細田クリニックのひとりごと

心の中に

先日、ある方(以下Mさん)から、うれしいうれしい、涙の出る、メールをいただきました。

そのある方、Mさんとの出会いを綴ります。

Mさんは、双子ちゃんの妊娠で、総合病院でかかられていました。
もう、20年近く前のこと。
Mさんと私の出会いは、その病院の分娩室からです。
双子というリスクはありましたが、それ以外は順調だったこと、おひとり出産されているし、経腟での分娩経過中。
その日の私は、Mさんの担当でした。 陣痛の合間も笑顔で、もう少しかかりそうですね!と、お話しし、私は一旦分娩室を退室しました。
そして、その数分後、分娩室からナースコール。 「破水したかも。しんどい。」と。 すぐ分娩室に戻り、破水を確認。 「ここから早いかも」と会話している真っ最中、Mさんの呼吸も苦しそうになり、二人の赤ちゃんの心音はあっという間に50~60回/分台に下降しました。
普通健康な胎児は120~180回/分、一瞬にして半分以下になり、復活してくれる気配なく、かなりしんどい赤ちゃんのサインです。
あの時の心音の波形は、今でも覚えています。 産科で働く者の言葉では、地を這うような心音・・・ 破水してから、1分ほどの出来事です。

 

自分の目の前で、怒っている現実。本当に怖く、心臓が動悸をうち、足も手も震えていた私です。 でも、おびえてる時間はない、待てません。私の目の前で、3人の命が危機にある、一刻も早く、早く!そんな状況です。順序立てて考える、教科書を思い浮かべる、そんな時間はない!
二人の赤ちゃんが、、、。 3人とも助けなくては、、、、。 ママがんばれ、、、、。
私の、頭で考えること体が動くこと口で指示だすこと、すべて、一瞬だったと思います。
Mさんには、微笑みながらも、スタッフ間では鬼の形相だったかもしれません。 即刻、スタッフ数名で、ストレッチャー乗せたMさんを手術室まで運びました。 落ちそうになるMさんを両端で支え、特急並みに走り抜けました。それでも、もっと急ぎたかった。
たまたま、廊下ですれ違った小児科の先生に、単語だけで状況説明(私、吠えていたと思います)し、一緒に手術室に走りました。 手術室のスタッフへ連絡はしてあったものの、普通じゃない雰囲気の私たちだったのでしょうね。阿吽の呼吸で入室させてくれました。
午前の手術を終えた産婦人科医師(それが今の院長です)が目の前に待機。そのまま、Mさんの帝王切開開始です。
手術室へ送ったあと、私たちスタッフは手術室の出入り口で、ヘナヘナとしゃがみ込んでしまい、立てませんでした。全力が抜けていきました。 それに、気付けば私たち、分娩室からシューズを履く余裕もなく、はだしのまま、廊下を走り抜けていました。 その姿に、ちょっと、スタッフ同士で、にこっと笑い、、、、 自分のこわばる顔にもやっと気付き、そこで現実に戻ったのだと思います。

しばらくし、生まれた赤ちゃんは、二人ともアプガースコア1点。
(問題ない赤ちゃんは、ほどんどは、8点から10点です)
どうか、どうか、生きて!!!がんばれ!!!!生きて!!!!私たちの祈りでした。
そして、Mさんは・・・・
出血が止まりません。
体中に酸素が回っていません。
何かがMさんに起こっている!!
Mさんも瀕死の状態でした。経験のない、想像もできない状態です。
ママも助かって!!!!
いろんな状況との闘い、あらゆる検査と診断の結果は
「肺への羊水塞栓症」
診断は難しく、何の合併症もなく予兆もなく、突然起こり、発生頻度は2~3万分娩に1例くらいですが、発症後1時間以内で死亡してしまう方が80%ともいわれています。即死の妊婦さんもいます。
でも、Mさんは、命は取り留めました。
あふれ出る出血、止まらぬ出血の中、止む終えず子宮を取りましたが、命を救うためです。
だから、生きて手術室を出てきてくれました。命は救われました。
そのあと、1か月CCU(循環器の集中治療室)に入り、私たち産科からも毎日訪室し、お話ししました。もちろん、人工呼吸器をつけておられたので、こちらからの語りかけだったかもしれません。人工呼吸器が外れたら、産科病棟に戻ってきてくれました。
男の子女の子の双子ちゃんも、がんばってがんばって、何カ月もかけて復活してくれました。
その間、長男くんも3才か4才ぐらいだったかな?お兄ちゃんなりに、頑張っていました。
面会の間、いっしょに詰所で遊んだり、退屈になったら、病院内をいっしょに散歩したり。

これが、私とMさんとの出会いです。
現在、Mさん、時々クリニックに検診に来てくださいます。
今では、家族のこと、主婦話、子供の事、をお話しするお付き合いになりました。

そして、数日前、久しぶりにメールでの近況報告、、、
1部そのまま紹介します。

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前略
長男は、無事に社会人になりました。 K(双子の女の子)は看護学部の2回生、T(双子の男の子)は1浪の末、この春国立の医学部に入学しました。二人は、厳しい道を自分でそれぞれ選択しましたが、楽しそうに過ごしています。

中略

あの日の出来事は、長男にも、KにもTにも何度なく話してきました。 Kは4歳にHUSになりましたが、その際も主治医にいのちを助けてもらったこと、Tは10歳にIgA腎症と診断され入退院を繰り返しましたが、二人は病気に負けたくない気持ちと、助けて頂いた経験を返したいという思いでそれぞれの道を選んだのだと思います。 二人が勉強していくうちに、羊水塞栓症の内容を理解して、助けてもらったことがいかにすごいことだったかを知ってくれたら震えると思います。

後略

******************************************** 注*HUS→溶血性尿毒症症候群

双子ちゃんのふたりが、自分たちを救ってもらった経験を看護師、医師として返したい思い。
そして、それをずっと思い続け、やり通してくれている信念。
本当にすばらしい!!!!うれしい、感動!!!!しかありません。
メールを見ながら涙が出ました。こんな思いの看護師や医師が一人でも増えれば日本の医療は絶対大丈夫と思います。本当の、真の志だと思います。
ずっとずっと、頑張ってほしい。
ずっとずっと、応援したいと思います。

産婦人科医、助産師、産科看護師は、占い師でもないし、予言師でもありません。
目の前の妊婦さんに何が起こるか、わかりません。もちろん、少しでもわかるように、何かきっかけの手がかりを見つけるために、妊婦健診や採血や会話をしているわけです。
それでも、わからないことばかりが起こるのが出産。
だから、目の前の出来事に、やるべきことを瞬時にやる!ママと赤ちゃんの命を救うために、動く!考える! そんな仕事です。
だから、本心は何度も辞めたい、逃げたい、と思うこと、何度もありました。
でも、こんな私たちを育ててくれるのは、患者さんや妊婦さんです。
今まで関わった方に育ててもらって今があることを決して、絶対、忘れてはいけません。

Mさんのような患者さんに出会っていなければ、産婦人科を続けていなかったことでしょう。

Mさん、長男くん、Kちゃん、Tくんの思い出の中に良い思い出として私たちが残れたこと、本当にあの時、ママとKちゃんとTくんが頑張ってくれたことに感謝です。
胸がキューンとなり、目頭を覆いながら読んだメール。 ここに記録として残しておきます。
Mさん、ありがとう。 eri.hosoda