今、テレビをつけると、日大アメフト部のの悪質タックルの問題ばかり。
昨日は、ニュース速報が流れたほどのできごと。
日本大学監督、コーチの記者会見。(今は、元監督、コーチ)
20歳の日大生の会見。
被害側の関西学院大学の会見。
そして、それぞれのワイドショーやニュースの番組に出てくる、コメンテーターの意見。
どれも私たちには、真実かどうか、わかりません。情報として入ってくるだけ。
それぞれの情報や意見を聞き、自分の考えを、スタッフや家族としゃべるだけ。
それでも、今までにない、事件だったので、衝撃的でした。
アメフトのことは、全くわかりませんが、
監督が王様で、そこには、逆らえない。
でも、強くなるには、それが普通。
昔からある、形ですよね。
私も、学生のころ、部活では、そうでした。
それでも、いい成績が納められたら、その努力、苦労は、自分のためだったんだ、と思いました。
努力、苦労は、学生、子供のころは、必要です。
でも、それが、何のための努力か、何のための練習か、時には涙か、その意味、そこが消えてしまっていたら、
すべて、目的を達成するためだけの、洗脳でしかありません。
監督という立場だけでなく、家族でも、職場でも、地域でも、学校でも、
自分の倫理観と違うことは、多かれ少なかれあるはず。
厳しさも、必要です。
でも、違法行為を指示すること、人としての外れた道を示すこと、勝ちたくても、試合に出たくても、やってしまうことは、絶対いけません。
だから、何のために(勝つためだけでないこと)・・ということ、を当たり前に教えることは、前提です。
もし、うちの子が、違法行為を監督、コーチに指示されたら、
指示までされなくとも、そこまで追い込まれたら、
いったいどうしているでしょうか。
私なら、どうしたでしょうか。
その集団にいたら、究極の選択です。
違法行為しなければ、試合に出してもらえない、
試合に出してもらえなければ、アメフトで入学しているのだから、すべてなくなりそう、
そうしたら、就職もこれからの大学生活も、大げさに人生も、影響するし、先はない、、、、
そう思い込むこともあるはず。
日本のトップクラスを狙う、競う人は、誰もが思うことでしょう。
(つくづく、凡人でよかったと思いますけど)
やってしまった選手は、記者会見で話してました。
「追い詰められていたので、やらないという選択肢はなかった。」
「でも、少し考えれば自分がやったことが間違っていると前もって判断できたと思う。そうやって意識をもつころが大事だと思った。」
と。
やってしまった後でしたが、本来のスポーツ精神に気付けて、人の道に戻れて、良かったと思います。今、辛いでしょうけど、前に進める道があるなあ、と思いました。
昨日生まれたベビー、一昨日生まれたベビー、
今日生まれようとしているベビー、
一番最初の、一番最小の、家族という集団に迎えられます。
その集団、家族は、ずっとずっと、最後まで、消えない・・・。
学校に行っても、社会に出ても、家族は消えない・・・。
家族は大切な大切な、子供の「最初」の道しるべ集団。
学校へ、社会へ送り出すための・・。
いい学校、一流の仕事、いい子、トップクラス、そこを求めるだけ、ではなく、
そこを求める意味(そこを目指すことは、悪いことではないので)を考え、
そこを求める過程を大切にする、自分の考えに偽りなく悪いことが判断できる、
当たり前だけど、人として、常識がわかる、すべて、人として・・・という成長をしてほしい、
そんな、大人に育ってほしいなあ、そう育てないといけないのが、まず、家族かなあ、
と、思いました。
簡単なようで、難しく、答えもなく、同じ考えもなく、結果論かもしれませんけれどね。
(注**あくまで、私の親論です。「いやいや、一つのことでトップが一番、そのためには、他のことは捨ててもいい」と思われる親、家族も、中にはいらっしゃるでしょう。)
生まれたベビーは、真っ白です。
eri.hosoda