細田クリニックのひとりごと

悲しいこと

1月の末、偉大なM先生が亡くなられました。
京都第一日赤の新生児科の部長をされており、
京都府下の頂上、近畿管内関西地区の主要施設、そんなセンターの部長先生でした。現役でした。
院長と同級生で、友人です。
お見舞いに伺ったときも
「本当はな~、お金かかるし、大部屋でいいねんけど、病院がな~『先生、部長なんだからもちろん個室に入ってくださいね』と言われて、しゃーないし個室に入ってんねん」と笑いながら話しておられました。
そんな気さくな、やわらかい先生でした。
しかし、医師であっても病魔に勝てず・・・。
大切な存在を失い、産科・新生児科にとっては、痛手は大きいはずです。
細田クリニックにも、数年前、ヘルプに来ていただきました。
その後も、何人かの赤ちゃんを搬送して救っていただきました。
日本の周産期医療の質は世界一だそうです。それでも、救えない命はゼロではありません。それをいかにゼロにするか・・・。それは、産婦人科に従事する医師、助産師、看護師の課題でしょう。
しかし、どんな経過の中でも、時には何の予測もなく、未熟児や仮死の赤ちゃん、また、合併症を持って生まれてくる赤ちゃんはゼロにはなりません。
そうすれば、新生児科の先生にバトンを渡し、小児科として、医療を成していただく。そんな、繋がりで、命を救えたことも何度かあります。
M先生は、本当に新生児が、・・というより、医師の仕事が好きでした。
嫌がられる、年末年始の当直も自らやられていたそうです。
仕事を続けるには、体が資本・・と、自転車で何キロもの道のりを通勤しておられました。
天国に旅立たれる装束は、NICUの白衣と術衣。
天国でも、小児科医をされるのでしょうね?
きっと、この世で遣り残したこともあられるでしょうから、そちらの世界でも、バリバリと活躍されることでしょう。
そして、この世で生まれる赤ちゃんが、みんなみんな元気に生まれてきてくれるように見守ってくださっていると思います。もちろん、細田クリニックで生まれる赤ちゃんも・・。
天職、その言葉がぴったりだったM先生。
私たちは、まだまだその域には達していませんが、少しでも近づけるように、「今」をがんばって行きたいと思います。
合掌。
eri.hosoda