、いい形で残っているよう期待するために、今いっしょにいる若い世代の仲間を大切にしよう。
そのためにも、いい、おばちゃん(すでに、おばちゃん?)、いい、おばあちゃんになる努力をしよう。           eri.hosoda

二人四脚

今日は日曜日。
朝から、晴天で自転車でどこかに行きたい気分になる日だった。
日曜日の朝も、主人は院長である。入院患者様がおられたら朝にクリニックへ顔を出す。
私は、仕事でなかったら、日曜の朝だけはゆっくり布団で過ごす。子供たちも公認で、朝から用事があっても、日曜日の朝だけは私を起こすことなく寝かせてくれる。
いつも主人がお昼前に帰って来るから、今日も帰ってくる前に掃除や家事をやっておこうとがんばっていた。最近、掃除も適当だったし、布団も干してないし・・・。
昼からは、大きいものをまとめ買いをするため主人と出かけようと家のドアを1歩出たところにクリニックからの呼び出しコール。
二人でクリニックへ。
そして、緊急の帝王切開で、元気な赤ちゃんの誕生。
その後、2つの緊急処置。
気づけば、日も暮れて、時計は8時になっていた。
夕飯を済ませて、また、主人はクリニックへ。
私は、明日のお弁当の用意、洗濯物の片付け、昼間に散らかったリビングの掃除、そこまで主婦。そして、スタッフのみんなのお給料や諸手続きの事務作業、そこからは家でできるクリニックの仕事。
本当に慌ただしい。今、気づいた。今日は化粧もしてなかったって。
でも、どんなに忙しくても、「嫌だな」と思わない。
もちろん、人間の体だから、疲れてきたら、「あ~疲れた・・」とは口にはする。
疲れたと、嫌だ、とは違う。
忙しいのは、わかっていて開業したことだし、開業したからには、元気な赤ちゃんが生まれてくれることが一番の願いだ。24時間365日産婦人科だ。
他の処置も、無事に終わって欲しい。
今日、主人にポロッと聞いてみた。
「私が助産師じゃなかったら、こんなに忙しくても今日は私は家にいたやろね。」
と。そしたら、
「普通の主婦やったら、新規開業してなかったやろな。」
と、言った。
そうか・・・・。開業することは夫婦二人三脚であることは、どこの開業医さんもいっしょであろうが、うちは、産婦人科医と助産師、男の見方と女の見方ができる。つまり、二人四脚でフル活動できるんだと思った。
二人で片足ずつ結んでいたら、3本足。手だけつないで、4本足でがんばったら、足をくくって走るより、早く走れる。幅広く走れる。
二人三脚だったら、一人こけたら、二人ともこける。手だけつないで、4本足でがんばったら、一人こけてももう一人が起こしてあげることができる。(うちは、私ばかりがずっこけて、もっぱら主人が起こし役だが)
二人四脚、その方が、長くがんばれるし、楽しいと思う。
それが、細田クリニックの院長と私だ。
                            eri.hosoda





手術ができるのに・・・

今まで20数年産婦人科医をやってきた院長は、たくさんの手術、大きな手術をこなしてきた。大きなガンの手術や1分1秒を争う緊急の帝王切開・・・・・。
難なくやっているように見えるが、手術の前日の夜には、どんな小さな手術や簡単な手術でも、必ず自分の中で学習している。
それは、すごいな、と思う。
決して、緊張感を怠らず、という姿勢は尊敬する。
しかし・・・・だ。
私が不思議に思うことは、
あんなに大きな手術や難しい手術ができるのに、なぜ、料理がパッとできないのか??
手術より、うんと楽だし、責任感もいらないし、使う材料も、しょうゆ・砂糖・塩くらいで何でもできる。
ちょっと、辛すぎたかな、と思ったら、薄めたらいいし、まだ、硬いな、と思ったら、もう少し火を通せばいいだけだ。
最悪、「ごめん、今日のは辛すぎた。許して」で済む。
失敗が許されない手術ができて、なぜ料理にあんなにパワーがいるのか?と思う。
決して料理をやってくれない訳ではない。我が家では、休日などの夕飯前には狭いキッチンに自然に全員集まってしまい一番人口密度が高くなる場所。話しに夢中になり、ぶつかりながら集まっている。
で、もちろん主人もたくさん料理を手伝ってくれる。キッチンで私とあーだ、こーだ、ということは嫌いじゃないようで、レパートリーも増えた。
でも、作っている最中は私に質問攻め。聞きまくり。
そして、私があきれてしまって手を出す、こういうパターンが多い。
この野菜が余ってるからこれも使ってしまおう、とか、この料理は何をどれくらいで味付けをしているのか・・・なんて、考える頭は手術をする頭とは別なのであろう。
でも、もしかして、これ以上上手くなってしまったら、私の立場がなくなってしまうからこの辺でいいのかも・・・・。
最後に、院長という面目上フォローするわけではないが、細かいキャベツのみじん切りや、ちょっと辛めの(スパイシー?)チャーハン、ハンバーグの形成、餃子の包み込みは、抜群に旨い。

                              eri.hosoda



泣くこと

「泣く」という言葉を聞くと、普通に何が悲しいの?と思う。
赤ちゃんも泣くという行動だけが自分の意思表示であるが、
オムツがぬれているのかな?とか、おなかすいているのかな?と欲求を満たすための表現でとらえることが多い。
今日、朝生まれた赤ちゃんも、生まれてからずっと泣いていた。
私たち産科にとっては普通のことであって、泣く赤ちゃんは元気な証拠としている。
それを見守るお父さんやお母さんは、「何で泣くの?」と表現することが多いのに、今日の赤ちゃんのお父さんは、「うれしいからだな~。よかったよかった」と赤ちゃんに語りかけておられた。きっと、お父さんは生まれてきた喜びで覚えておられないと思うが、そばで聞いてた私は、感動した。
うれしくて泣く、という表現は、私は、何歳になったときであろうか。

親に怒られて泣いたこと。
ケガをして痛くて泣いたこと。
小学生の頃はその程度。そして、中学生・高校生になってからは、
試合で負けたとき悔しくて泣いたこと。
受験に合格してうれしくて泣いたこと。
振り返ると、このあたりから、喜びや感動で泣くことがあったのであろうか。
社会人になってからは、先輩に注意されて落ち込んで泣いたこと。
友達の結婚式に出席して、心からうれしくて泣いたこと。
初めて見る景色で感動して泣いたこと。
そして、今は・・・。
感動して泣くこと。うれしくて泣くこと。言い合いをして泣くこと。悲しくて泣くこと。
喜怒哀楽だ。
生まれたときに泣くことと、今の私の泣くは、同じ「泣く」という文字であるけど
中身が全然違うんだな、と、今日のお父さんの「うれしいからなくんだな。」という一言で感じた。
さて、一番近い泣いたこと、は・・・・夕べ。子育てのことで主人と言い合って、悔しくて泣いたことかな~。感動して泣いたこと、は・・・・3月に子供が結婚記念日だし、と主人と私にペアの携帯ストラップを買ってきてくれたこと(修学旅行のおみやげなんですが)かな~。
数日前にテレビで、泣くことは理由が何であれ、ストレスが発散される1番の方法だと話していた。だから、私は充分ストレスが発散されているのだろう。
                               eri.hosoda